第83話 記憶がよみがえらない
少し休めば、サーシャは何もかも思い出すだろう。
俺はそう思っていた。
しかし……。
サーシャの記憶は戻らなかった。最近のことはもとより、昔のことも自分の名前も何もかも忘れてしまっていた。
「サーシャの記憶は、もう戻らないのでしょうか?」俺は王宮専属医師にたずねた。
「それはわかりません」
「わからない?」
「はい。脳に大きなダメージを受けていれば、記憶はよみがえらない可能性が高くなります。ただ、それほど脳にダメージがなく、一時的に海馬への血流が滞っただけなら、何かのきっかけで記憶が戻るかもしれません」
「サーシャは、脳に大きなダメージを受けているのですか?」
「そこが解らないのです。歩いたり話したりは普通にできますので、見た目は大丈夫なのですが……。ただ、脳の中身は複雑で、それだけでは判断できないのです」
「何か、治療法はないのですか?」
「回想法というものがあります」
「回想法?」
「はい、昔の場面を再現して、記憶を呼び起こす方法です」
※ ※ ※
国王の招待を受けた俺は、母親とともに再び馬車に乗ることとなった。
王宮の門をくぐり、宮廷前で馬車が止まる。足の不自由な母を俺が馬車から降ろすと、すぐに一人の剣士が駆けつけてきた。クロウドだった。
「今日はよくいらしてくださいました」
クロウドは母に言った。
「お招きいただき光栄です」軽い失語症の母は、ゆっくりとそう答えた。
衣装を借りた俺と母は、舞踏会場へと入っていった。オーケストラが落ち着いた音楽を奏でている中、俺と母は指定された席に着いた。
やがて、プリンセス・マドカが一人の女性を連れて、俺たちの席へと近づいてきた。マドカが連れている女性は、サーシャだった。
「サーシャ、こちらがエトーのお母様よ」
「……、エトーのお母様?」
母は俺に支えられながら立ち上がった。
「息子がお世話になっております。美人剣士のサーシャ様が息子の上司だと聞きました。サーシャ様のようなすばらしい人と働けるとは、息子は本当に幸せ者です」
「……」
マドカとサーシャが奥のテーブルに着くと、オーケストラがリズミカルな演奏を始めた。舞踏会の出席者たちが、優雅にダンスを踊り始める。
母は、王宮一のダンサーであるハンスがエスコートをし、ホールの中央で踊っている。
マドカがサーシャを引き連れて、俺の座るテーブルにやってきた。
「さあ、サーシャ、ここにいるエトーと踊るのよ」
「……、私がこの男とダンスをするのですか?」
「そうよ、さあ、エトー、サーシャをエスコートして」
俺はサーシャに手を差し出した。
「さあ、サーシャ、エトーの手を取りなさい」
固まっているサーシャに、俺はさらに手を伸ばし、半ば強制的に手を握った。
サーシャの手のぬくもりが伝わってきた。
俺はその場でステップを踏みはじめた。全くの我流で、決してうまくないステップだった。すると、サーシャも足を運び始めた。
「さあ、ホールの中央で踊ってきて!」とマドカは言う。
俺とサーシャは決して上手いとは言えない踊りで、ホールの中央に向かった。
ホールで踊っている者全員が、ぴたっと動きを止めた。全員がこちらを注目した。
ホールにいるみんなの願いは一つだった。ホールだけではない、王宮にいるすべての人の願いは一つだった。
俺は心の中で祈った。
サーシャ、思い出してくれ!
記憶をとりもどしてくれ!
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