第12話 内藤春人という男
春人が居なくなった。しかも春人だけがここに居ない。その瞬間に不味いことになったと思った。
アイツを一人にするなんて不安で仕方ない。私が側にいない間に何をするか分からない。
自分ではまともな人間だと思っているだろうけど、ハッキリ言ってあいつは性格破綻者だ。幼い頃から一緒に過ごしてきた私が言うのだから間違いはない。
春人は変わった奴だった。お父様がどこからか突然連れてきて、その日から一緒の家に住むようになっていた。
「理由は説明しないが今日からウチで一緒に住む事になった春人だ。風香。仲良くするんだよ、いいね?」
「はい……」
お父様が仰るなら仲良くしようと自分なりに努力はしてみた。だけどその努力は必要無かった。
何故なら努力する事なく自然に仲良くなれたから、その時私には妹がいたが、春人はもう一人の兄弟のような感覚を覚えていたのだ。弟の春人。そんな気分だった。
しばらく一緒に過ごしていたある日、一つ事件が起こった。いや私が起こしたのだけど。
あれはみんなで家族旅行に行った時だ。
初めて海に連れて行って貰い、楽しくて仕方がなかった。
春人の手を引いて色々な場所を見て回っていた。
そして切り立った高い崖の上に着いた。
言い訳をしておくと、春人の事が嫌いだったわけでは無いしケンカをしたわけでもない。だけどあの時何故か思ってしまった。
空を飛んだら気持ち良さそう。
飛んでいる鳥を見てただそう思った。
気がついたら春人を崖から突き飛ばしていた。
落ちていく春人を見て不味いと思った。春人は空を飛べない。空中を落下しながら驚いた顔で私を見ている春人を見て、とんでもない事をしてしまったと思った。
私はすぐに走り出してお父様とお母様を探した。
だけど子供心に崖から突き飛ばしたと言ったら怒られると思ったのか、春人が崖から落ちた。そう伝えて後は怖くて泣いて泣いて泣きまくった。
その時のその場の混乱ぶりはそれはもう凄いものだった。普段取り乱す事のないお父様が血相を変えて駆け回っていた。
幸い、春人は怪我だけで済んだが入院を余儀なくされた。
入院した春人をお見舞いに行くとお母様に言われ、病院まで連れて行かれたが春人に会う事が怖かった。
病室の前に着いたときは体中の震えが止まらないほどだった。
春人が私のした事を覚えていたらどうしよう?
なのにアイツはそんな私を見てたった一言だけ言った。
「やぁ風香。久しぶりだね」
怒るでも怒鳴るでもなくただ久しぶりと。
涙が溢れた、止まらなかった。
「風香、誰にも言わないから大丈夫だよ」
誰も居なくなった病室で二人きりになった隙にそう言った春人。
その一言で私は悟った。春人は私が突き飛ばした事を覚えている。それでも変わらず接してくれる、許してくれた。
大体普通あんな事をされたら怒って当たり前なのに春人は何も言わなかった。
下手をしたら命を落としていたというのにだ。
それから急に春人のことが気になり出した。今は何を考えているのだろう?
これを言ったら嫌いになるかな?
一緒にあそこに行きたいけどついててきてくれるかな?
ほとんど全ての時間、春人の事を考えていた。
春人は私の行動言動全てを否定しない。どんな事をしても、何を言ってもただ一言。
「うん、いいよ」
これで済ませてしまう。どんな事でも受け入れてしまうのだ。
それとは逆に敵対した者、敵意を向けて来る者に対しては容赦を全くしない。
実は私は一度誘拐された事がある。それを知っているのは私と春人だけ。
小学校にあがる前の夏、二人で手を繋いで歩いていた時に私達は知らない大人に囲まれた。
そして私は抱え上げられ、近くの車に連れ込まれる所だった。
もちろん春人は助けようとしてくれたが、大人に敵うはずもなく、殴られて蹴られてボロボロになっていた。
それでも何度も立ち上がって最後には一人の男の腕に噛み付いて決して離さなかった。
男達は諦めたのか、春人も一緒に車に連れ込んだ。
私は怖くて怖くて春人にしがみ付いてずっと泣いていた覚えがある。
どの位の時間が経ったのか、眠ってしまっていた私は春人と一緒にどこかの建物の中の一室に監禁された。
「春人ここどこ? 家に帰りたいよ!」
「うん、そうだね。少しだけ待って」
何故こんなにも落ち着いていられるのか?
春人は全く怯える素振りを私に見せなかった。
「春人、少し待ったら家に帰れる?」
「うん、風香が大人しくしてたらね」
「じゃあ我慢する」
「そこにいてね」
そう言って春人はどこかに行ってしまった。
それからは心細くて泣きそうだったが、早く帰りたかったからじっと堪えて我慢して耐えていた。
どこからか乾いた音が何度か鳴る。
パン!パンパン!
まるで花火のような音が響く。
春人はいつまで経っても帰ってこない。
不安に押しつぶされそうになっていた時、もう一度だけ花火の音が聞こえた。
パン!
それから数十分後春人が帰ってきた。
「風香、家に帰るよ」
差し出された右手を握って立ち上がらせて貰い、建物から外に出た。
外はもう真っ暗になっている。
辺りは見渡す限りの木に囲まれている。かなり深い山の中のようだった。
「春人あの人達は?」
「さぁね? 何処かに行ったんじゃない?」
「ここはどこ?」
「僕にもよく分からないよ」
自分がどこにいるのか分からない不安から涙が溢れた。
春人はそんな私の頭を優しく撫でてくれた。
「さっき花火が上がったんだ。あっちの方に。だからそこへ向かえば誰か人が居るはずだよ。そこで何処なのか聞いてみよう?」
「うん」
その時は春人の言葉を信じていた。
「風香、さっきの人達の事は誰にも言っちゃ駄目だよ?いい?」
「どうして?」
「僕が風香の側に居られなくなるから」
「それはイヤ!」
「じゃあ内緒ね。ほら約束」
春人の小指に指を絡ませて指切りをする。
その後は何とか人里にたどり着き、家に連絡を取り迎えに来てもらった。
一晩行方不明になった事で二人ともお説教をされた。
「どうやってあんなに遠くまで行ったんだ?」
お説教の後お父様にそう聞かれても私には答える事が出来なかった。
約束だから。
答えられない私の代わりに春人が答えた。
「二人でトラックの後ろに乗って遊んでいたら寝てしまっていて、起きたら真っ暗で車には誰も居なくて、あてもなく歩いていたら人が居る場所まで着いたからそこで電話を借りた」
「ふむ、そうか。風香本当なのかい?」
「うん…….」
私にはそれ以外何も言えなかった。
「分かった。ではそれを信じよう。風香はもう休みなさい」
「はい……春人は?」
「春人はもう少し話があるから残りなさい」
「はい」
その後お父様と春人に何があったのかは分からないが、翌朝春人の両頬が真っ赤に腫れて目の周りは内出血で紫色になっていた。
その顔をみて私は盛大に泣き出してしまっていた。
春人は相変わらず頭を優しく撫でてくれた。
お父様は少し困った顔で私達を見ていた。
その時は分からなかったが、今なら分かる。
多分、春人は処分したのだ。必要無いから。邪魔をするから、何の躊躇いも無くあの男達を。
その後、春人は何事も無く普通に過ごしていた。警察が家に来る事も無かった。
春人は親しい人には際限無く、その優しさをくれる。
春人は敵対する者を処分する。どんな手段を使っても必ず。
優しさと残酷さ、二つを天秤に乗せて飄々と過ごしている。
それが私の知っている春人。放っておいたら何を仕出かすか分からない奴。だからこそ早く探し出さないといけない。
私はアイツが世界を滅ぼすと決断してもおかしな事だとは思わない。
自分に必要ではない物には何一つ執着しないから、たとえそれで自分の命を落としても、アイツはそれを実行してしまう。私はそれが怖い。
春人はブレーキが無い車と同じだ。
決断したら絶対に止まらない。
唯一止めることができるのは私だけだ。それは私はにも同じ事がいえる。
あの恐ろしい誘拐事件の後から私達二人は壊れてしまった。感情の振れ幅が大きくなり、どちらかに傾いた瞬間から歯止めが効かなくなる。
私を止める事ができるのは春人だけ。
春人を止める事ができるのは私だけ。
あの時から、私と春人は二人で一人になった。
お互いが居ないと上手く機能しない、壊れた生き物になってしまった。
だからこそ早く探し出さないといけない。私の大切な半身を。
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