83 ひたすら泣いた後

「我慢なんてしなくていいから」


 抑えきれない涙ごと、綾斗あやとに抱きしめられる。

 わっと泣いた声が廊下に響いたことに驚いて、慌てて京子の自室へ入り込んだ。それでも誰かに聞かれてしまうかもしれないと思ったけれど、これ以上は我慢できない。


「やよいさん、どうして死んじゃったんだろう」


 彼女とは冬の初めに会ったばかりだ。次がやって来ないなんて考えもしなかった。

 もう言葉を交わせないと思うと、子供の様に泣きじゃくる事しかできない。

 次から次へと浮かんでくるのは、彼女との楽しかった記憶ばかりだ。訓練したことも、注意されたことでさえ懐かしい。


 綾斗の目にも涙が滲んでいる事は気付いている。3年を北陸で過ごした彼は、京子よりもやよいと近い関係だ。


「私、やよいさんのかたきを取りたいよ」

「京子さん……」

「だって、こんなの許せない。けど……もし、知ってる人だったらって思うと怖いの」


 平野ひらのの所へ行った時、彰人あきひとと三人でそんな話をした。もし仲間だと思っている相手が敵だとしたら──そんな事があるかもしれないと思ってはいたものの、なかなか受け入れられるものではない。

 もしやよいを殺したのがキーダーならば、犯人が特定された時点で粛清しゅくせい対象となってしまう。


「そうでない事を祈りましょう。俺も、戦う覚悟はできています」


 決意を込めるように、綾斗の腕に力が籠る。いつもより冷ややかな彼の声は、胸に溜めた怒りを表しているようだった。


 もうすっかり夜も更けて、明日に備えなければならない時間だ。

 彼の腕の中でひたすら泣いた後も京子はそこを離れられず、背中に回した手を彼の上着から解くことができなかった。


 綾斗が居てくれて良かったと思う。前のままだったら、一人でおかしくなっていたかもしれない。


「そろそろ寝なきゃだよね」

「心細いなら、俺もここに居ますよ」


 綾斗がソファを目で指し示す。

 京子が本部に泊まる時はいつもそこで寝ているが、くの字に置かれた二台のソファは、大人二人が重ならずに横になれるだけの長さは十分にあった。


「じゃあ、お願いしようかな」

「え?」


 断ることができなかった。彼の言うように、心細かったからだ。

 言い出した綾斗にはその返事が意外だったようで、一瞬躊躇ためらうのが分かった。けれどすぐに「分かった」と京子の頭を抱き締める。


「今回の北陸行き、ある程度の警戒は必要だと思います。けど俺、側に居るんで。お互いになるべく単独行動は避けましょう」


 葬儀にはキーダーが何人も来るだろう。誰を見ても京子には味方に思えてしまう自信がある。


「うん。一緒にやよいさんを見送ってあげなきゃね」


 姿の見えない敵は怖いと思うけれど、綾斗の言葉は心強かった。


 翌朝、やよいの葬儀に出席するため、京子と綾斗は新幹線で金沢を目指した。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る