どろぼう・たっぷり・死ぬまでにしたい

「じゃあ。最後の曲いっくよー。死ぬまでにしたいみっつのこと!」


 気が付けば夏希なつきの出番は終わってしまったみたいでホールの中は知らないアイドルたちであふれていた。それに歓声をあげている人の多さにも驚いた。知らなかった世界がそこにあったし、これだけの熱量があるのならばこの熱量で世界が作られているのも分かる気がした。これだけのエネルギーがどこかへ消えてしまうはずもなくて物語の世界を形成するのに使われているのだと思うと、少し納得できるような気がしてくる。


 それにしても夏希を見に来たのに出番が終わったのは残念でならなく、熱気を後にホールからこっそりと抜け出した。今日はこのまま帰ってしまおうかと悩んでいた時だ。


「どろぼうー!だれか捕まえて!」


 突然響き渡った叫び声はホールの中の爆音でかき消されて、聞こえている者は少なく、それに反応できるのは自分だけだとすぐに悟った。

 とっさに走り出したもののそれらしい人物はおらず、間違った方向に走り始めてしまったと不安になりかけた頃。目の前から息を切らした若い男性が走ってくるのが目に入った。


「どろぼう?」


 その問いかけが聞こえたのかどうか定かではないがこちらの姿を確認して向こうが足を止めた。手にはアイドルの衣装らしきものが抱えられていて。それが盗まれたものであるとしたら先ほどの叫び声とも一致する。


「どけよ。こっちは必死なんだ。ケガするぜ」


 そう言われても今状況でどうしたら素直にどけるというのだろうか。みた所武器もなにも持っていないというのに。なぜ自信満々なのだろうか。


「知らないぞ」


 そう言って彼はマイクを取り出す。すると、不思議なことが起きる。辺りが黄昏時に染まり彼自身が一瞬光に包まれたかと思うと次の瞬間に彼の姿はなくなっていた。代わりに居たのはアイドル。それも先ほど彼が抱えていたはずの衣装を着たアイドル。


「こうなりゃたっぷり時間はある。覚悟しろよな」


 声は変わっても口調は変わらず。物語の力がこうも自由なものだと感じたことはなかった。まあ、別人になれるのだ。これくらいの変身なんて当然なのかもしれない。でも、彼が語り部だった。そしてアイドルになった。そうだとして、どうしようというのだ。戦闘能力なんて皆無に見えるのだけれど。


 とりあえず捕まえないことには先に進めなさそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る