第弐章の弐【捜索】2/3
森林公園の東屋付近一帯に、黄色と黒の
ユリアの行く先に、警察官が一人、姿勢正しく立っていた。ユリアは足を止めた。東屋に近づくことは出来そうにない。だが、何が起きたかを知ることは出来るかもしれない――そう考えて、ユリアは警官に近づいた。大丈夫、相手はシヱパアドではない。
「すみません、この先には行けないんですか?」
ユリアは警官に尋ねた。声に僅かな震えが滲む。警官はユリアを一瞥し、一言だけ返した。
「そうだ」興味のなさそうな冷たく無機質な声。
ユリアはしなを作り、似合わない笑顔で警官を見上げた。
「何か、事件でもあったんですか?」
若い警官は、ユリアにジッと見つめられ、目をそらした。
「……一昨日ね、ちょっとした傷害事件があったんだ」
「傷害事件?」ユリアが繰り返す。「誰が誰を襲ったんですか?」
ユリアが首を傾げて、警官を覗きこむ。警官は少しだけ姿勢を崩して、仕方なさそうに答えた。
「……シヱパアドが襲撃されたんだよ」
あの夜の事件の事だった。実際にはシヱパアドが襲ってきたのだが、そのことを指しているに違いない。ユリアは驚いた様子をしてみせて、核心を突く。
「……犯人は? 犯人は捕まったの?」
警官は、誰かに聞かれていないように辺りを見回して、何かを答えようと身をかがめた。と、その時、警官の背後から三人組の男の声が聞こえてきた。警官が急いで姿勢を正したので、ユリアは彼の答えを聞きそびれた。
東屋のある方角から、ユリアたちの方へ向かってくる三人組。二人は背広で、ユリアの目には刑事に見えた。残る一人は、高身長の大柄な体躯、そして白い聖衣を纏っていた。坊主頭に曇りガラスの機械式眼鏡――シヱパアドだった。
三人組は何かを熱心に話しこんでいた。彼らがユリアたちのそばまで来ると、警官が敬礼をした。
「お疲れ様」
三人組の一人がそう応え、テヱプをくぐった。ユリアは顔を隠すように、帽子のつばに手をかけた。その三人組を直視出来ない。鼓動が激しく鳴っている。一昨日のシヱパアドではなかった。背広姿の二人はユリアを気にもせず、そのまま横を通り過ぎた。ユリアは彼らの話し声の中に、アイゼンという単語を認めた。そして、二人の後ろをついていくシヱパアドだけは、ユリアの姿を目に止めた。
数秒の間。
だが……それだけだった。聖職者は何も言わずに、そのまま去っていった。
ユリアは激しくなる鼓動を抑えるために、息を大きく吸おうとした。パニックになりそうだった。見張りの警官は、三人組が遠くに行ったのを確認してから、ユリアに向き直った。
「ちょ、ちょっと君、大丈夫?」
警官が驚く。ユリアは顔面蒼白だった。
「大丈夫です。多分ちょっと立ちくらみみたいもので……」
悟られないようにそう言って、ユリアはその場を離れた。三人組とは別の方向へ向かい、公園を出る。場合によっては、公園内の雑木林を通り抜けてでも、例の東屋に行こうと考えていた。でも多分それは出来ない。シヱパアドがあそこにいた事実に、ユリアは足がすくんだ。コミュニティに戻った方がいい――ユリアは足早に街に入っていった。
街中はひどい人混みだった。理由は、土曜日であること以上に、明日開催の皇女の即位式、その前日祭のせいだった。
日ごろあまり外に出ないユリアにとって、これは非常な災難だった。人混みに流されて、なかなか思うように進めない。周りにあふれる人たちの楽しそうな会話やざわめき、華やかな出店や屋台の数々、そういった色めく街中で、ユリアは一人、自分だけが浮いているような気がした。ユリアは自分の服を見下ろした。それから、周りを行く人々の服を見た。空を見上げれば、十字架が刺繍された三角旗が揺れている。
ユリアは喧噪の中を抜ける途中、ベヱベヱチョコの屋台を見つける。一つ、百
大通りを抜けると、人混みも落ち着き、ユリアはやっと息をつけた。レンガ造りの住宅、個人経営の小さなブティック、そういう建物が軒を連ねている。平静をいくらか取り戻したユリアは、辺りに気を配りながら、コミュニティのある廃墟へと向かう。
その時、ふとユリアはあるものに気が付いて、掲示板の前で止まった。それは市内報などを張り出す、どこにでもあるような古くさい掲示板だった。だが、そこにある一枚の張り紙が、ユリアの眼をひいた。見たことのある顔がそこにあった。
〝探し人〟――それは行方不明者を探す張り紙だった。この高度情報化社会にそぐわない恐ろしくアナログな手法。そこに、ナナヒト・シュウジの顔写真が載っていた。ユリアは、まじまじとその張り紙を見つめた。この時代に、こんなものを、一体誰が張ったのか――信じられない気持ちで、ユリアは張り紙の文字を追っていく。そして気が付く。これは彼の両親が貼り出したものだ。
辺りを見回す。これを張った者がまだそばにいるのではないかと思ったのだ。だが、辺りの人はまばらで、ユリアとその張り紙に注意を向ける者はいない。
ユリアは困惑した――これは駄目だ。彼の両親が何を思って、これを張りだしたかは知らない。しかし、彼は複写人だ。この張り紙をシヱパアドが見て、何が起こるか。彼の両親が禁忌に手を出したことが、明白になる。彼の両親も何らかの処罰を受けることになるだろう。
その一方で、ユリアはナナヒトに少しの嫉妬を覚えた。彼は多分愛されている。何故ならば、どんな形であれ、こうやって探してもらえているのだから。だが、ユリアはすぐに思い出す。自分を捨てた、あの時の父親の顔を。そう、結局、自分たち複写生命の最後はいつだって、きっと絶望しかないのだろう。今はまだ、彼も愛されているのかもしれない。だけど、どれだけ遺伝子が同じだろうと、複写人は元の人間の代わりにはなれない。それが分かった時、仮初の愛は終わるのだ。
しかし、一体どうすればいいだろう。今、あのコミュニティにいる限り、ナナヒトはとりあえず無事だ。だが、彼の両親が息子の安否を気にしている。この事を伝えるべきだろうか? ユリアは悩んだ。結論は出ない。ここで考え続けるわけにはいかない。ユリアはその場を立ち去ろうとした。だが、すぐに引き返し、掲示板から張り紙を剥がして、ジインズの後ろポケットに突っ込んだ。誰かに見られていないかと辺りを伺う。
そしてユリアは急ぎ足でその場を離れた。シヱパアドが近くにいるかもしれないと、恐れた。また、張り紙を剥がしたことにも少なくない罪悪感を持った。けれども、アレをあのままにしておくことも出来なかった。あれでは、自分の息子が複写生命であることをシヱパアドに喧伝するようなものだ。だが、もしかしたらあの掲示板以外にも張り紙があるのかもしれない。ユリアが剥がした一枚には何の意味もないのかもしれない。
けれども――とユリアは思った。何かしらの行動を起こさなくてはいけない。自分たちの生活を守るために。何故ならば、それを壊そうとする理不尽な暴力を、ユリアはすでに知っていたからである。
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