第7話 令和で果てる男達へ
拓実は「人は何故、結婚をするのだろう。」と考えていた。27歳で結婚をした時、里奈を一生大切にして子供達と素晴らしい家庭を作ろうとこれから始まる結婚生活にワクワクした責任を感じていた。しかし結婚をして、愛し合い、子供ができ、セックスレスになり、男女から家族になった。里奈は母になり性欲が落ち、子供に全エネルギーを集中するようになり、拓実はおさまらない欲求を持て余し他の女性に目移りをするようになった。以前、隣の席にいた不倫をしていると思われる男女の会話で「なんであなたは奥さんがいるのに私とお付き合いしているの?」との質問に、男性が「妻は家族だからだよ、君だってお父さんとセックスしないでしょ?」と真面目に答えているのを聞いて笑ってしまったことがある。古代からの女性が持つ「自分の遺伝子と自分をより安全で豊かな環境の中で守って欲しい」という本能と、古代からの男性が持つ「遺伝子のリスク分散をする為に、なるべく多くの女性に遺伝子をばらまきたい」という本能の違いが、これまで世界各国で過去数千年の間、数々の悲劇と喜劇を作ってきた。昭和の中期が子沢山であったのは、「強い男と弱い女」の構図が生殖行為において都合が良かったからだと考えている。戦後不況のどん底で、男性は企業戦士となり、家長として家族から敬われ、家族を守るプレッシャーとストレスを開放するように「か弱い女性」である妻を貪欲に抱いた。それは獰猛な肉食動物が草食動物を襲いたくなる欲求と似ている気がする。先進国になった今、女性の社会進出は「両性の平等」という観点からはフェアなことであり望ましいことではあるが、「繁殖」という観点から見ると、草食男子と肉食女子の組み合わせに加え、性行為以外の楽しみが蔓延している現代社会では少子化の方向に向かうことは自然の流れである。これの兆候は日本だけでなく多くの先進国でも同じである。欧米では専業主婦を望んでいる女性が少ない。彼女達に理由を聞くと「自分の存在意義を感じるためにも社会との繋がりを持ち続けることが大事だから。また、どんなに今が幸せでも離婚をするリスクは決して低くないし、その時に一人でも生きていける力を持つことが必要だと思うから」と言う。昭和時代の日本は夫婦喧嘩をすることがあっても離婚率は低かったが、現在の離婚率は年々と増え続け、欧米並みの35%になっている。結婚コンサルタントの友人によると「今は晩婚傾向に加え、結婚を望まない若い男性が増えており、結婚を希望する30代以上の女性が大量に余っている。結婚に前向きでない若い男性の話を聞くと、『子供は欲しいと思うことはあるが、金銭的にも時間的にも制約をされることを考えると結婚にメリットを感じない』と言う。」とのこと。
昭和の俺様男性と従順女性による肉食動物型から、平成のお姫様女性と執事男性の女王蜂型を経て、令和の男女関係はどうなっていくのだろう。女性がワンナイトのヤリ目男子(セックス自体が目的の男性)に嫌悪を感じることは理解できるが、男性が生涯責任のマリ目女子(結婚契約自体が目的の女性)に対して嫌悪を感じることも理解できる。両方とも愛よりも自分の損得しか考えていない点では同じことだろう。
拓実は考える。恋人同士でいる期間は幸せな男女が多いのに、結婚をすると家庭内外でパートナーを批判してイライラしている夫婦が多いのは何故なのだろう?それならずっと恋人同士でいる方がよほど幸せなのではないか?しかし、子供が欲しい男女は両親が責任をもって守り育てる必要がある。そして妊娠、出産、子育て期間に女性が働くことが制約される期間はお金を稼いできてくれるパートナーが必要なことはフェアなことなので結婚というシステムは理にかなっている。他方、子供を必要としていない令和時代の「か弱くない男女」は「生活費や家事をしてもらうために相手を必要とする」のではなく、お互いが経済的にも家事的にも自立をしたお互いに尊敬できて人生の価値を共有できるパートナー同士が、一人では満たされない充実した時間を過ごせる精神性が大切だと考える。しかし、このすばらしい関係に結婚契約を重ねてしまうと、二人の関係が、なれあいや損得という色褪せたものになっていく。
拓実の友人から「老後の介護はどうするつもりだ?」と聞かれるが、「介護の為に何十年もストレスを溜めて結婚生活を送るより、ストレスがない快適な環境下で一生懸命に働いて、快適な老後が送れるようにお金を稼ぐことのほうがよほど健康的。」と拓実は答えている。
拓実は1930年生まれの女性小説家である大庭みな子さんの「幸福な結婚というのは、いつでも離婚できる状態でありながら、離婚したくない状態である」という言葉に共感をしている。しかし、現在の結婚契約は「財産分与をしたくないから愛がなくても離婚しない」とか「愛がないけど夫の退職金が入るまでは我慢して、退職金の分与をもらってから別れる」とか相手に愛がなくなった時に本末転倒の形になりやすく、「いつでも離婚できる状態」とかけ離れているので、この考えを令和版に、「幸福なパートナーというのは、いつでも別れることができる状態でありながら、お互いが別れたくない状態である」に置き換える。拓実のパートナーが資産が多い女性であろうとなかろうと、お互いに相手の財産は相手のものであることを理解して、それに爪を伸ばそうとするような卑しさを持たずに、尊敬と共感できる価値で結ばれて充実した一生を過ごしていきたい。そして拓実が果てる間際にもし財産が残っているようであれば、これまでの愛と感謝の証として全てをそのパートナーに渡したいと思っている。結婚をしている方が相続税が有利なことなどわかっているが、そんなことはどうでも良い、その方がお互いにとって幸せな関係でいられると思うから。
昭和、平成、令和と劇的な変化が起こった中で、同世代の男たちはどのように果てていくのだろう。誰の選択も正解、不正解を論じる話ではないが、過去と現在に選択をしてきた意思決定の結果が、現在と将来に現れてくることは全員の人生において確かなことである。
令和で果てる男達へ kazman @kazman
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