36.咲くんのこと考え疲れ?



『俺が琥珀に、恋してるだけ』




よくよく考えてしまうと、なんだかすごい宣言をされたものだ。






「……はく、琥珀」


「……!!はいっ!!」


「この、トーンで雲の間から光が射す表現なんだけど」




未夜くん先生に呼ばれ、琥珀は原稿作業中に指導を受けていました。


未夜くんの取り出したものは、マスキングテープと、この前琥珀が語りに語っていた消しゴム。




「柔らかくぼかすには消しゴムで消した方が綺麗なの」


「え、すごい綺麗!!」




雲の削りの隙間から差し込む光、あの表現を作り出すことができるなんて。


本当、漫画に携わっている人たちの表現方法はすごい。




「この消しゴム、柔らかくて消しやすいね。せっかく琥珀が教えてくれたからいくつか買ったんだよ」


「本当!?そうなの!トーンもこんなに綺麗にぼかせるんだねぇ」




正直、トーンを消しゴムでぼかせるなんて考えたこともなかった。


砂消しは荒いから削れるんだろうなとは思ってたけれど、まさか砂消しとも仕上がりがこんなに違うなんて。




「雲つくってると、こういう表現もよく出てくる。神秘的だよね」


「本当、きれいだよね。琥珀この表現とっても好きだなぁ」




『好き』


……うん、琥珀の知ってる好きって本来、こういうものだ。


自然と、好みだなって、いいなって思える、これが琥珀のよく知っている『好き』。


気持ちがわくわくするような、好奇心に溢れた好き。




恋愛的な好きが、全然まったくわかんないってわけじゃないの。


ちょっとずつわかってきたことがある。




咲くんといるととってもドキドキしてるの、琥珀わかってる。


ワクワクとは違う、静かな高鳴り。


ドキドキと安心が一緒にあるの。


一緒にいてどうしたらいいのか、わからなくなっちゃう。




咲くんのいない所で、あのキスの意味を考えちゃってたり、頭から離れなかったり、そういうのもあった。




でもね、琥珀ビビりなの。


好きって……認めるのが怖い。


初めての気持ち、止められなくなっちゃわないかって怖い。


これ以上ドキドキしちゃったら壊れちゃうんじゃないかとか。


もっと知らない自分が顔を出しちゃいそうで、それで怖がってるんだって。


知ることを怖がってるんじゃないかって、琥珀思えてきた。




恋愛って、綺麗なことばっかりじゃなくって。


こういう恐怖とか不安とか、今の関係のままでも大丈夫なんじゃないかっていう汚さのようなものもあって。


琥珀はまた、ぐるぐるの渦の中に入り込んでしまう。














「はい!未夜くんの分の玉子焼き!」


「ありがと琥珀。ほんと大好き」


「琥珀も未夜くん大好きー!」




もぐもぐ、お昼ご飯を食べていく土曜日。


今日は赤ちんと青ちん、それから未夜くんと琥珀がアシスタントに入っている。


作業的には中盤に差し掛かった辺りだろうか。


咲くんも玉子焼きとかすきだったりするのかな……?


なんて考えていると。




じーっと琥珀を見つめる視線に、ふと顔を上げる。


隣に座っていた未夜くんが、じっと琥珀を見ていた。




「……な、何かな?未夜くん」


「琥珀なんか……赤い?」


「へっ!?」




どういうことなの!?とほっぺやおでこを手で抑える。


え、え、自分じゃわからないよっ!




「アシスタント作業に集中しすぎた?」


「え、わかんない……でもなんかたしかに背中がぽかぽかするような……」




ふわり、一瞬の目眩。


けれど小さな目眩で体には異常もなくて。




左右を見ても、それ以上の異常は感じなかった。




「眠いのかなぁ……?」


「琥珀には無理してほしくないと思うから、仮眠部屋で…………いや、咲の部屋の方がいいか。寝ておいでよ」


「さ、咲くんのお部屋……!!???」


「そっちのが安全性は高いから」




ビックゥ!!!と肩を上げた琥珀は、お箸を机に落としてしまった。


カランカランと軽い音が跳ねる。


赤ちんと青ちんもこちらを向く。


漂う沈黙が、ただただ気まずい。




「琥珀、咲となんかあったでしょ」




未夜くんのそれは、断定的な言い方だった。


え、琥珀そんなにわかりやすい!?と、さらに顔がトマトのように真っ赤になっていく。




「な、なに、なにもっ別にっ」


「ふぅん」




その時、下から何やら騒がしい言い合いがドアに向かって近付いてきた。




「だから、アンタ目立つんだから迎えとかいらないんだってば!!」


「お前黒曜に出入りするリスクくらい知ってんだろ!?」


「入口からでよくない!?目立つのよその頭のオレンジにでかいバイクは!!ブォンブォンうるっさいのよ!!」


「なっ……バイクかっけぇだろうが!!」


「はいはい厨二乙」


「腹立つ……!!ちょっと一旦下来いよ」


「ちょっどこ行っ……琥珀がすぐそこに……」




遠のいていく声に、そのドアが開かれることは無かった。


ドアの手前で引き返して下の部屋に連れ込まれていったご様子だ。




「いおりはゾッコンだね」


「へ!!?」


「ミツハさんでしょ、あの人がずっと忘れられなかった人」




もしかして、知ってらっしゃる……?


赤ちん、青ちんもうんうんと頷いておにぎりを頬張っている。




「え、もしかして三人以外の黒曜のみんな知ってるようなこと……?」



赤ちんと青ちんが交互に答えてくれた。




「相手がミツハさんだってのは最近わかってきたことっすけどね」


「俺たちアシスタント組なんて特に、最近のいおりさん近くで見てきてるじゃないっすか。デートの時とかも」


「そういえば付いてきてたね」




デート、かぁ……。




「下の奴らが怖がってんのもミツハさん自体じゃなくて……いやミツハさん自体も結構強いのは知られてきてんすけど、いおりさんの想い人になんて恐れ多くて近付けないってだけなんすよね」


「みっちょんが恐れ多がられている」


「もうみんな、ミツハさんも認めてんすよ。黒曜には入ってなくても」




そう、だったのかぁ。


黒曜って優しいなぁ。


みんなもう、いつの間にかみっちょんのこと認めてくれてたんだね。




「ふふ、琥珀が嬉しくなっちゃう」




みっちょんも黒曜のみんなと仲良くなれる日が来るだろうか?


みんなの様子を見ていると、ちょっと難しいのかもしれないけれど、そのうち馴染んでくれたらもっともっと嬉しくなっちゃうなぁ。




ふわふわ、ふわふわしてくる。


んふふ、と、気持ちが少し、ふわりと上がって。




「あ、咲さんだ」


「琥珀、咲来たから……琥珀?」




眠気が最高潮に達した琥珀は、ゆらりと未夜くんの方へと倒れかけて、すっとどこからか伸びてきた手に支えられた。


えへへ、ご飯食べたからかなぁ……眠くなっちゃったよ。




「琥珀、寝るなら部屋おいで」




最後に聞こえたのは、そんな優しい咲くんボイスだった。












ピピピ……




「37.8℃」


「え、うそぉ……」


「口調もとろっとしてるね。風邪?」




一瞬意識を落としてすぐ目覚めると、私は既に咲くんの部屋へと運び込まれていた。




風邪?どうだろう?咳とかないけど……。


ごはん食べたくらいじゃ、そんなに熱上がらないよね。




「寝てなよ」




柔らかい咲くんの声に、ふわりと包み込まれる咲くんのお部屋の香りに、また眠気が誘われる。




「午後のアシスタント……」


「いいよ、大丈夫だから休んでて。いおりも今日は元気みたいだし」


「部屋の外でまた言い合ってたもんね」


「そうそう。あの二人が来てるから大丈夫」




そっか、今日いおくん元気なのか……よかった。


みっちょんのおかげかな、ふふっ。




「琥珀、ちゃんと眠れてた?」




咲くんがそう聞いてくれる。


琥珀は……どうだろう、ちょっと最近は咲くんのこと考えすぎていて……。




「ね、寝てたよ」


「その言い方は嘘だね?」


「む」




一瞬にして嘘がバレた。


琥珀は嘘つきさんには向いてない……いや咲くんが鋭すぎるだけなのかもしれない。




「もしかして」




ふと顔を近づけてくる咲くんにまた、どくどく、心臓が暴れ出してしまう。




「俺のことで悩んでくれてるの?」




かぁっと顔に熱が集まり、咲くんのベッドに寝転んでいる琥珀は、布団を顔の上までぎゅーっと上げる。


言わないでそんな、恥ずかしいことなの琥珀でもわかってるんだからっ!!




「え、本当に?」


「さ、咲くんが!意地悪だっ!」


「意地悪じゃないよ、琥珀が一生懸命考えてくれてるのが嬉しいだけ」




そっと布団を持つ手に手を重ねられる。


暖かなその手に、琥珀の気が緩んでしまう。




そのままチラッと目だけ布団から出せば、ゆっくりと近付いてくる顔があって。


────額に柔らかな咲くんの唇が当たった。




「ふふ」


「な、な、な、」


「琥珀ちゃんは可愛くて仕方がないなぁ」




甘すぎる、甘々すぎる咲くんっ!!!


なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ……!!!




こんなの、嫌いになれって方が無理なお話だよっ!!


なんでそんなに喜んでるの!?


かわっ可愛いと言っていいんだろうか……でも可愛い。


不良さんたちのいっちばん偉い人、めちゃくちゃ可愛いんだけれど、どうしたらいい!?


琥珀おかしくなっちゃったのかな!!?




「このまま構っていたいけど、体に障るかな。眠っていいよ」


「…………このまま?」


「このまま」




咲くんはニッコリと笑うけれど、じっと見られていちゃ眠りにくいよ!!




「はぁ、琥珀が……俺の事考えてくれてるのかぁ」


「……考えちゃうよ、あんな……あんなことされたら……」


「考えて欲しいからキスしたってのが半分、気持ちを止めたくなかったのが半分」


「…………やっぱり意地悪さんだ!」


「琥珀はいつ俺のところに落ちてくれるかな」




柔らかく頭を撫でられ、それから咲くんは立ち上がる。




「明かり消していくから、ゆっくり眠って。何かあったら連絡してね」


「…………うん」




やっぱり、咲くんは意地悪ばかりじゃない。


こういう時配慮してくれる優しい人。


琥珀が眠りやすいように暗くして、部屋を出ていった咲くんは、次に琥珀が起きた時にもまだ部屋に戻ってきてはいなかった。
















起きてからスマホを見ると、どうやら一時間ほど経っていた。


咲くんはどうやら戻ってきていないご様子。




琥珀もアシスタントした方がいいよね、と、よいしょっと起き上がる。


寝る前よりも体が少し軽くなった気がする。




よし、また頑張るぞ!と部屋の扉を開ければ、すぐ前にあるソファーにみっちょんが座っていて、ポテチを食べていた。




「あ、起きたのね」


「みっちょんポテチ」


「いおりがくれたの。帰るわよ琥珀」


「………………え?」




みっちょんの隣にはスクールバッグが二つ。


みっちょんのと、もうひとつは琥珀のだった。




「え、アシスタント……」


「あのまま続けさせるわけないじゃない。それにしてもほんっとココの人はバッタバッタと倒れてくのね。別のアシスタントの子も胃痛で寝込んでるって聞いたわよ」


「寝込んでる!!?」




やっぱりモンエナの飲み過ぎなのでは!!?




「まぁそこまで戦力じゃないらしいから、なんとかやれるんじゃない?」


「も、もし間に合わなかったら……」


「本当の締め切りに間に合えば大丈夫らしいわ」




本当の締め切り……?


本当のって何……?




「まぁそんな大丈夫じゃないから締め切りより早く言われてるんでしょうけど」


「締め切りより早く締め切り日言われてたの!?」


「そうらしいわよ」




なんてこったい。




「まぁ、琥珀の代わりは私がやれるから。たぶん。いおの指示ならいけるでしょ」


「さ、さすがみっちょん……」


「ってことで。アンタは速やかに帰ります。咲さん、下の漫画の部屋にいるから」




そう言うみっちょんに続いて、琥珀は部屋の扉へと向かった。


外に出る前に振り返ると、アシスタント作業中の未夜くんがこちらを向いてバイバイと手を振ってくれていたので、琥珀も振り返した。


また元気になったらお手伝いに来るからね。


お先に失礼しまーす。











いつも通り咲くんたちに送ってもらった琥珀は、お家でも熱を測った。




「38.3℃……!!?」




お熱が上がっていた!




「なに琥珀、お熱あるの?」




ママンにしょぼんとした顔を向けると、ママンもしょぼんとした顔を返してくれた。




「喉の痛みとか、他に症状は?」


「ないの。風邪かなぁ……」


「知恵熱ってこともあるかもね」


「知恵使ったっけ」




…………咲くんのこと考え疲れ……?


いやいや、まさかぁ。


琥珀そんなに弱っち……琥珀弱っちいから有り得るかもしれない?




「知恵熱だったらどうしよう?」


「よく寝なさい?あ、ごはん一応おうどんにしておいたから」


「わぁい」




お腹に優しいおうどん!


これで食べね寝て、また朝お熱を測ろう。







最近、朝夕寒くなってきた。


あの冬がまた、近付いてくる。




もう1年も経つのか、琥珀が琥珀の描きたい絵を描けなくなって。


部屋の壁には、琥珀の絵が飾ってある。


大きな桜の木の絵、琥珀のお気に入りの絵。


その桜の木の下には金髪の男の子がいて、ゆるりとその木を見上げていたんだ。




美しかった、その一瞬を切り取るように描いた。




その絵を見て、ふふっと心が落ち着けられて。


私はすやぁっと眠りにつくのだった。


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