第40話「距離」

「い、一色くん……その、いいでしょうか?」


 ようやく少し落ち着いた様子の有栖川さんは、漫画からひょっこり目元だけ出すとこちらの様子を伺いながら話しかけてくる。

 だから俺も、気まずいながらも平静を装って返事をする。



「う、うん、何かな?」

「あの、ですね……この漫画の続きも、今日借りて行ってもいいでしょうか?」


 その様子から、有栖川さんが一体何を言い出すのかと思ったが、今読んでいる漫画の続きを貸して欲しいという話だった。

 勿論それは構わないのだが、先程の下りをしたうえでその漫画の続きをもっと読みたいと言う有栖川さんに、俺はまたしても恥ずかしくなってしまう。

 だから俺は、「いいよ」とだけ返事をするのがやっとだった。



「ありがとうございます……じゃあ、これの続きは帰ってから読みたいと思います」


 そう言って有栖川さんは、異世界モノの漫画を閉じると誤魔化すように微笑んだ。

 だから俺もそれに合わせるように微笑むと、何とも微妙だった先程までの空気も少しだけ和らいだ気がした。



「それにしても、やっぱり一色くんのお部屋はいいですね」

「え、そうかな?」

「はい! 漫画は沢山ありますしこのクッションも最高ですし、何だか落ち着きますね」

「そっか、なら良かったよ」

「えへへ、男の子のお部屋にあがるのなんて一色くんが初めてなんですけどね。すっかり馴染んじゃってる自分がいます」


 何なんでしょうねと、おかしそうに微笑む有栖川さん。

 でも俺は、そんな風に思ってくれている事がとにかく嬉しかった。



「うん、じゃあまたいつでも遊びにおいでよ」

「いいんですか?」

「も、勿論それは、有栖川さんさえ良ければだけど……」

「……じゃあ、明日はお暇ですか?」


 話の流れでつい発してしまった俺の言葉に、有栖川さんはまさかの返答をしてきた。

 いつでもと言ったが、明日も来たいという事だよ、な……?



「……ひ、暇だけど」

「本当ですか? じゃあ明日早速いいでしょうか!?」

「う、うん! 分かった!」

「やった!」


 俺がオーケーすると、両手を挙げながら喜ぶ有栖川さん。

 その姿に、それだけ喜んでくれるのなら良かったなとやっぱり嬉しくなる自分がいた。



「っと、もういい時間ですしそろそろ帰りますね! ケンちゃんの散歩がありますので」

「ああ、そっか。分かったよ」


 窓の外を見ると、確かに既に夕日が沈みかかっていた。

 この分じゃ、もう一時間もしないうちに暗くなってしまいそうだった。

 しかしそうなると、夜道有栖川さん一人で散歩する事になってしまうため、それはさせたくないなと俺は一つ提案をしてみる事にした。



「でももう時間も遅いし、有栖川さんの迷惑じゃなければまた散歩付き合う、けど?」

「あ、そうですね……。また暗くなっちゃいそうですし、その……一色くんがいいのなら、お願いしたい、です」

「うん、じゃあ行こうか」


 お互い何だか恥ずかしくてたどたどしくなってしまったが、こうして今日も俺は有栖川さんの散歩に付き合う事となった。


 まぁ有栖川さんの事の他にも、またケンちゃんに会いたくなっている自分もいるのであった。



 ◇



 有栖川さんと一緒に、夕暮れの道を歩く。

 そして気が付くと、あの日有栖川さんと初めてあった通りへとやってきた。



「あの日も、こんな夕焼けでしたね」

「うん、そうだったね」

「うふふ、まだそれ程経ってないのに、随分前の事のように感じてしまいます」


 有栖川さんのそんな言葉に、俺も頷く。

 そう思えるのは、まだあれから全然経ってはいないけれど、ここ最近の日々はあまりにも濃密だったからに他ならないだろう。


 俺に限らず、誰しもがまともに話をする事すら許されなかった『難攻不落の美少女』。

 そんな彼女は、実はいつも一生懸命で、本当は良く笑うし、時に天然でポンコツな所もあって魅力溢れる女の子なのであった。


 そんな有栖川さんと接するようになって、俺は変われているという実感がある。

 それまで異性とまともに会話もした事が無かった俺だけど、有栖川さん相手なら普通に会話する事が出来ているのだ。

 それはきっと、有栖川さんは俺の事を一度も拒んだりせず、いつも楽しそうにしてくれているからだろう。


 だから俺は、有栖川さんと知り合えて本当に良かったと思う。

 クラスでも注目を浴びてしまったし、これから先何が起きるのかも分からない。

 けれど、これまで何も無かった自分にとって、こうして生まれた有栖川さんとの絆は掛け替えの無いものになっているのであった。


 だから俺は、そんな気持ちを籠めつつ改めて有栖川さんと向き合う。



「ここで有栖川さんと出会えてよかったよ」

「えっ?」


 そんな俺からのいきなりの言葉に、立ち止まる有栖川さん。



「俺、楽しいんだ。こうして有栖川さんと一緒にいるのが」

「楽しい、ですか……」

「うん、俺はずっとさ、有栖川さんって俺なんかが近付く事が許されない相手だと思っていたんだ。――けど違った。本当の有栖川さんはそんな人なんかじゃなかったし、知れば知る程もっと知りたくなってる自分がいるんだ。だからさ――」


 そう言って俺は、有栖川さんの目を真っすぐ見る。

 驚いているのだろうか、そこには同じく目を見開きながらこちらをじっと見つめてくる有栖川さんの姿があった。



「きっと勇気が必要だったと思うんだけど、話しかけてくれてありがとう」



 そう、次の日の英語の時間、有栖川さんの方から俺に対して話しかけてくれたのだ。

 それはきっと、有栖川さんの性格からして絶対に勇気のいる事だったに違いない。


 だから俺は、その事に対して一度ちゃんと有難うの気持ちを伝えたかったのだ。


 こんな俺だけど、話しかけてくれてありがとうと――。




「――私も、楽しいです」




 そして、俺の言葉が嬉しかったのだろうか、有栖川さんは微笑みながらしっかりと頷いてくれた。



「一色くんと知り合ってから、学校へ行くのが楽しみになっているんです。これまでは、絶対に異性の方と仲良くなんてなれないと思っていました。けれど一色くんだけは違いました。それから一色くんのおかげで、今では橘さんや皆さんとも仲良くなる事が出来ているんです」

「いや、俺はそんな事……」

「そんな事あります! だから、一色くん――これからも、こんな私ですけど宜しくお願いしますね」


 その言葉は、きっと本心なのだろう。嬉しそうに、ニッコリと微笑む有栖川さん。


 夕日を背にして微笑む有栖川さんの姿は、あの日出会った時と重なって見えた。



「うん、こちらこそ宜しくお願いします」



 だから俺も、そんな有栖川さんに向かってニッコリと微笑みながら返事をする。


 こうして、しっかりと向き合いながら微笑み合う二人――。

 そして再び歩き出した二人の距離は、心なしかさっきよりも縮まっている気がするのはきっと気のせいではないだろう――。

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