色のない花

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色のない花

ー「前書き」ー

時は江戸時代。

戦国時代も終わり、活躍した武士が羽を伸ばし平和が訪れた時代。

天下は統一され、江戸時代の心臓となる江戸が作られ、江戸城の下には万物が集まり、万人が夢見る場所となり、多くの職人が集まって彼らの趣味趣向に沿った娯楽が溢れる。

そんな時代に幸か不幸か気性の荒い一人の侍がいた。彼の名前は東上 駱(トウジョウ ラク)。彼の家系は江戸時代になる前から侍の家だった。また金に関して遅れを取るような貧しさでもなく、かといって毎日贅沢品を食べれるほど金持ちでもなかった。彼の家はその時代で言えば普通だった。ただその家系は時代の流れについていけなかった。時は侍の時代から平和な時代に移り、商売が中心となった。彼はそんな時代に産まれた。侍が廃れ始め、忘れ去られ始める時代に。これはそんな彼の出会いの話だ。


ー「一章」ー

江戸時代中期の冬、くそ寒い中東上駱という青年の男が友人の楽碌斎と話していた。

俺たちは茶屋で団子を食べていた。正確には俺だけが団子を食べていた。楽碌は麦茶を飲んでいた。店は空いていて、店の中は畳と長椅子とで座れる場所が分かれていた。俺たちは長椅子の上に座って談笑していた。

「どうだ斎、この頃元気か?」

「元気さ、君ほどではないけどな。」

「そうか?」

「そうだよ、聞いたことがないね。いくつもの仕事をかけ持っている侍のことなんて」

「俺はよく聞くけどな、侍なのに他の仕事を受け持っている人の事」

「それでも頑張って一つだけだろ。今の時代じゃ、武力は何も言わないからなー。たく、平和になったものだ。」

楽碌は湯開きそうに笑った。彼も俺と同じ同業の侍だ、けれど彼は俺と違って時代についていった。この時代にも適材敵手があることを瞬時に理解し、彼は侍でありながら役者でもあった。体が強いこと、顔が整っていたから気に入られたらしい。

「そういう、お前はどうなんだ今の仕事続いてるか?」

「ああ、お前と違って何個もの仕事を請け負っていないかな。」

「…雇い主と馬が合わないんだよ。」

彼はまた笑った。彼はよく笑う男だ。彼とは長い付き合いだ。俺と彼は同じような家で育てられ、俺たちは生涯武士として育つのだと思った。そういう家系で生まれ、そのように教え込まれた。だが世に出れば、現実は違った。生涯を捧げようと思っていた役職は必要とされず、これまで習ったものを捨てなくてはならなかった。彼は容易に捨て、俺は捨てることができなかった。

「なら君が満足するまで仕事を転々とするんだな。自分探しもほどほどにだが」

「はぁ、…自分探しね」

俺は俺に満足することができなかった。自分が興味の持ちそうなものは全て試してみた。問屋、火消士、、、。だがどれも物足りず長続きはしなかった。

「なぁ、今どれぐらい銭持ってるんだ」

「使ってないから、結構溜まってるが?」

「ならそれを使って頭を一回冷してこい。幸なことに今は町人文化真っ只中、当分は飽きねえだろ。」

「そうか?」

「そうさ、あるもんは使っていかなくては損だ。どうせこの時代、長く生きるものはいねぇんだし。」

「…それもそうか。」

俺がため息をつくと彼はまた愉快に笑った。どうやら彼は俺のことを心配していたらしい。たぶん俺が俺の考えを曲げないことを心配したのだろう。

「けど、俺はどこを行けばいいんだ?」

「ん?」

「俺は江戸に住んではいるが詳しくはないんだ。なんかおすすめとかねぇか?」

「あー、まぁ、」

と彼は一拍置いて俺を見た。

「自分で探せ。俺にどうこう言われたからと言って楽しめるわけじゃねぇだろ。自分で探せ、自分で。」

彼は苦笑して、俺を手で追い払おうような仕草をした。

どうやら俺が探さないといけないようだ。

彼は実に愉快そうだった。

「悩め、悩め。そうでなくちゃ生きてる実感はせんだろ。」

彼はそう言いながら、椅子から立ち上がって団子が乗っていた盆の上に小銭を置いた。

「せっかくだ。記念に奢らせてくれや。」

「えっ、いやそれぐらい-」

そんなことを言おうとして立ち上がると彼はもう遠くに逃げていた。

してやられた。こんなことなら先に払うべきだった。

「相変わらずな世話焼きだな。」

俺はそう言って楽碌が置いていった銭を眺めた。

ー「二章」ー

江戸は広い、江戸の娯楽を一つ一つ見て回って楽しむだけで俺の半生はあっという間に消えるだろう。だがそんな江戸に俺は興味が持てない。生まれは江戸ではあるが、自分の半生は武士になることに削がれた。そして気づけばそんな武士がいない世界に放り込まれた。たまったもんじゃない。武士でなければ、なんなのか。東上駱が武士じゃなければ、なんなんだ。

「はぁ」

楽碌と一緒に食べていた茶屋を後にすることにした。予定はない。というか楽碌と話すことが予定だった。俺としては茶屋で談笑して、酒飲んで、酔い潰れて、笑い合うというのが今日の予定だった。それをあいつはものの数分で終わらせた。なんて奴だ。探して引っ叩いてやろうか。

かと言って彼の言うことが嘘であるわけではなかった。本当の事なのだから。近頃、俺は魂がないかのような人なっていた。周りの人からもそう見られていたらしい。やりたいことが見つからない。こんなに生き甲斐がないことがこれまでに大きいこととは考えられなかった。だから彼の口車に乗るのも悪くないと思った。賭けてみる価値があるのではないのだろうか。まぁ、見つからなかったとしても良い暇つぶしにはなるだろう。

そんな思いを抱えて俺は江戸を見て回ることにした。


ーーー


実際に見て回ると結構楽しいものだったが、どれもこれも記憶に残りそうになかった。体験した遊びは町の中で見掛けたものが多かった。そして実際にそれを体験してみると面白くはあるが予想を裏切るものはなかった。すごい絵ではあるが別にこの世のものとは思えた。すごい劇だったが、典型的な流れは通っていた。自分が想像できる範囲の中ものばかりだった。だからと言って面白くなかったわけではなかった。ただ、驚くほどの面白さではなかった。

まぁ良い暇つぶしにはなったが。

と物思いにふけて考えていたら見覚えのないところに着いた。

「…ここどこだ?」

後ろを振り返ってみれば道は分かれていた。

まじか、今通った道でさえ俺は覚えてねぇのか。江戸で迷子だなんて情けねぇな。

そう思いながら近くにあった店で道を聞くことにした。

「すみません、ちょっと道が聞きたいんだがー」

中に入ってみると周りには色々な服が綺麗に展示されていた。見たところ店長は中にいなかった。外にでてるんだろうか?

「おーい、誰かおらんか。」

呼んでも返事はなかった。

誰もいねぇーのか。今日はついてねえな。せっかく入ったんだし見て回ろうか。

そんな思いで店内を見て回って違う店に聞くことにしたとき

「んっ?」

俺の目があるものに止まった。目の前には色々な手拭いが展示されていた。そこに展示されていた手拭いには色々な色に染め上げられ、その一角だけが花畑にさえ見えるぐらい鮮やかに染められていた。ただ一つの手拭いを除いて。端っこに一つ、色を乱雑に染めた手拭いがあった。その手拭いは橙色、黄緑色、空色に染色され、色が重なり合う部分で色が混じっていて、気味の悪い印象を残す物だった。

けど、居心地の気が惹かれるものではあった。それはどこか自分を表しているように見えた。色々な感情が入り乱れていて、どれもはっきりとしない。そして強く染まっていて複雑な色だから、他の色と混ざろうとしてもうまく混ざることができない。


「あのー」

「ッ!」

急に声を掛けられ、びっくりして思いっきり振り返る。

「ひゃ!」

弱い声だった。

俺の後ろに立っていた女性は申し訳なさそうな顔をしておどおどしながら俺を見ていた。背は俺よりも頭一つ小さく、中腰な姿勢でやっと目線が揃った。髪は短く切り揃えられていて、顔ははっきりと見える。

「えっと、、、すみません」

そして何故か謝れらた。

「はい?」

「あっ、いえ、なんでもありません…」

妙な沈黙が続く

「あー、まぁ急に入ってきた俺も悪いから気にするな。それよりも店長はいねぇのか?」

「店長ですか?いえ、今外に出ていて今はいないです」

そうかと小さく呟いてちょっと考えるそぶりをする。

「ん?んじゃ、お前は誰だ?」

あっと思い出したような声をあげて彼女は小さくお辞儀をして自分を紹介した。

「ここの店長の子の菊です。」

礼儀はちゃんとなっているようだった。

「俺は東上だ。見ての通り侍なんだが、今俺ちょっと道で迷ってるんだ、道を教えてくれねぇか?」

「はい、そいうことでしたら…」

そう言って彼女は一旦店の奥へと消えて何かを持って戻ってきた。手にあったのは江戸切絵図だった。

「どこへ行きたいんですか?」

そう言いながら彼女は江戸切絵図を近くにあった椅子の上で広げた。

「あー、江戸の中心に戻れればいいよ」

「えーと、でしたらここですね。」

俺が楽碌と食べてた茶屋の近くを彼女は指した。

「あー、この赤いところを曲がって、その三つ先を右に曲がればいいんだな」

「…多分、そうですね。…多分」

えらく、自身がないな。

「紙と筆もらえないかな、俺物覚え悪いから。」

「あっ、はい、わかりました。」

そして彼女はまた店の奥へと消えた。

ちょっとだけ話しただけだったが彼女がどのような人間なのかが理解できた気がする。

そして彼女と話していた間もあの手拭いのことが頭を離れなかった。彼女がいない間俺はあの手拭いがあったところを眺めた。

ちょっとしたら彼女が硯と筆と紙を持って戻ってきた。

「えっと、…模写は私が書きますので。」

「お、悪いな何から何まで。」

いえ、いえと彼女は小さく返事した。

筆が紙に載る音の中沈黙が続くとふと気になっていたことを聞いてみることにした

「ちょっと気になったんだが、この手ぬぐい誰が作ったんだ?」

彼女が紙から顔を上げると顔が凍りついたように止まった

「…それは私が作りました。」

声が震えているのが感じられた

「そうなのか?」

「はい…あまり自信はないですけど」

彼女は悲しそうな笑顔でそう言った。

「いや凄いと思うぞ。」

「凄い?」

「あー、どう表現したらいいかわからんけど、すごいと思う。」

「すごい?」

「印象的?、そんな感じだ。」

彼女は不思議そうに俺を見た。その瞳には嬉しさと、困惑の色があった。

「んじゃ、この手拭いもらえるか。」

「えっ」

「だってここに置いてるてことは商品だろ。いくら出せばいいんだ。」

「え、あ、はい、わ、わかりました。」

そんな、あたふたした様子で走っていき、会計を終わらせ、地図を書いてもらい、手拭いと地図を懐にしまって店を出た。

店を出るとき、彼女は店の前まで来て俺が角を曲がるまで彼女は手を振っていた。その表情はどこか嬉しそうで悲しいようなものだった。去り際に店の看板に書いてあった「織色」という二文字を覚えることにした。


ー「三章」ー

次の日、楽碌に「識色」のことについて、朝早く彼の家に尋ねに行くことにした。

「君に出迎えられるなんて今日は空から天が降ってくるんじゃないだろうか。」

もの珍しいものを見たような顔をして玄関から出迎えられた。

「ほっとけ」

髪は寝癖でぐしゃぐしゃで、服はだらしなく乱れていた。あくびを噛み殺そうとする顔は相変わらず、ヘラヘラと笑っていた。

立ち話もなんだから中に入れと言われ、居間に連れて行かれた。

楽録の家は居間と玄関の二つの部屋でできている狭い家だ。玄関は綺麗に整っているのに対し、居間は色々なもので散らかっていた。ただその光景を見るのは初めてではなかったため、俺も彼も、そのひっくり返ったような部屋を気にしなかった。

「君から俺を向かいに来るなんて珍しいじゃないか、あの後本当に頭を冷やせたんじゃないか。」

玄関にあった急須を取って中に入っていた麦茶を湯呑みに入れて、彼は話を切り出した。

「君の口車に乗って観光してみたが、案外悪くはなかった。」

「それはよかった。」

楽碌が前のめりで俺の顔を覗き組むような姿勢をとった。

「けど、そんな礼を言うためにここにきたわけではないよな?」

俺は彼の鋭さに感心し、昨日あったことを話した。別に隠すほどの出来事があったわけでもない。

江戸の中を見て回ったこと、道に迷ったこと、「識色」という店に入ったこと、菊という女性に助けてもらったこと、そして自分が買った手拭いのこと。

話を聞き終わった楽碌はニヒルに笑っていた。

「でだ、俺はこれが気になるんだよ」

俺はそう言いながら手ぬぐいをとり出した。

「へぇ、これは珍しい色を使うね。」

彼は手拭いを手で持ちあげ、そういった。

彼はその手ぬぐいを眺めている間、複雑な顔をしていた。彼にしては珍しかった。

「見ていると変な気持ちになる色使いだな」

そう言って彼は手ぬぐいを俺に返した。

「おまえもそう思うか。」

「…え?だったらなんで買ったんだ?」

彼は困惑した表情で聞いてきた。

「いやなんか惹かれるところがあるんだよ」

「へぇー」

彼はそう言って、俺の手にあった手拭いをとっても一回じっけくりと眺めた。

こんなものがねぇー。

「ふふ、さてどっちに惹かれたのやら」

「ん?」

「いや、なんでもない」

何かを理解したのか、楽碌は満足そうに頷いて俺を見据えた。

「正直に言うが俺はあまり知らないぜ。」

「ん?」

「お前が俺に尋ねけてきた理由はそれだろ。俺はその「識色」という店が、衣類を作っていて、有名なところの分家てことしかわからんぞ。別にそこまで博識というわけでもないからな。」

意外と知っていた楽碌に驚く。いや、十分博識だろ。そんな、俺が迷うほど江戸の外れにある店のことを知ってるだけでも、びっくりだ。

「あと、一つ噂を聞いたことがある。」

俺が感心していると楽碌が話を進めた。

「それで、その噂はどんな物なんだ。」

彼は間を置いて、独り言を言うかのような気楽さで

「「識色」という店には色の見えない染色家がいるとか」


ー「四章」ー

あれから少しの時間が過ぎて春になった。流石に銭を使ってだらけるのは良くないと思い、仕事を再開することにした。近所の家に家事があって火消で家を数軒取り壊したからその後処理と工事を手伝う仕事があったからそれを手伝うことにした。。火の後処理は物をどかすだけだけの仕事で、工事は大工の作る柱や瓦を動かすという仕事内容だった。そのためか、家に帰ってそのまま寝ることが多くなった。

ある日、仕事で疲れて寝てたら周りが真っ暗だった。幸明日には何もなく二度寝することもできた。けれど眠ろうと寝転んでも、眠気は来ず頭は冴えたままだった。

「…散歩でもするか」

提灯を片手に持ってて刀を腰に差して暗黙に包まれた外へと出かけた。提灯の光がなかったら足元さえ見えないくらい辺りは暗かった。空には満月の月が黄色に光っていてポツンと寂しそうに、まるで朝に置いていかれたかのように残っていた。俺は本能が赴くままにフラフラと歩いていたら、前から灯りが見えた。提灯を持っていても相手の顔を見ることができなかった。すれ違うぐらいの距離になると、相手の顔が見えた。偶然にも相手は知り合いだった。

「おっ」

「あっ」

菊はどうやら俺のことを覚えていられたらしい。俺が彼女に気づくのと同時に彼女も俺に気づいた。

「こ、こんばんは」

彼女は小さなお辞儀をして挨拶した。彼女は前の時よりも華やかな服を着ていた。彼女が持っていた提灯には「織色」とわかりやすい黒くて大きい文字で書いてあった。

「ああ、久しぶりだな、こんな夜遅くに何やってんだ?」

「あの、宣伝です」

そう言いながら彼女は服の袖を持って裾に書いてある柄を俺に見せた。

「ど、どうです?」

「おお、綺麗な紫色だな」

「…へっへ、そうですよね」

ちょっと照れながら、彼女はそう言った、ただその顔にはどこか寂しい色が滲んでいた。

「…そういう、東上さんはどうしたんですか?」

顔は平静を装って、話しかけてきた。

「いやー、この頃仕事で忙しくて早く寝たら、夜起きてしまうんだよ。」

それは大変ですねと彼女は小さく微笑んだ。

「まぁ、立ち往生もどうだ、菊はどこか行く予定の場所とかあるのか?」

「え、えっと、街の中を一周しようかと、思っていまして。」

「そうか、だったらついてっていいか」

「え、」

「あー、嫌ならいいぞ」

「いえいえ、」

そして彼女は試すように聞いてきた。

「東上さん、その、知らないんですか噂を?」

噂、あー、楽碌が言っていた。

「知ってはいるが、噂というのをあんまり信用していないんだよ。人の噂は倍になるというし」

そうですか、と彼女は小さくつぶやいた。どこか安心したような声音だった。

「まぁ、夜で一人というのも危ないし。」

俺はそう言い訳すると彼女はどこか吹っ切れたように微笑んで

「そうですね、護衛としてお願いします」

と言った。

「ん、道案内はおまえに任せた。」


そこからの道中、俺と菊は会話をして夜を過ごした。会話と言っても、俺が一方的に話して菊はそれに相槌を打つというような感じだった。夜の道には俺と菊の声だけが響いた。そして同様に菊と俺が意外に見えるものは暗闇だけだった。



菊はこの道をよく通るのか江戸切絵図を持たずに彼女はスタスタと迷いなく進んでいった。そしてしばらく歩くと見覚えのある看板に行き着いた。

「でわ、私はここで。」

彼女はそう言いながら店に戻ろうとしていた。その後ろ姿はどこか惜しかった。どこか悲しかった。

「おい」

だから俺は呼び止めることにした。ちょっとでも子の時間が続くことを思って。

「お前、いつもこんなように夜歩き回ってるのか?」

彼女は振り向いて

「は、はい。暇がある時は。」

「んじゃ、俺も連れてってくれ」

とさりげなく返した。

えっ?と彼女は驚いたような顔でこっちを見た。

「じゃなかったら、俺が見つけ出して斬り殺すからな」

と言って俺は立ち去った。

後ろでは彼女の困惑の声が聞こえ、振り向いてもそこには提灯の光しか見えなかった。

「さーて、帰って寝るか」

人が寝るには遅く、人が起きるにはまだ早い時間だった。


ー「五章」ー

彼女と半ば無理矢理に結ばせた約束を彼女は守った。「あなたみたいな変人が世の中いることを知ったので夜に外を出ることをやめました。」とでも戯言を並べて断ってもいいのに彼女はちゃんと約束を守ってくれた。

彼女曰く

「破ったら本当に斬り殺されそうなので…」

らしい。切る気はないのに。冗談が過ぎたようだ。それでも彼女は夜出歩く時、俺の家まで来て俺を知らしてから出かけるようにしている。ご丁寧なことだ。

そして、それ以外俺の人生は大きく変わらなかった。普通に仕事はこなすようにし、武士として仕事に呼ばれる時はちゃんと答えるようにしている。

俺はこんな日が続くのも悪くないと思い。どこか満足していた。


ー「六章」ー

いつものように菊に夜起こされた。

「東上さん、起きてますか。」

菊が扉を開けて中を除いた。俺はこのような生活習慣になれたのか昼寝をして起きたばかりの状態だった。

「…寝み。」

欠伸を噛み殺し、自分なりの返事をする。

「あのー、今日は一人でも大丈夫なので寝ててもいいですよ?」

彼女は申し訳なさそうに言った。

アホ言え、武士に二言はない。自分で結んだ口約束を自分で破る気はない。そう思いながら、ノロノロと起き上がって火の灯っていない提灯を拾った。銭を貯金していたとはいえ、無駄遣いをするのは嫌だから「識色」に付くまでは彼女の提灯だけで夜道を歩くことに決めた。そして提灯に使う油は俺が調達するという形になった。

夜道を歩くことにも大体慣れた。夜の見回りのように、町を一周するだけだった。時節、幕府の見回りの人に会うこともあった。けれどそれは別に大したこともなく、相手も提灯を持っているため、ぶつかることもなく、単に会釈してすれ違うだけだった。

また菊も最初よりも段々と喋るようになった。時間を重ねれば喋る種がいつか無くなるだろうなと思っていたが案外そうでもなかった。

「…やっぱり、文字というのがすごいことを改めて気づいたんですね。」

とか言っていた。自分としては理解できない気持ちだった。

そんな与太話を続けていると、前から足音が聞こえた。

ふと視線を菊から前方へと移すと、暗闇しか見えなかった。

俺は歩く足を止めた。

「?どうしたんですか東上さん」

菊も俺の横で立ち止まって質問してきた。

彼女が喋っている途中でも草履が砂利を踏む音が聞こえた。

俺は大声で聞くことにした。

「おい、誰かいるのか」

菊も俺の視線が向く方向に視線を向けた。

ジャリ、ジャリ、ジャリ

答えっようとする声は聞こえなかった。

そしたら提灯の光の中に前屈みでのそのそと歩いている老人のような人物が現れた。

菊はほっとして老人に近づいた。

「大丈夫ですか?あの、灯りを持っていないと危ないでしゅー」

菊が喋り終わる前に俺は菊の和服の襟を掴んで俺の後ろへと思いっきり引っ張った。

「きゃ!」

その動作と並行して俺は円を足で書くように老人を蹴った。

「ど、どうしたんですか!?」

混乱している菊を横目で見ながら、俺が右手に持っていた提灯を彼女に渡した。

「馬鹿野郎!テメェこそどうにかしてんだろ!」

俺は手で刀の柄と鞘を握って、いつでも抜刀できる体勢になってそう叫んだ。

「目が見えねぇのか!さっきのジジイ、服が血に染まっていたぞ!」

「っ!」

菊の息を飲む音が後ろで聞こえた。そしてその後の沈黙を破るかのような笑い声が聞こえた。

「キヒヒヒヒヒ、それは面白いことを言うね〜」

そんな酒で溺れた青年のようなゆるくふわりと浮いたような声が聞こえた。

老人はノロノロと起き上がった。けれどそれは老人のような動きをしていた青年だった。老人は東上よりも老けているように見えたが、老人といえるほど歳をとっているようでもなかった。

のそりのそりと起き上がる青年を俺は構えを取ったまま、睨んだ。青年は町人の服装をしていた。ただ服は真っ赤に染まっていて、金持ちが来ていそうな服に見えなくもなかった。それが目の前にいる青年の血のものなのか、誰か違うものなのかは見ただけで判断することができなかった。

「どこが面白いんだ」

あくまで冷静にけれど強い声音を含んだ声で言い返した。

「目が見えねぇてのはこういうことだろ?」

彼が顔を上げると彼の表情が見えた。後ろで菊が怖気ずくのが聞こえた。

青年の顔は綺麗なものだった。俺よりも歳上そうなのに俺より若く見えた。ただ彼の眼があるべき場所には眼がなかった。まるで何かにくり抜かれたようにそこだけ真っ赤かだった。

「きひひ、何も思い通りにならねえな」

彼はジリジリと砂利に草履を擦りながらこっちに歩んできた。

「動くんじゃねぇジジイ!」

俺は人を斬るのに慣れている。そして人が斬られることを見るのにはもっと慣れている。そのように育てられたからだ。

いつでも相手を切り倒せるように刀と目の前のジジイに集中した。菊は俺の後ろで怯えた小動物ように隠れていた。

きひひひ、と笑いながら彼は近寄ることをやめなかった。

「ひひひ、冥土の土産に連れてってやるよ」

そして彼は俺に向かって飛びかかってきた。彼の手には血まみれな小さな剃刀があった。だが彼の攻撃は弱く、とても儚かった。眼がなく、視覚を奪われた彼の動きは本能だけで動いているような非力さと焦燥感があった。

剃刀が刀に勝つわけもなく、まして眼が見えない人に侍が勝負で負けるわけなかった。

俺はジジイの胴を腰から肩を下から刀で斬った。

彼は斬られて、数歩前に歩いてからうつ伏せに倒れた。

「へっ・・へっ」

彼は肩に乗っていた疲れが取れたような明るい感じで微笑んだ。

「きひ・・ひ、」

体の緊張が抜けるように息を吐いた。相手が動く気配はしなかった。後ろを見ると菊はまだ怯えていた。手を伸ばして彼女が大丈夫であることを確認しようとした。

「おい、大丈夫か、」

けれど俺の手は菊の手で弾かれた。

「あっ、いや」

そして菊は狼狽した顔で弁解しようとして、

「す、すみません」

とだけ言い残して暗闇に逃げていった。

暗闇には俺と死体だけが残っていた。どこからか騒ぎを聞きつけてきたのか、見回りの人が駆けつけてくる音が聞こえた。


後に聞かされた話、彼は生まれつき片目が見えない体質だったらしい。今の時代、立体感覚を持たないことは彼にとって致命傷だったらしい。そのせいで彼は家族とうまく行かず決別、そのあと青年は身を粉にして頑張って周りに認められるように頑張ったが、その努力は家族に報われず、逆上してあのようになったということらしい。

どれも、俺には関係のないことだった。

この事件のあと俺は菊に会うことがなくなった。夜どれだけ待っても彼女が俺の家の戸を叩くことも、開けることもなかった。


ー「七章」ー

店の中で私は着物の糸を縫っていた。

あああ、いやだ。いやだなー。

私はあの事件のあと、店の中で引きこもっていた。外に出たくない。人に会いたくない。彼に会いたくない。

あの事件から東上さんは私が色を見れないことを知っただろう。それはそうでしょう。血まみれの人を見ても怯えなかったのだから。

私には色が見えない、それは物心がつく前でもそうだった。私には色というものが何で、色がどのようなものなのかわからなかった。

親は呉服屋を営んでいて父は9代目となっていた。父が営む子の店「織色」は本家の分家に位置ずく店だった。けれど歴史を持っていて、仕事をするにはちょうど良い店だった。私はそこの長女として生まれた。けれど、生まれた時に色が見えないことを知ると親は絶望した。店を継ぐのは不可能だと思った父は弟に店を継がせることにした。私は別にそのことをどうとも思わなかった。ただ弟が一生懸命頑張っているところを見るのは心苦しかった。自分が担うべき役目を誰かが担ぐのはとても気が晴れるものではなかった。そのせいか私は弟とあまり喋ることがなかった。

そして弟が本家へと弟子入りになると聞いた時私はどこか安心した。家にいることが楽になると思った。けれどそんなことはなかった。弟と親とで回していた店を私も手伝わなくてはならなくなった。私には染色することもできなかったため、布を縫い付けることしかできなかった。

それは前よりも悪かった。店に役目ができるということは店を離れることができなくなるということと同義だった。私は店に縫い付けられる用になった。そのため、外に出られるのは夜だけになった。親は夜は危ないと言って止めようとしたが、これ以上縛るのも良くないと思ったのか私を宣伝という意で私に許可を与えた。


それから私は朝よりも夜に歩くことが増えた。暗く包まれた夜道を歩くと私は死者になったような気分になった。色がなく、白黒の世界。その気分はどこか嬉しかった。美しさを知る者がいない世界、私だけがいる世界。それはとても居心地が良かった。

そして私は彼に会ってしまった。あの侍さんに。彼はおかしい人だった。私に色が見えないと知った人は私から距離を置くことが多かった。けれど彼はそうでなかった。噂を知っていてもそれを本当と思わなかった。そのためか、私は彼を望んだのかもしれない。彼が私の何かを変えてくれるのかもしれない。

けれどそんな淡い期待は潰された。あの事件に会うまで。

私は怖いのかもしれない。傷ついている人を認識することができなかったことが。そしていつか東上さんを傷つけていることにさえ気づかずなくなってしまうことが。いつか、私は東上さんを見ることができなくなってしまうことが。

いつか来るのかもしれにない。そしていつか来るのなら。自分から終わらせた方がマシだと私は思った。


ーある夜、私は親に起こされた。今日珍しいものが見えるから外に出たらどうだ。と言われた。私はちょっと疲れているので寝てます、とだけ言って断った。別に眠いわけでも疲れているわけでもなかった。親がなぜ夜起きたのかにも興味はあった。けれどそれほどのものを私は見るべきではないと思った。私が見ても変わらないだろうと思ったから。だから断った。私は布団に寝転がって、じっとすることにした。じっと。目を開けず。外の声に耳を傾けず、ただじっと。

そして私は聞こえた

「おーい」

何かに引っ張られる感じ。何かに呼ばれる気持ち。布団から起き上がり私は急いで店内に降りていった。

ああ、来ないでください。

自分の本心が微塵も籠ってない声でそう願った。

そして彼の姿が見えた。彼は堂々と店の前に立っていた。

「おい、外へ出るぞ」

それだけだった。私を心配していたそぶりを見せず。当たり前のように彼はそう言って待っていた。

「な、なぜですか」

「珍しいものが見れるからだ」

「わ、私が見てみ意味がないですよ!色が見えないのわかっているんでしょ!私が見てもっ」

そして彼は急に私の腕を握って引き寄せられ。私を抱えた。

「ごちゃごちゃ、やかましい。百聞は一見にしかずていうだろ」

私は彼に抱えられながら外に連れ出された。そして眩しかった。夜空は眩しく、光っていた。

「わぁ」

呆気に取られた。空が光っていた。いつも孤独だった月が何百とも言える大量の星に囲まれていた。周りを見れば誰もが空を見ていた。太陽もなければ提灯もないのに影ができていた。夜なのに周りの人の顔がはっきりと見えた。色が見えない私でも綺麗だと思った。何も見えていない私でもこの景色は見えた。

「天の川だとよ」

彼は夜空を見ながらそう呟いた。

「ある友人が今日見れると言っていててよ。見せたらどうだと言われた。」

彼の目には空がどのように写っていたかはわからない。自分とは違うことはわかっているけれど、この景色を見て感じるものは違うんだろうか。

彼は空から目を離してこっちを見た。

「で、どうだ、色が見えなくても綺麗だろ。」

東上さんの言う通りだった。空は綺麗だった。色が見えない私でもはっきりとわかるぐらい綺麗だった。

ああ、もう本当にこの侍さんはなんだろうか。

「見てよかっただろ?」

本当になんだろうか。

「…はい」


俺たちは孤独に生きることもできた。平和な時代の侍として。色の知らない機織りとして。時代に合わずにただ置き去られることもできた。けれど俺たちは孤独を選ばなかった、偶然であっても俺たちはそれを手放そうと思わなかった。

俺は彼女を理解することはできないだろう。生まれながらにして色を知らないことがどのようなことなのか。生まれながらにして周りの期待に応えることができないことが。

けれど同時に彼女は俺を理解することができないだろう。教え込まれた技が必要とされないことがどのようなことなのか。生涯を掛けたものが必要とされないことがどんなことを意味したのか。けれど理解できないからと言って、それを拒む必要はない。理解に苦しむからと言って、自分自身が苦しむ必要はない。無理をする必要はどこにもないのだから。

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