第7章(その4)
* * *
やがて、朝が訪れた。
気が付くと、アルサスは森の木立の中にたった一人、倒れ伏していた。一体いつからそこに倒れていたのか、自分でも分からなかったが、取り敢えず命ばかりは助かったようだと知った。擦りむいたあとはあちこちにあったが、どれも致命傷には程遠かった。
あたりを見回すが、化け物どもの姿はどこにも無かった。まるで最初から何も起きてなどいないかのように、森は静かだった。
化物どもは死体一つ残してはいなかったが、あちこちの木々がなぎ倒されたりへし折れたり、あるいは樹皮にありありと傷が残されていたり、そのような痕跡ははっきりと見受けられた。アルサスは何とはなしに、そういった痕を一つ一つたどっていく。そのうちに行く手は上り傾斜となり、どれだけか登っていくと少し開けた場所にたどり着いた。
それが、昨晩ナイゼル・アッシュマンがいたあの場所だと言うのにはすぐに気付いた。だがそこにもやはり魔物たちの姿は、生きている死んでいるを問わず何もなく、ナイゼルの姿さえもそこに見出す事は出来なかった。――勿論、あの贄の媛も。
彼らは一体、どうしたのだろうか。
生きているのか、死んでいるのか……それさえも窺い知る事さえ出来なかった。アルサスのいない所で「儀式」には決着がつき、登場人物達は彼に勝敗の結末を明らかにしないままに、いずこかに立ち去っていってしまったようだった。
見れば、地面の片隅にアルサスの荷物が転がっていた。あれだけ魔物がひしめきあっていた中で、こいつはうっかり踏み潰される事もなく無事でいたのだ。それを拾い上げようと身を屈めたところで、アルサスは地面に残された血痕に気付いた。
化け物どもについては、どういう作用が働いているのか亡骸はおろかこぼした体液すらその場からは綺麗さっぱり消えてなくなっていた。とすれば、この血のあとは人間のものでは無かっただろうか。
地面の上に点々と残されたそれを目で辿っていくと、その先には、見覚えのある一本の剣が無造作に転がっていた。
「あっ――!」
思わず、アルサスは声を上げてしまった。
そう、それは紛れもなく、ナイゼル・アッシュマンの愛剣では無かったか。駆け寄ってみて、おそるおそる拾い上げてみる。夢でも幻でもなく、それは確かな重みを伴って、今アルサスの手の中にあった。
そして、地面の血のあとはそこで途切れていた。
(これはやはり――アッシュマン卿の血なのだろうか)
血の量から言って傷はそこまでの深手ではないようだったが、いずれにせよそれなりの手傷を負っているのは確かだったし、それにこの剣が彼にはどうあっても必要なはずだった。砂漠に出征して以来、片時も手放すこと無く、ずっと命を預けてきた大事な剣ではなかったか。
アルサスは自分の荷物を拾い上げると、その剣を手にしたままその場をあとにする。
敷き詰められた石畳の道を辿ってさえいけば、日の出ているうちはさすがに道に迷うことは無いはずだった。場所によっては半分土に埋もれてしまってどうにもあやしい箇所も無くはなかったが、アルサスは大きく道を見失うこともなく、やがてとある分かれ道にたどり着いた。立てられた道標は文字がかすれていてよく読めなかったが、かろうじて、当初目指していたはずの宿場町の名があるように見えた。
その道標の指し示す方角を念入りに確認した上で、アルサスはそちらに足を向けようとする。そこで彼はふいに、その反対側の分かれ道の上に赤い染みがあるのに目ざとくも気付いてしまった。
彼はおのが目を一瞬疑った。数歩引き返して、地面の上に残されていたそれをじっくりと検分する。それは確かに半ば乾きかけた血痕だった。
本当に、偶然に何かの拍子に目にとまっただけだった。そもそもこれがナイゼル・アッシュマンのものかどうかも分からなかったし、ここにこのようなものがあるからと言って、彼がこちらの道を辿っていったという保証も何もなかったのだが。
それでも、とアルサスは思う。
――彼はきっと、この剣を必要としているはずだ。
アルサスは手に握った剣と、その分かれ道に立つ道標とをしばしじっと見比べる。
どちらに向かうべきかは、おのずと決まっているように思えた。
ひとつ大きく、深呼吸をする。
よし、と短くつぶやくと、アルサスはそれ以上迷わずに、これぞと決めた道の方へと足を踏み出していくのだった。
(「ナイゼル・アッシュマンの告解」おわり)
ナイゼル・アッシュマンの告解 芦田直人 @asdn4231
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