第15話
次第に道は峠を越えて下りに差し掛かってくる。峠道は頂上のあたりがやはり狭矮かつ峻険で、次第になだらかな道になっていく。だがリヒト山のこの山越えの道は、ヴェルナー砦側からやって来て峠道に差し掛かってすぐが、つづらおりのちょっとした難所になっているのだった。
一家の先頭に立つ狼は、時折斥候として先行していったかと思うと、ガレオンら騎士団の様子を伺っていたのだが、道がそんなつづらおりに差し掛かりはじめると、不意に思い切ったことを言い出すのだった。
「近道して、連中の前に出よう」
恐らく彼らは峠を越えた向こう側で検問を敷いて、ハリエッタたちを待ち伏せするつもりだろう。とは言えそれをどこで行うかはガレオンの裁量次第で、確かにハリエッタ達にしてみれば彼らが網を張っているところにのこのこ進み出ていくわけにも行かず、むしろそうやって彼らが待ち構える体制を整える頃にはすでにその地点を通過出来ていれば、言うことはなかった。
でもどうやって?
ハリエッタが疑問に思ったところで、慎重に吟味しているような悠長な局面ではなかった。狼がそう言った時点でもう即断即決、次の瞬間には茂みをかき分けて、今度こそけもの道のような側道に踏み入っていくのだった。
ハリエッタは馬をいったん降りて、エヴァンジェリンの乗るミューゼルの背に二人でまたがった。エヴァンジェリン一人では難所で馬を御しきれないかも知れない、という思いからだった。空いた馬の手綱は後続の父に託した。仮に一頭がここではぐれてしまったとしてもその時はその時だ。
あとはただ、狼を信じてあとに続いていく。
すでに彼方の空が白み始めていた。月明かりは心ともなく、一歩側道に入ってしまえば夜闇はますます深くなった。
狼はこれでもあとに続くハリエッタらが通れそうなルートを選んでくれているのだろうが、それでも相当に肝を冷やさざるをえない道のりだった。岩場をさらさらと流れる沢に沿って、苔むした岩の上を順繰りに飛び移っていくように一つずつ伝い進んでいく。馬が足を滑らせればそのまま斜面を滑落していく、そんな危険がずっとつきまとうルートだった。しかも狼はそんな斜面を勝手知ったる様子ですたすたと進んでいく。そのくらいの歩速でないとガレオン達に先んじることは難しいのかも知れず、表だって抗議の声を上げるわけにも行かなかった。多少危なっかしくとも、ここは大胆に無理を強いる局面であった。
そんな岩場の斜面を駆け通した先、さらさらと流れていた沢が次第に小川と呼べる水量になってくると、一行はその河原沿いを駆け足で通り過ぎていく。やがて周囲を囲んでいたうっそうとした茂みから抜け、地面が平坦になっていくと、ハリエッタはついに山越えを終えたことを知った。
「連中は追い越せたと思う?」
「分からない。とにかく今は走るんだ!」
狼を先頭に、ハリエッタ達は見通しの良い荒地をひたすらに駆けていく。
「ここまで来ればもう発見されようが追いつかれようが、なるようにしかならない。とにかくヴェルナー砦に駆け込むんだ」
狼はいう。砦に駆け込みさえすればとにかくガレオン達の追撃はかわせたとみてよいだろう。だがハリエッタらにとってはそこがゴールではなく、姉リリーベルを奪還するためには、そこからが始まりなのだった。
さて、一方のガレオンはと言えば――。
彼ら一行は夜明けごろに山越えを終えたものの、ついにハリエッタ達一行に追いつくことが出来なかった。夜通しの行軍で疲弊していたせいもあっただろうが、ガレオンは苛立ちを隠し切れなかった。
「連中は一体どこへ消えてしまったというのだ」
「馬を潰す覚悟でひたすらに駆け通したか、あるいは側道に分け入って未だ山中のどこかに潜んでいるのか……」
部下は問われるがままに思いついた可能性を並べてみたが、何を言ったところでガレオンの苛立ちが晴れるわけではなかった。
ともあれ、ガレオンは部下達に街道を封鎖する指示を出した。周辺の巡回も命じはしたものの、よほど念入りな迂回路を取らない限りは一行は必ずその場所を通るはずと見越し、あとは彼らがすでにここを通過している可能性について、対処が必要であった。
「半分、俺についてこい」
「どうするのです?」
「取り敢えずヴェルナー砦までは様子を見に行ってみよう」
「……自分はそこが引っかかっているのです。彼らがクリム家の名を騙ったとして、何故ヴェルナー砦に身内が捕らえられているなどという話を持ち出してきたのでしょう? 本当に救援の必要があるならば、別段身分を偽るまでもなく我らとて事情くらいは聞き入れもしますし、単に身分を偽って贅沢がしたかっただけなら、そのような厄介事を持ち出す必要もないのでは」
そう所見を述べたところで、当のガレオンの不機嫌がまさにピークを迎えている事に気づき、慌てて口をつぐんだ。
命令通り、半分は検問のためその場に残り、あとの半分はヴェルナー砦に向かって駆けていく。上官がいかにも不機嫌そうに無言を貫くと、部下たちも不要な私語は慎まざるを得なかった。
やがて、進軍する彼らの行く手に馬影が見えてきた。やはりクリム家一行は先行したまま逃げ切っていたのか、だがそれもそこまでだ……と思ったが、どうやら様子が違っていた。
明らかに、数が多い。
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