第161話 依存的な不良と落ち着いて(3)
「―――授業、始まってんぞ」
「……そう、だね」
黒リルカの効果が過ぎたころには、とっくのとうにチャイムが鳴っていた。
だけど彼女の腕の中から離れたくなくて、背に回す腕に力を籠める。
「まためんどくせえことになるだろぉが」
「いいよ」
「よくねえよ」
「サクラちゃんと一緒にいる」
「……」
彼女は困ったように吐息して、私の頭に手をのせる。
子供をなだめるような、そんな優しい手つきが不愉快だった。
まるで自分が大人のつもりでいるみたいじゃないか。
節度を持って一歩身を引くことが正しいと思っているみたいじゃないか。
そんな正しさがこんなにも痛いなら、節度なんて知ったことか。
―――そう、思うのに。
言葉は出なくて、ただ、彼女に縋りつくことしかできない。
どう考えたって私が間違っている。
『誰かを選ぶ』という当然の選択をずるずると後回しにするくせに、私が好きでい続けるだけだとそう言ったくせに、彼女の好きをどこまでも貪欲に求めてしまう。
それがやがて底をつくのは当然のことだった。
彼女が私を諦めたように―――いつまでも、私なんかを熱烈に求められるわけもない。
私も、そうなんだろうか。
複数に向ける特別。
それはとても不誠実だけど、私にとってひどく当然の感情で。
でもそんなことをしていたら、私もまたみんなを、自分を、諦めることになるのだろうか。
だから人はひとりを愛して、それが当然なんだろうか。
考えるだけで身の毛もよだつ。
私の特別を、自分にさえ軽んじられたくはなかった。
私はサクラちゃんを特別に想う。
独占されて、首輪をつけられて、たまに反撃して……そんな風に、ずっと愛し合いたいとそう想う。
この気持ちが尽きることが理解できない。
彼女もそうであると思いたい。
だけど彼女は否定する。
私の独占を拒絶する。
彼女自身も、ほかの誰かも、私を独占しないでいればいいとそう言って。
それは私の現状にぴたりとあてはまるものだ。
私はだれかを選ばない。そうしてのうのうと、今のような関係を続けていく。
選択は苦痛だ。
そもそも私が選ぶ立場であるという傲岸不遜はさておいて。
誰かひとりだけと特別になりたいと願って、そのほかとそうならないことを決める―――そのほかとそうなれないことを受け入れる、それは、なんて苦痛なことだろう。
目の前の彼女と特別になれないなんて嫌だ。
だけどそれは、目の前にいない彼女たちにも言えることで。
だから彼女の要求は、そんな未来を、私の嫌な想像を、柔らかく否定してくれる。
真綿で首を絞めるように、柔らかく、じわじわと。
受け入れればいずれはきっと、私は……
「……ねえ。少しだけ、考えさせて」
結局私はまた、すべてを後回しにするように、そう言った。
彼女は痛ましげに視線を細めて、だけどすぐにからかうような笑みを浮かべた。
「……別に、てめぇが考えることはねえだろ」
「あるよ。あるんだよ」
彼女は私を諦めると言う。
それを跳ね除けても、そんな行動がまた彼女の意思を補強する。
私がどれだけ強く願ったって、私が今彼女だけのものでないことに変わりはないから。
どうしたって、どうしようもない。
だから、考えなくちゃいけない。
彼女だけじゃない。
いまさらになって気づかされた。
関係は、想いは、変わる。
彼女は今、ほかのみんなだって、いつかは。
そうなったとき、今の状況にある私じゃあ、何も言えない。
なにを言ったって、そこに説得力も安心もない。
求めてくれればくれるだけ、私が返したものは空虚に受け取られてしまう。
いまさらなことだった。
どうにかしないといけない。
この状況をどうにか。
この中途半端を、どちらか極端に―――いや、その方向はすでに決まっている。
考えてみればそれは当たり前のことなんだ。
そのためにどうすればいいのかを、考えないと、いけない。
「来週までには、ちゃんとするから」
「……てめぇ」
「サクラちゃんが悲しむようなことには、しないから」
もしも最悪の場合にでも、私にはすべての欲望をかなえるカードがある。
これを悪用することになったって、私は彼女のあきらめを許容しない。してたまるか。
「だから、ね。待ってて?」
私は少しでも明るく振舞おうと笑みを浮かべた。
そのつもりなのに、サクラちゃんはわずかに青ざめて。
どんな顔をしているんだろうと瞳をのぞき込んでも、そこには逆光に縁どられた陰のシルエットがあるだけだった。
まあ、いいや。
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