49.描いていい?
『琥珀も、咲くんの一部にして』
そういって琥珀は、真剣な瞳で咲くんをみつめる。
すると、ふと、困ったような顔で咲くんが笑った。
「はは、そんな言い方されちゃったら困っちゃうよ」
そう言って琥珀から視線を逸らして俯いた。
どうやら琥珀は咲くんを困らせちゃったらしい。
「はぁ、もう、可愛すぎて俺どうしたらいいのか」
「こ、琥珀は本当に……!」
「いやでも、今度はちゃんと、琥珀のペースに合わせて一緒に歩いていきたいから」
そう言って咲くんは首を傾げてこちらに向き直った。
そして一呼吸置いてから、口元に笑みが戻る
「俺も、琥珀の一部になりたい」
「!!」
「どうしたらなれる?」
するり、指先をなぞられる。
ゾクッとするようなその瞳に吸い込まれそうで、琥珀は目をあちこち逸らしてしまった。
ぐぬぬ……咲くんには勝てない……。
どくどく、どくどく、琥珀の心臓はまた暴れ出す。
「こ、琥珀も……咲くんのこと……」
『描いていい?』
そう口に出そうとして、止まった。
描けるのだろうか……今の琥珀に、『人物』が……描けるだろうか。
そう、頭の端で囁く声が聴こえて。
「うん?」
「……かい…………えぇと、でも……うん……」
自信が、なかった。
描ける自信が、なくて。
どうして、どうして自信がないのだろう。
どうして、あの頃は描くのがあんなに楽しかったのに、どうして。
どうして琥珀は、描けなくなってしまったんだろう。
口を噤んだ琥珀の頬に、咲くんが触れる。
ふわりとしたその笑みは、思わずシャッターを押したくなるような、優しくて琥珀の大好きなそんな笑み。
そんな一瞬が長くも感じた。
見惚れてしまう。
そう、いつだってそうだ、琥珀は咲くんの笑みに見惚れて、その一瞬が長く感じるんだ。
「俺は琥珀に無理をして欲しいわけじゃないよ」
そう、優しく囁く声。
「今はまだ、君にとっては不安なことばかりかもしれない。でもね」
ぽつりぽつり、イルミネーションの灯りがついていき、琥珀たちを照らし出す。
咲くんの柔らかい瞳の奥に、芯を感じた。
「俺はいつだって琥珀のしたいことを、応援するよ」
胸がじんわりと熱くなるのを、たしかに感じた。
目の奥も暑くなって、鼻の奥がじんと痛くなる。
目元が潤んできたと思ったら、ぽつりぽつりと、こぼれ落ちた。
言葉にならなかった。
メイクが落ちてしまう、そんなことわかっていても止められなくて。
不安だった。
描けなくて不安で不安で仕方のなかった琥珀の心をすくい上げるように、咲くんの言葉が胸に響く。
琥珀は涙でぐしゃぐしゃになった顔を、咲くんに見せてしまった。
頭を柔らかく撫でてくれるその手に、どうしてこの人はここまであたたかいのだろうかと、ひたすらあなたのあたたかみを感じていた。
イルミネーションと涙で煌めく視界の中、琥珀は強く思った。
『描きたい』と。
この人を琥珀の一部にして、残したいと。
そして絶対に離したくないと。
そう、強く思ったのだ。
涙が落ち着いた頃、御手洗いでお化粧を直した。
はぁあ、咲くんには琥珀のださい所をみられてばかりな気がする。
けれど琥珀は、嬉しかったんだ。
琥珀のすることを応援してくれるって言って貰えて。
琥珀自身を見てくれてるんだなって、そう思えて。
それに応えたいと、そう思えて。
久しぶりに、『描きたい』と、そう思えた自分に、戸惑いもありつつも、確かにこの胸は高揚していて。
確かに、自分のその声を感じ取った。
アシスタントはさせて貰っていて、確かに『描く』という作業は続けられている。
けれど、自分から湧き上がるこの『描きたい』気持ちは、本当に久しぶりに湧いてきたものだった。
お化粧をし直して、御手洗いから出て、待ってくれていた咲くんが手を差し出してくれる。
琥珀は嬉しくて、その手に自分の手を絡めるようにして繋いだ。
いわゆる、恋人繋ぎを。
すると、いつもはなんでもないような余裕そうな顔をしている咲くんが、一瞬肩を上げて驚いていた。
琥珀は、そんな戸惑いのある咲くんが珍しくて、くすくす笑った。
こんなささやかなことが幸せなのだ。
こうしてまた一歩ずつ、琥珀は咲くんに近付いていって。
それが当たり前になる程に、あなたと時を過ごせたなら。
そんな妄想をしてしまう。
煌めくイルミネーション、噴水のライトアップ。
楽しそうな家族や、仲睦まじい恋人たちとすれ違う。
肌が凍り付くような寒さの中、けれどこころはぽかぽかとして、満たされていた。
ここは優しくて幸せな空間が広がっているね。
琥珀の知らなかった世界を、咲くんがみせてくれた。
琥珀を連れ出してくれた。
琥珀もね、浮かれてないわけじゃないんだよ。
そっと、琥珀より背の高いあなたを見あげる。
男性にしては中くらいの背だと思う。
けれど、小さな琥珀から見れば、ずっとたくましい背中。
いつでも守ってくれる、優しくて強い、安心感のある背中。
ちょいちょい、と、琥珀は繋いだ手を引っ張り、木の影まで咲くんを連れ出した。
首を傾げる咲くんに、ちょっと琥珀の方まで屈んでもらって。
そのほっぺたに、ちゅっとキスをした。
ふふっと、いたずらが成功したように笑う琥珀。
驚いた顔を見せてから腕で顔を覆った咲くんは、照れてくれているのだろうか。
「まって……ちょ……っと、え?」
「むふふ」
「あぁもう、やられた」
はぁ、とため息を漏らす咲くんは、ちょっと嬉しそうで、でもたぶん、それを隠したがっていました。
すると咲くんも、琥珀の額にちゅっとキスを落としてから、琥珀と目を合わせた。
「我慢出来なくなりそう」
「がまん?」
「いや、でも琥珀のペースに合わせるから。また逃げられたら俺の心が折れる」
そう言って、ちょっとぎこちなくゆっくりと、琥珀を抱きしめてくれた。
琥珀もその背中に手を回して、幸せに浸る。
「咲くん」
「なぁに」
「琥珀も、いつか咲くんのこと……描きたい」
今度は、言えた。
ちゃんと、言えた。
咲くんは、抱きしめている腕にギュッと力を入れてくれる。
「琥珀のペースで」
「うん」
「描きたくなったらでいいからね」
「描けるかまだ、不安があるの。でもね……咲くんのこと、描きたいなって、思ったの」
どんな風に描きたいとか、いつ描きたいとか、そんな細かいことはまだ全然考えられていなくて。
あの桜の絵を描いた時の衝動のように、その一瞬を永遠にして残したいと思えたなら。
その時に、きっと……。
「ふふ、どんな一瞬でも咲くんは絵になりそうだなぁ」
「どんな瞬間が琥珀の好みなのか、見るのが楽しみだな」
「創作ってそゆとこあるよね」
琥珀も咲くんも、方向は違えど、同じ創作者だ。
そんな繋がりに気付いてまた、嬉しい気持ちになる。
創作は、見てもらう人に自分を剥き出しにするような、そんな一面がある。
恥ずかしさの向こうに、伝えたいものがある。
いつだって創作者は、伝えたいことがあって、そして伝えることをやめられない。
伝えることに溺れる心地良さが、忘れられないから。
幸せな一時を過ごした。
琥珀にとって忘れられない、煌めきに満ちた一日を。
「咲くん、あのね」
そう言って、琥珀はバッグからあるものを取り出した。
「これ……プレゼントなの」
「俺に?」
「そう!」
ここで開けても暗くて見えないから、開けるのは後でにしてもらった。
それから、咲くんからも小さな箱を差し出された。
「俺からも、プレゼント」
「あ、ありがとっ」
「今度つけてきてくれたら嬉しいな」
そう言って咲くんは笑うから、琥珀は中身がとても気になってしまう。
後で落ち着いてから開けよう。
「今日はありがとう、咲くん」
帰り道、車の中からきらきらとした街中を眺めながら、咲くんと手を繋いで座る。
とても満たされた気持ちでいっぱいで、琥珀の心はるんるん踊っているようだった。
「楽しめた?」
「とっても!それにね、嬉しかった」
琥珀は目を伏せて思い出す。
咲くんのくれた言葉、咲くんとの約束、咲くんとみた景色。
冬の外は凍るような寒さだった。
けれど心はとても暖かくて。
「幸せだなぁ」
琥珀はそう、漏らしていた。
「この後ちょっと黒曜に寄るけど、琥珀はどうする?」
「え!黒曜いくの!?琥珀もいきたい!」
「ふふ、じゃあ行こうか」
時間は大丈夫かな?なんて、時計をみる。
まだ20時前で、時間は大丈夫そうだ。
イルミネーションを堪能してから、随分と時間が経っているように感じていたけれど、日が暮れるのが早かったから、こんなに早い時間に切り上げても大満足できたのね。
黒曜に行くと、リンくんが机と向き合っていた。
「ただいま雨林」
「おかえり……あ、こっち帰ってきたの?」
「ただいまリンくん。クリスマスイブまでなにしてるの?」
チッという舌打ちが聞こえた。
リンくんちょっとご機嫌よろしくない?
「別に。今日はこの前撮ってきた資料を描いてただけ。未夜ならその部屋ん中」
「うぉ、働くね、リンくん」
コートを脱いでハンガーにかける琥珀。
咲くんもコートを脱いで部屋に行こう……と向きを変えたのに、戻ってきた。
「琥珀」
「はい」
「今日ずっとコート着てたから気付かなかった」
ハッとする琥珀の今日のコーディネートは、みっちょんが仕上げてくれたおしゃれワンピースコーデ。
その咲くんの声に、リンくんも顔を上げ……数秒見つめあったら目をそらされた。
「可愛い、琥珀。今日こんなにオシャレしてきてくれてたの?」
「わ、わすれてた……」
じっと上から下までみてくれてる咲くんに、琥珀は照れてしまう。
「ふぅん、化粧して行ってきたんだ?ふたりでイルミネーション見に行ってきたんだっけ?」
「うん、そうなの」
「写真は?」
「……………………」
琥珀はその一言で、ハッとした。
写真、撮ってきてない!!!!
「なに、忘れたの?」
「そんな余裕がなくて!!」
あの時……そう、泣いてしまったり、咲くんと戯れていた為に、そう、写真を忘れていた。
イルミネーションの資料も必要だった……!?
「ふふ、忘れちゃってたね」
「……はぁ。プロ意識が足りない」
「そう言わないでよ雨林、俺も気付かなかったんだから」
「咲は話書くの担当なんだから普段撮りに行かないでしょ。いいよ、いおりに聞く」
そう言ってスマホを取り出したリンくんはいおくんに連絡したらしく……あれ、二人も今おデート中なのでは?
「いおくんたちもイルミネーションみにいってるの?」
「観覧車に乗るとかなんとか言ってたから、遊園地にいるかもね」
「観覧車……!?」
そっか、上からでもイルミネーションはみれるもんね!!
琥珀気づかなかった、そんな楽しみ方もあるんだ……。
「じゃあ、来年は観覧車行こうか?」
「来年?」
「うん、またクリスマスに」
丸1年後のお約束を……!?
だ、大丈夫かな、その頃も咲くんと一緒にみられるかな……?
「い、いきたい!」
「うん、いこうね」
にこにこ、ふたりで笑う端っこで、リンくんはため息をついて横目でこちらをみていたのでした。
ピロン、と受信音がして、琥珀はスマホに視線を落とす。
みっちょんからだった。
『もしかして黒曜にいる?』
タイミングからして、リンくんがいおくんに送った文面からわかったんだろうか?
「いるよ……っと」
琥珀はみっちょんにそう返した。
すると、今度は写真が送られてくる。
「咲くん咲くん、心配なさそうだよ」
「ん?あ、ほんとだ」
その写真には、カメラを構えて景色を撮っているいおくんが映っていた。
ガチめのカメラだった。
さすがいおくん、プロである。
「いおりたち、いっぱい写真撮ってるみたいだね」
「これデートだよね?資料集めに行ったのかな?」
「ふふ、まぁ絵を描く二人が揃っていたら、そんなデートもあるのかもね」
「いつかの琥珀たちみたいだね」
次々送られてくる写真には、いおくんのはしゃいだ姿が映されている。
下からのアングルで撮っているだろう姿をみっちょんに撮られていることは知っているのかわからないけれど、シュールだった。
いろんな角度で、可愛いマスコットキャラを撮っているご様子。
これはほんの一部なんだろうな。
『資料たくさん撮ってるから任せなさい』
頼もしい二人だった。
咲くんは自分のお部屋に行ってしまったので、琥珀はソファーに座ってみっちょんから送られてきた写真をみていた。
すると、ベッドのある仮眠部屋の扉が開かれた。
「やっぱり、琥珀来てたんだ」
「未夜くん!!」
前髪がクシャッとちょっと乱れている姿の未夜くんが、顔を出した。
「ちょっと寝てた」
「おはよう」
「おはよ、琥珀。咲も来てる?」
「お部屋にいるよ」
ぐいーっと伸びをする未夜くんも、予定はないようで。
「イルミネーション見に行ったんだっけ?……あれ、化粧してる?」
「むふー!オシャレして見にいってきたのよ!みっちょんの手にかかれば琥珀もちょびっと背伸びができるの!えへん!」
「かわいい」
にこにこーっと、優しい空間に包まれる。
今日も未夜くんは琥珀の癒しだ。
「楽しかった?」
「とっても!」
「そう。よかったね」
咲くんのお部屋の扉が開かれると、現れた咲くんがこちらに気付く。
「あ、未夜。ただいま」
「おかえり、咲。琥珀も」
「ただいま未夜くん!」
ホームみたいだな、って思った。
とても暖かくて大好きな空間、黒曜は第二の琥珀のホームみたい。
「いおりたちもデート行ってるんだっけ。資料撮ってくるかな?」
「めちゃくちゃ撮ってるよ」
そう言ってさっき送られてきた写真を未夜くんに見せると、ぷっと吹き出した。
「いおりとマスコットキャラ、似合わなすぎる」
「似合わないけど、いおくんらしいよね」
「そうだね」
クリスマスイブは、こうして一日を終えていった。
みっちょんといおくんはというと、今日は黒曜には戻って来ず、琥珀はお家まで送り届けられた。
そして、夜10時になった頃だろうか。
『琥珀、家にいる?』
そうみっちょんに聞かれた。
もちろんおうちにいると返すと、みっちょんは『琥珀の家に泊まりたい』と言ってきたのであった。
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