第肆章の弐【契約】2/2

「えっ……?」

 ユリアは言葉を返せない。

「悪い話じゃないはずだ」

「壱號さん!」サンジョウが声を上げた。

 壱號はサンジョウを制するように手を上げた。

「サンジョウ。ロクムネを呼んで来い」

「でもっ……」

「いいから呼んで来い。早急の案件だ」

 サンジョウはその場から立ち去り、あとにはユリアと壱號のみが残された。ユリアは改めて銃を構えなおし、壱號に相対した。

「……そんなに気丈に構えるなよ」壱號が両腕を広げて、砕けた調子で言った。「だがしかし、理解に苦しむな。どうしてそこまでしてあいつを助けようとするんだ? お前は一体あいつとどういう関係なんだ?」

 ユリアは何も答えず、壱號を睨んだ。

「またその目だ……」

 壱號は呟く。

「……どうしてそういう目で俺を見れる?」ねめつけるようにユリアを見返す。「お前はここに来て、俺に、そうだな、三回は盾突いた。この俺に、だ。正直に言って、俺は戸惑っている。お前は、俺が怖くないのか?」

「……」

 壱號は、小さくため息をついた。険しい表情から一転、口元に笑みが広がった。だが、その微笑みは、ユリアがこれまで見てきたものとは違い――激情に駆られ、狂気に満ちたものとは違い――静謐で落ち着きをたたえたものだった。そして至極しごく真面目な口調でこう言った。

「お前、やっぱり俺の女になれ。今回はこの前の誘いとは違う。純粋に、心からお願いをしている」

 ユリアの眉間に皺が寄った。

「ハッキリ言おう。お前は凄いよ。この俺にそんな態度を取れるんだ。正直、ただの女にしておくのはもったいない」

「……誰があんたなんかに」嫌悪の混じった声。

「……ふむ、まあ、いいさ。連れない態度も悪くない」

 壱號が一歩ユリアに近づく。ユリアは左足を一歩引いて、相手から距離を取った。

「そう、警戒するなよ。もう俺は、お前に危害を加えるつもりはない。これはただの話し合いだ。いいか? 俺はお前の望みを手伝ってやるって言ってるんだ。だから、その代わりにあんな男のことは忘れろ」

「あなた、言ってることが矛盾してるわよ……それに、あなたがゴダイの何を知ってるって言うの? 頭、おかしいんじゃない?」

「はははっ、拳銃一つで警察に乗り込もうとする女に言われたくはないな」

「……そ、それに、あなた、サンジョウさんとそういう仲なんでしょう? ……汚らわしい……」

「おいおいおい、別に俺はサンジョウとは……」

 その時、壱號の後ろから足音が近づいてきて、サンジョウとロクムネが姿を現した。

「壱號さん、何ですか、こんな夜遅くに……ん、これは、一体どういう状況ですか?」

 ロクムネが、壱號を見て、それからユリアをまじまじと見た。

「夜遅くにすまないな。まあ、彼女のことはどうでもいいんだ」

「……はあ」

 ロクムネは目をこすりながら、曖昧に頷く。サンジョウは腕を組み、二人のやり取りを見守っている。

「でだ、ロクムネ。例の件の解析は、いつ頃終わる予定なんだ?」

「……ああ、アレですか? アレなら、もうすでに解析は終わっていますよ」

「何だよ、終わってんのか? じゃあ、出ようと思えば、いつでも出られるってことか?」

「いやまあ、接続は可能でしょう。でもまだシヱパアドを使っての実験をやってないんですよ」

「ああ、そうか。それは、何だ? 検体が一体あれば、すぐにでも済むのか?」

「ええ、まあ。高度ジャックイン‐デバヰスを組みこまれたシヱパアドであれば……」

 ユリアには、二人が交わす会話の内容がさっぱり分からない。完全に置いてけぼりを喰らった格好だった。

「じゃあ、明日にでも一人、いや余裕を見て二、三人用意しよう。それなら問題ないだろう? ただ、問題はだ。御聖廟が開いているときにしか出来ないことだな……そこのところはどうにかならないのか?」

「いや……うーん、すみません、恐らくそれは無理ですね……そもそも御聖廟っていうのは、これまでの教皇の脳を仮死状態で眠らせてあるものなんです。つまり、本来消えてしかるべき脳の神経電位を、高度演算処理基匣に繋ぐことで、延々と引き延ばしているんです。そうやって、本来であればカンマ数秒後には消えてしまうような思考を騙しだまし生かしているわけです。だから普段、御聖廟の地下基匣が高度演算処理を行うときには、意識は眠らせたままなんです。なので、実際に接続をして過去の精霊と意識の交流を行うとなると、キチンとした手順を踏んで覚醒状態にしないといけないわけです」

「ふむ……」

「その覚醒にかかる時間も、ざっと半日ほどと考えられています。さすがに、御聖廟を襲ってから、半日も立てこもるわけにはいかないでしょう」

「ははは、そりゃあまず無理だ。シヱパアドとそんなに長く殴り合いは出来ない」

 壱號は乾いた笑い声を上げて、それからサンジョウを見た。

「サンジョウ、次の開帳日がいつか、調べがつきそうか?」

 サンジョウは組んでいた腕を解いて、小さく肩をすくめる。

「まあ、国会の採決がいつ取られるか分からないけれど、女の子を何人か貸してくれれば、数日の間には」

「そうか。すまないな、いつも」

 壱號が礼を言うと、サンジョウは少しはにかんだ顔を見せた。そして壱號はユリアに向き直った。

「と、言うことだ」

「……?」

 何が言いたいのか、ユリアにはさっぱり分からない。

「お前の彼氏を助けるのは、次の御聖廟襲撃と同日とする」

「……なっ」

「実際、あいつが捕まっている留置所と、御聖廟のある第主雅蘭大教殿だいすがらんだいきょうでんは、目と鼻の先の距離だ。どうせ、襲撃するのなら……」

「ちょ、ちょっと待って! さっきから話を聞いてると、また襲撃って……」

「そうだ。何か問題があるか?」

 壱號の声がすごむ。

「お前の目的は、あいつの救出。俺たちの目的は、御聖廟の襲撃。お前の目的があろうがなかろうが、俺たちの襲撃は行われる」

「……でも、また大勢の犠牲者が出る」

 壱號が憐れむような目でユリアを見る。そして溜息をついて言った。

「これまでも教会と小さな小競り合いは続けてきた。加えて、各地で俺らを模倣した者たちが大勢出てきている。俺はそれを止めないし、これからも続けるつもりだ。お前はそういう事実をすでに知っていたはずだぞ?」

 壱號が言葉を切る――ユリアの理解が追いつくのを待つかのように。そして続けた。

「にもかかわらず、だ。お前は、今度の襲撃に関しては、止めろ、なんてことは言わないよな?」

 ユリアは何か言い返そうとしたが、言葉が見つからなかった。そう、結局の所、自分の見えている範囲でしか物事を図っていなかった事に、彼女は気が付く。

「だから、襲撃に関しては、お前が何かを言う権利はない。加えて、俺たちがお前の望みを叶えてやるって言ってるんだ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いは全くない」

 壱號が再び例の不愉快な笑顔を見せて、サンジョウとロクムネに同意を求めた。二人は曖昧に頷くだけだ。

「じゃあ、そういうことだ。御聖廟の開帳日が分かった時点で、計画を開始する。分かったな?」

 壱號はそう言い残して、去っていった。ロクムネがその後を追う。

「……とりあえず、今は何も言わないでおとなしく従うべきだと思う」

 サンジョウはユリアにこっそり声をかけて、その場から立ち去った。

 ユリアは一人、暗闇に取り残され、銃を下ろし、自分の無力さに泣きそうになりながら、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。

 ――まるでゴダイを助けるために、悪魔と契約をしてしまったみたいだ。

 ユリアの顔に、深い苦悶の色が滲んだ。

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