92 りんご飴と桜の空

 福井の市街地から西の方角には山が連なっているが、その向こうは海だという。


「日本海側の海ってあんまり馴染みがなかったけど、綺麗だったね」

「いつも東京で見てる海とは全然違いますよね」

「金沢で食べたごはんも美味しかったし、さっきの蟹も大きくてびっくりしちゃった。久志ひさしさんが綾斗に『蟹食べよう』って言うの分かる気がするな」

「捕れたての蟹じゃなかったのが残念ですけど」

「それでも十分美味しかったよ。捕れたてなんて東京むこうに居るとなかなか食べれるものじゃないし、今度またシーズンの時に連れて来て」

「勿論。是非味わってほしいです」


 東尋坊とうじんぼうの帰りに、少し遅めの昼食を食べた。

 海からの道沿いには蟹の看板を掲げた店が幾つもあったが、綾斗が選んだのは観光客があまり足を向けないようなこじんまりした食堂だ。

 生憎あいにく蟹のシーズンが終わったばかりで、冷凍蟹が綾斗には不服だったらしい。蟹に関するこだわりは、久志譲りのようだ。


 まだ時間が早いからと言って、市内をぐるりとドライブする。平坦で空の広い町は京子にとって目新しいものばかりだった。

 路面電車の走る繁華街を抜けた所で、大きな川の堤防に桜並木が続いているのが見えて、京子は「凄い」と歓声を上げる。


足羽川あすわがわの桜は有名なんですよ。少し歩きますか?」

「うん。停められる?」

「問題ありません」


 西に移動したせいか、昨日見た桜より花は開いている。平日にしては花見客も多く、交通整理の警備員もちらほらと見えた。

 綾斗は細い道に入り込んで、時間貸しの駐車場に車を滑り込ませる。


 今まで意識した事なんてなかったのに、隣を歩く彼の仕草や声の一つ一つが気になってしまう。

 人というのはこんなに変わるものなのだろうか。

 悟られぬようにと振る舞うと逆にぎこちなくなり、呼びかけられた返事が上擦うわずってしまった。「どうしたんですか?」と心配される始末だ。


 川沿いに並ぶ屋台をひと巡りして、京子は小さなリンゴ飴を片手に堤防の桜を仰ぎ見た。


「散っていく桜を見ると寂しいって思うのに、咲き初めだとワクワクしちゃう。そんな楽しい事言ってられる時じゃないけど……今は、良いかな?」

「良いと思いますよ。気力も体力も万全にしておかないと、何か起きた時どうにもなりませんから」

「いつ敵が襲ってくるか分からないもんね」


 「ですね」と笑って、綾斗がふと京子に尋ねる。


「そんな京子さんに、一つ質問させて下さい。俺の兄貴って、どんなタイプだと思います?」

「え? 綾斗のお兄さん?」


 彼の意味深な表情に、京子は歯を立てたリンゴ飴から一度口を放して小首を傾げた。

 綾斗は4人兄妹の次男で、下に双子の妹がいるという。


「そうやって聞いて来るって事は、想像できないような感じの人なの?」

「まぁそうかなっては思います」


 聞かれるまで頭にもなかったが、『綾斗の兄』と言われるとどうしてもベースが彼の顔になってしまう。彼と正反対──と考えても、うまく想像ができなかった。


「綾斗をもう少し大人にした感じ……じゃないんだよね。メガネは掛けてる?」

「小さい頃はそうだったんですけど、今はコンタクトです。色々想像しておいて下さい、きっと大分違うと思うんで」

「……面白がってるでしょ」

「予備知識ですよ」


 最後に見せた不敵な笑みに不満を覚えつつ、京子はリンゴ飴にかじりついた。



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