第241話 私とみんなの温泉宿(2)
第一被験者としてOLお姉さんに声をかけたのは、なによりこの人がもっとも高いモラル力を持つからだ。
あいての権利を購入する白リルカ。
あいてに人権を売り払う黒リルカ。
ふたりだけの時間を作る無リルカ。
そんなヤバすぎる代物に関連する『宿泊施設』。
だからこそ、もっとも身の安全を保障してくれそうな信頼できる大人を誘ったのだ。
だって、ねえ。
身近にいる年上って……うん。
姉さん(婚約者がいるのに実妹の貞操を狙っている)
先輩(私を飼う宣言している)
シトギ先輩(私を堕落させようとしている)
先生(生徒と不倫する妻帯者)
鉄壁の布陣だ終わってやがる……。
まあ九割は私のせいなんだけど。なんだけど!
ともかく、たぶんお姉さんとならそうそう危険なこともおこらないはずだ。貞操的な意味で。
社会人の肩書はダテじゃない。
「――とまあ、そういうわけでして」
「なるほどなぁ。きさらぎ駅っちゅうたらウチも知っとるけど……ほんまけったいなカードやねぇそれ」
お姉さんとふたり降り立ったきさらぎ駅。
きょろきょろと見回すお姉さんは看板に気がついて、私が説明してあったことを改めて確認する。
「電車が片道5ポイント、宿泊10ポイント……ここまでくるとアミューズメントパークみたいやね。都市伝説もカタなしや」
「まあ普通に帰れましたからね。さいあくポイントなかったらリルカすればいいわけですし」
「にしても不用意思ぉけど……まええわ。せぇぜぇ一番乗りの栄光をちょうだいしよか」
お姉さんの手が腰にまわる。
あまりにも当たり前に抱き寄せられて、なんか、なん、え、顔ちか……
「お、おね、」
「どした?」
「いえ……」
なんだろう。
いや……おかしなことじゃ、ない。ないけど。
ないのか?
ここには誰もいないし、いいんだけど、けど……この感覚は、なんか無リルカしてるときみたいだ。
この世界には私とお姉さん以外にはいなくて。
だからおたがいだけを見ていてよくて。
そういう感じ……つまり、だから、うぅん……
たしかにここは無リルカの空間なんだ。
私とお姉さんだけの異世界。
なるほどなぁ……
「ぐぬぬ」
「どしたん?」
「ぃえ……」
もしかしてだけどこれ……死地か?
無リルカ旅館一泊……?
一回分の30分でさえ命がけなのに?
お、お姉さんじゃなかったら即死だったか……
「ユミカって旅館とか泊ったことある?」
「あ、あんまりお高いところぅわああああああ?!」
「うぉびびったぁ。なんよ?」
「え、だっ、えあ、い、え?」
いま……ユミカって?
だって、えっと、普段はユミちゃん……え……
無意識なのか……?
無意識にちゃん付けを解除するってそれ、ど、どういうこと? いったいなにが起きている、わからない、けどまちがいなくなにかが起きている……気がする。
「お、お姉さんえっとあの、あえっと、もしかしたら忘れ物したかもしれないのでいっかい帰りません?」
「そうなん? けどポイントもったいないしええやろ。なんとかなるって。そゆのも旅行のだいご味やよ」
「あへぇ……」
ダメだ。
ダメすぎる。
なにがダメってこう、お姉さんにエスコートされるのダメすぎる……こうやってまじまじ見てるとなんか……お姉さんってかっこいいな……なんかお姉さんには頻繁にこういうこと思ってる気がする……
いや流されるな、おちつけこれは無リルカの魔力だ、ふたりきりの空間のせいで周囲の視線やら倫理観やらのタガがちょっぴり外れているだけにゃひぅん?!
「にゃっ、なっ、ちょひぇ、み、なんで耳さわるんですかちょっと」
「ん……ああ、ごめんごめん。なんでもない」
「う、うみゅぅ」
そんな耳たぶふにふにしといてなんでもないことあります???
なんだ、お姉さん、なんだ、完全なふたりきりだとこんな、こんななの? 思えばお姉さんに無リルカって使ったことないな……普段からお姉さんの部屋で会うし、そもそもふたりきりだったから。
でもこれはなんか、違う。
違う。
ふたりきりである以上になにかがある。
おかしい。
だけど、でも、うんと……
「ぁう」
駅を出る、そのささやかな階段でさえ手を取ってくれる。あたりまえのようにして。
そんなことに過剰反応してしまう私に、お姉さんはゆらりと笑った。
「なんよさっきから。ヘンなユミカ」
「いぇ……なんかそのぅ、改まっておでかけってなるとちょっと緊張しちゃいまして」
「あはは。それならよかったわ」
「へ?」
「せっかくユミカをひとりじめできるんやし。……信頼してくれるんはうれしいけど、ちっとくらいドキドキさせたいやん」
「ソ、ソウデスカー」
「いまのとこはご満足いただけとるみたいやけどね」
ひぃいウィンクされたぁ……!
キザったらしいよぅかっこいいよぅ……
……。
……え。もしかしなくても意図的なのか?
名前呼びも過度なボディータッチもすべて?
……ふぅ。
ならよし。
「もぉ、びっくりしましたよおねぇーさん」
「あー。やっぱバラすとアカンか」
「でもドキドキしちゃったのはほんとですよ? もっともっと楽しませてくれるって、期待しちゃいますからね」
「まあ任せえよ」
にこやかに笑うお姉さん。
異様な雰囲気は霧散して、いつも通りっていう感じだ。
これなら主導権を取り戻せる……ッ!
「じゃあ改めていきましょう、ツトメさん」
「おっ、おおぅ」
「あれぇ? どうしたんですかぁツトメさん。まねっこしてるだけですよツトメさん。ねぇツトメさん」
「そないなんども言われたら逆にオモロイな」
「あはは、そうかもですね」
これだよこれ。
お姉さんのモラル力と社会力。
白黒のリルカさえなければこんなにも平和!
やっぱリルカはクソ!
胸のほてりをリルカへの怒りでごまかす私にお姉さんはふと足を止めて、とっても純粋な疑問符を浮かべた。
「まねっこって?」
「え」
「?」
……え。
だって名前……
え。
え?
「……いぇ。べつに。言葉のあや的なやつです」
そう言うとお姉さんはそれ以上気にしないで、またしても私を丁寧にエスコートしてくれる。
駅を降りると、旅館まではまっすぐの道が舗装されていた。こうして見回すと田園風景は森に囲われていて、旅館の異様さが際立った。
まるでその風景もまた旅館の景観をつくるためだけのものみたいな、そういう趣を感じる。
なるほど歩くだけでそこそこ気分の晴れ渡るような、そんな道が――なぜだろう、めっちゃ長い。
おかしいな。
おかしいよ。
まだ旅館についてもいないのにあの旅館が恐ろしくてたまらない。とんでもないことになっているという予感があった。
だけど、だけど、だけど。
だけど――
「いい景色ですね。空気がきれいっていうか」
「せやねぇ」
だけど、それでもいいやって。
誰にはばかるでもなく、誰にとがめられるでもなく。
だから、それでもいいや、って。
そう思ってしまうことが、あるいはきっと、一番恐ろしいことなのだろう。
そんな思いを抱きつつ、私はそしてたどり着く。
ふたりきり旅館。
そのはじめてを、お姉さんとともに。
明日の朝日を、生きて見上げることができるだろうか、私は……。
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