第参章の弐【総会議】2/3
レイガナが会議室にいる面々を見渡す。誰も口を開かない。だが、イトウは一つだけ、どうしても確認したいことがあった。そしてそれは、ここにいる者たち全員の総意でもあった。そう、詰まる所、歪な鉄の腕、彼らは一体何者なのか?
しかし、誰もそれを質問しない。理由は明白だった。今日の会議を行うにあたり、イトウは教会から事前通達を受け取っていた。内容は極めて簡易なもの。教会は戰略歩兵部隊研究所とは一切関係がない――ただそれだけの文面だった。
この通達は、会議室にいる全員に送られているのだろう。だが、とイトウは思う。二十年前の戦時中、この手の研究を誰一人知らなかったということが、本当にあるのだろうか。教会が積極的に関与していなかったとしても、この種の人体実験を知らなかったはずがない。それにもかかわらず、今、教会は先手を打ち、通達を出し、知らんふりを決め込んでいた。きっと、彼ら〝歪な鉄の腕〟の出自をうやむやにしたまま、話を推し進めるつもりなのだろう。
それでも構わないのだろうか? いや、彼らの事をハッキリさせない限り、問題の解決は恐らく難しいだろう。
「改めて、確認したいことがあるのですが……」
声が上がる。イトウの向かいに座る、あの野党党首だった。
「どうぞ、オオクマ君」
オオクマはレイガナに頭を下げて、立ち上がり、そして単刀直入に尋ねた。
「まず、彼らを含めた複写生命の研究に関して、戦時中、教会はどこまでご存じだったのでしょうか?」
レイガナとタケミカヅチが、オオクマを鋭く睨みつける。
「事前に通達したように、複写生命の研究は、我々教会の預かり知らぬところで行われていた。だから、一切、何も把握はしていなかった」
レイガナが答える。それからオオクマは、貴族院議長の方へ向き直る。
「あなたも何も知らなかった、そういうことでよろしいですか?」
ダイスマンは、溜息をつき、伏せていた目を上げて答える。
「何を聞きたいのかよく分からないが、戦時中、私は議長でも何でもない。何の地位にもなかった。だから、何も知らない」
「でも、あなたは当時、貴族院国防顧問だったはずです。違いますか?」
「君、貴族院議員の役職顧問なんてものは、形式的なものに過ぎない。そんなことくらい百も承知だろう? 財務顧問、外務顧問、国交顧問、いくらでもあるが、全部ただの名ばかり顧問だ。実際の政治運営は、そこにいる総理大臣ならびに民衆院議員から選ばれる閣僚で行われている。そんなことも分かってないないのか?」
ダイスマンはイトウを見ずに指差して、オオクマに応じた。
「いえ、失礼致しました。では、当時、国防顧問ではあったけれども、知らない、そう言うことでよろしいですね?」
「ああ、そうだ」
ダイスマンが面倒くさそうな声で答える。小さなざわめきが、会議室内に広がっていく。オオクマは、そういった空気をものともせずに、質問を続けた。
「ではまあ、彼らの出自は、当時の軍閥系民衆院議員や官僚によるものだとしましょう。ですが、ここでもう一つ、大きな疑問があるんです」
オオクマは言葉を切って、座っている他の者たちを見回す。
「彼らが、襲撃時に言っていたように、もし研究所を抜けたのであれば、あの腕は一体どういうことなんでしょう?」
「……腕?」
「そうです。あの腕は、どう見ても機械の腕でした。もし彼らが、戦後、研究所から逃走したのであれば、あの腕をどうやって調整したのでしょう? 戦後八年の間に、彼らだって成長しているはずです。加えて、彼らの持っている武器や装備、これらだって、そこらの闇市で手に入るものの量や質を越えています」
聴衆は皆、彼の話に耳を傾け始める。
「では、そこで何が考えられるでしょうか? 彼らは、教会や我々が行ってきた保護事業に対しての報復を目的として動いているように見えます。ですが、彼らが持つ不釣合いな装備や人的資源は明らかに度を越している。したらば、想定しうる答えは一つです。彼ら襲撃者の後ろ盾になっている組織がある」
「後ろ盾……」レイガナが呟く。
「そうです。彼らはただ単に、この国の不満分子というわけではありません。裏にはきっと、教会や政府に対しての何かがいます。それは
ですから、どうでしょう? 我々は、今回の件を対処療法的に処理するのではなく、より体系的な枠組みで事件を解決していくべきではないでしょうか。それはもちろん、〝歪な鉄の腕〟以外の反社会的勢力への捜査の拡大でもいいでしょう。もしくは対外政策の方針転換でもいいでしょう。この国には、優秀な諜報機関がありますしね。協力して、一致団結すれば、問題はきっと解決できるはずです」
オオクマが大仰に両腕を広げて、演説を締めくくった。満足げな表情で席につくオオクマを、イトウは若干の感心の眼差しで見た。
「……君の言う通りだろう」レイガナが同意をする。「彼らの裏に大きな組織がいるのは想像に難くない。確かに問題は根が深く、一朝一夕で解決は出来ないだろう。我々は互いに手を携えていかなければいけないね」
オオクマが話し始めた時は、不愉快な表情をしていたレイガナも、今や、その若い議員の話に上手く乗せられていた。それも当たり前だった。何故なら、先ほどのオオクマの長口上は、ここにいる者たちの同意を目的にしたものだったからだ。しかし、彼の言ったことには、一考の余地があるとは言え、何の根拠もない。だが、それでも教会としては、倒すべき敵を――かつて自分たちが黙認してきた複写生命であるよりも――統一中華や東亜細亜群国帯といった仮想敵国に定めた方が、都合が良かった。もし、この目の前の若い政敵がそこまで見越して、今この場のささやかな支持と流れを作ったのであれば、中々の才覚だとイトウは感じた。だが一体、彼はどこへ向かうつもりなのか。
「ええ、であればこそ、これからの対策をみんなで考えていきたいと思うのです」オオクマはそう言って、タケミカヅチら警護局の面々の方を向く。
タケミカヅチは、眼鏡のレンズ越しにオオクマを一瞥し、それからレイガナを見た。レイガナが厳粛な面持ちで小さく頷く。そして警護隊長は立ち上がった。
「今のオオクマ氏の話を引き継ぐ形になりますが、我々の今後の対策及び方針をお伝えします。まず、似て非なる者の保護活動についてですが、こちらに関しては、警護隊による見廻りを今まで以上に強化し、一般市民からの通報に迅速に対応出来るよう人員の配置転換などを行ってまいります。また、見廻りの地域ですが、これまでの事件や襲撃から、より広範なものにしていく必要があると考えています。具体的には、未再開発地域、並びに廃棄された地下区域になります。ここらに潜む潜在犯の一掃を……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」老齢な貴族院議員の一人が声を上げた。「す、すると何ですか? 警護局の方々はこれまで以上に保護を進めていくということですよね?」
タケミカヅチは何も答えずに、呆れたような視線を老人に向ける。老議員は怯まずに言う。
「彼らは、複写生命事業の廃止を要求しているわけですよ? それなのにまだこんな事を続けるんですか?」
「……私の知能が足りないせいなのか、あなたのおっしゃることの意味がさっぱり理解出来ない。彼らは経典でいうところの禁忌です。極東御十教の忠実な信者であれば、彼らを保護しない理由が見つからない」
「……っ、だが、彼らの暴力を見ただろう! こ、このまま闇雲に保護を続けても……それに、民衆院のアイゼン氏のことだってある」
「何ですか? あなたは、自分が殺されるかもしれないから、保護事業を止めろというわけですか?」
「い、いや、そういうわけではないが、そこも含めて検討していくべきではないのか? 違いますか? ダイスマン議長」
老議員はダイスマンに話を振った。ダイスマンは冷めた声で答える。
「あなたも、随分歳を取りましたね。臆病風に吹かれているようですが、ここで保護事業をやめるのは、ハッキリ言ってナンセンスだと思う。彼らの要求に屈することは、絶対にあってはならない」
「で、ですが、実際に人命がかかっているのですよ? 今だって、どこで誰が狙われているか……」
「あなたが心配しているのは自分の命だけでしょう?」
「なっ……!」
「歪な鉄の腕にしろ、似て非なる者にしろ、襲撃者を容認することは出来ない。彼らに屈することはあってはならない。そんな簡単なことも分からないのであれば、今すぐこの場から出ていっていただきたい」
恐ろしく蔑んだ調子で、ダイスマンは言い切った。老議員は顔を真っ赤にして、椅子に座った。イトウはこの哀れな議員に同情した。だが、ダイスマンの言うこともまた正しかった。
「この際だから、貴族院議長として言っておく。貴族院としては、今後も似て非なる者の保護を積極的に行っていく予定だし、その勢いを弱めるつもりはない。これは、テロリストを排除すると同時に、経典を守るための闘いでもある」
ダイスマンは居丈高に宣言をした。隣に座るレイガナは目をつむり、口を閉ざしている。
「ねえ、イトウさん。あなたも私と同じ意見でしょう?」
突然話を振られ、イトウは慌てた。いつもは自分を見下しているダイスマンが、イトウに同意を求めていた。自分に都合のいい時にだけ人を利用する、そういう身勝手さに、イトウは不快感を抱く。小さくため息をつき、イトウはゆっくりと言葉を選びながら慎重に答えた。
「ええ、ダイスマン議長の言うことは至極もっともだと考えます。私たち民衆院も一致団結をし、襲撃者の要求に屈しないようにしなくてはいけません」
当たり障りのない答え。これで話が終わればそれに越したことはない。だが、ダイスマンは質問を続けた。
「例の複写生命管理法、そちらの審議は進んでいますか?」
ソウジ・アイゼンが殺されるきっかけとなった法案。そして襲撃者が取り下げを要求している法案。イトウは、暑くもないのに、胸ポケットからハンケチを取り出して、額を一拭いする。答えるまでの
「……当初の通り、教会が望むのであれば、それは結果的に国民の望むものになりましょう。私たち民衆院が、その法案を通さない理由はありません」
やらないとは言えない。だが、やると明言しがたいものもある。ダイスマンの顔にわずかな不満が表れたのに、イトウは気が付く。彼は言葉を固く続けた。
「我々は、経典にしたがい、似て非なる者を保護していくことには賛成です。ただ、すみません、一つだけ確認させてください。警護隊や保護隊が、スラムや地下を捜索して、彼らを保護していることは存じておりますが……場合によっては……言葉がきつくて申し訳ないのですが……武力衝突が起きることもあると聞いています。それはまず、事実なのでしょうか?」
ダイスマンが、タケミカヅチを見る。タケミカヅチが事務的に答えた。
「ええ。ですが、もちろんそれは、彼らが抵抗したりした場合に限ります」
「その時に、その……被害者も出てきますよね?」
「残念ながら。件数は少ないですが、ごく稀にあります」
「……その、まあ、そこで、一般市民を巻き込んだりすることはないのでしょうか? 一部のスラムでは、警護隊による傷害事件があったと聞きましたが……」
「根も葉もない噂です」タケミカヅチの断固とした口調。「もし仮にそのようなことがあったとしても、それは不可抗力の結果でしょう」
「不可抗力?」
「そうです。先日の襲撃でも明らかなように、我々の敵はスラムに潜んでいます。その中で、我々は捜索を行っているのです。スラムには、似て非なる者ではない敵が、いないとも限りません。そういった非日常の中では、武力衝突も免れません」
「相手が襲撃者であれば、ということですよね?」
「それ以外に何か?」
「いえ……先程話されていた対策の中で、スラムの一掃を行うように聞こえた箇所があったように思いましたので……ただスラムにいるだけで、迫害や暴力を受けるようなことがあるのかどうか、確認をしたかったので……」
「イトウ総理、そんなことは一切ありません。ご安心ください」タケミカヅチが慇懃無礼に頭を下げる。
「ねえ、君は一体どこからそんな根も葉もない噂を聞いたんだ?」ダイスマンが問いかける。「超高度情報網?」
「いえいえ、違います。人の口に上がるのをどこかで聞いた程度です」
そう言って、イトウは首を横に振った。イトウには、ダイスマンの質問の意図が分かっていた。〝神の御加護〟――それがキチンと機能しているのか、確認をしたかったのである。教会の都合の悪い情報を監視し、削除し、勝手のいいように人々を導くそれは、教会に仇なす者が潜んでいないか、常に世界を見守っていた。
そう、それはどこにでも現れることが出来る――まるで聖霊だとイトウは思った。
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