第伍章の伍【帰還】2/3
老夫婦に礼を言い、ユリアたちは家路につく。陽はすでに傾き、空が赤く燃えている。
ユリアの前を歩くゴダイが満足そうに鼻歌を唄っている。そんなゴダイの背中に、ユリアは声をかけた。
「楽しそうね」
ゴダイが振り返る。
「そりゃあまぁ、御馳走になったわけだし」
「ゴダイは不安じゃないの?」
「何が?」
「その……これからの生活とか、そういうのよ……」
「……まあ、全くないって言ったら嘘だけどさ……でも、前よりは幾らかよくなるはずだよ。保護事業はなくなったし、ハナたちにも生きていく場所が出来た。あとは、俺らだって家を確保して、仕事さえ見つければ……」
「でも……どうせ数年後には死ぬのよ。教皇があんな事になってしまったら……薬の開発だって上手くいくか分かんないじゃない? それでも懸命に生きていくの?」
ゴダイは頭を掻きながら答えた。
「でも、それ以外出来ることがないじゃないか。他に俺たちに何が出来るって……あ、っとそうだ。ちょっと待ってて」
そう言って、ゴダイはちかくにあった雑貨屋に入っていった。ユリアが疑問に思い、店に近づいて、中を覗こうとする。ゴダイが店から出てきて、何かをユリアに放った。
「ちょ、ちょっと!」
慌てたユリアは、どうにかそれをキャッチした。それは、
「これ、ほら、約束してただろ? ベヱベヱチョコ食べようって」
「で、これがベヱベヱチョコなの?」
ユリアはベヱベヱチョコがどんなものかは知らなかったが、今手にしているチョコは普通のチョコに見えた。
「いや、普通のチョコだけど……」
「なんだ……ベヱベヱが良かった」
「ユリア、知らないだろ? ベヱベヱ」
「知らないけど、食べてみたかったの」
ユリアは不満を言いながらも、銀紙を破いて、チョコをかじった。さっき飲んだ珈琲とは対照的な食べ物。子供が喜びそうな甘ったるい味。今度、テオやマオにも絶対買ってあげようと、ユリアは思った。
「でも、ありがとうね」
ユリアはお礼を言った。どういたしまして、とゴダイは返した。
と、その時、二人の行く先の大通りから人々のざわめきが聞こえてきた。二人は顔を見合わせて、その大通りへと近づいていった。
それは、デモだった。教会に対しての、複写生命に対しての、そういったデモの大群だった。人々は色彩豊かな文字が綴られた大小様々なプレエトを手にして、声高に叫んでいた。長い、長い行列だった。先頭は見えなかった。それはまるで首のない大蛇だった。
途切れる様子のないその列を見ながら、ゴダイが言った。
「帰ろう」
ユリアは頷いた。夜はもうすでにそこまで迫っていた。
スラムに入り、コミュニティまで残り僅かの所で、ユリアたちは一台の車が停まっているのに気が付いた。ここらで絶対に目にすることのない高級車。教会の車ではなさそうだった。ゴダイがユリアに声をかけ、二人は慎重に近づいた。と、車の影から一人の男が現れた。
「君がユリア・ウォヱンラヰトさん?」
黒いスーツに身を包んだ男が声をかけてきた。ゴダイがユリアを庇う恰好で、彼女の前に立つ。
「そう警戒しないでくれ。私はただの運転手だよ。君たちに用のある人が下で待っている」
そう言って男は、指で挟んだ吸いかけの煙草で、地下への階段を指し示した。
二人は警戒しながら下へと降りていった。ゴダイの左腕が微かな金属音を上げている。
ホオムに着くと、白い丸テエブルにテイスケと二人の男が座っていた。
「ゴダイ君、ユリアちゃん」
テイスケに声をかけられ、ユリアたちは近づいていった。一緒に座っていた二人の男が立ち上がり、頭を下げた。どこかで見たことのある顔だった。
「あなたは……?」ゴダイが尋ねる。
「はじめまして、ゴダイ君。私は民衆院議員のイトウだ」そう言って、イトウは手を差し出す。
「イトウ……? あの……総理大臣の……?」
ゴダイは戸惑いながら、イトウの握手に応えた。イトウが微笑む。それからもう一人の民衆院議員カワノベとも挨拶を交わし、ユリアたちは席に着いた。
ゴダイがテイスケに問う。
「テイスケさん……どういうことなの?」
「い、いや、僕もまだ詳しい話は……で、でも、ユリアちゃんに用があるみたいで……」
「ユリアに?」
ゴダイがユリアを見る。ユリアはゴダイを見返し、不安な面持ちで二人の訪問客に目を向けた。イトウが落ち着いた声で話し始める。
「急に押しかけて、済まないね。実は一つ、君にしか出来ないお願い事があって来たんだよ」
「お願い事……?」
「ちょっと待ってください。イトウさん、そもそも二人は何でここが……」
ゴダイが口を挟んだ。
「ああ、君が懇意にしている警察官から聞いたんだよ。気を悪くさせたら申し訳ないが、これは
「火急の案件……」
「そうだ。ユリア・ウォヱンラヰトさん、君は、リリアンヌ教皇が亡くなったことを知っているね?」
ユリアは頷く。
「それでは、彼女が諸外国と交渉を進めていたことは? 複写生命に隠された、例の細菌兵器の対策に奮闘していたことは知っていたかね?」
ユリアは再度頷く。
「そう……そこまで知っているのなら話は早い。我々政府も、彼女と同様、この国を救うためにある法案を成立させたんだ」
「……御聖廟の解体」ゴダイが呟く。
「そうだ。よく知っているね」イトウが微笑む。「だが問題は、例の通り魔事件でリリアンヌ教皇が崩じられたことだ。これは私たちにも全く予想外の出来事だった。そして、この法案は、御聖廟を動かせる者がいなければ成り立たない計画だった」
イトウが言葉を切って、二人を見た。ユリアは口を開かない。ゴダイも黙ったままだった。
「そこで我々は、リリアンヌ教皇に代わり、御聖廟を解体出来る者を探していたわけだ」
ユリアは目をつむる。耳をふさぎたい。次の言葉は聞かなくても分かる。
だが、イトウはハッキリと言った。
「それが君だ。ナタァリヱ元教皇の血を引く唯一の者。
ユリア・ウォヱンラヰトさん、君に御聖廟を開いてもらいたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます