その想い、髪と共に消え。
バスを降りた学生達が、一気に駆け出していく。
朝だというのに既にベットリとした暑さの中、理人はチャイムが鳴り終わるギリギリに教室に駆け込んだ。何も変わらない一週間の始まりに、沸き上がる感情は面倒臭さでしかない。
教室に入り、自分の席に一直線に向かいながら、ある違和感に理人は顔をしかめる。
(ん?三田?)
見間違えか?と思った。違和感の塊がそこにあった気がした。もう一度確認したいが、三田の姿は理人の席からでは振り返らないと見えない。理人が自分の椅子に座ったと同時に「起立」の号令がかかり、朝のホームルームが始まってしまい、その機会を伺うしかなかった。
提出物がある生徒が数人が立ち上がったのを見計らい、理人はちらりと振り返る。三田の席に、三田が座っていた。当たり前のことだが、何かが違う。
(────んなっ!?)
一瞬、何が起こったのかわからなかった。見間違えかと思い、もう一度振り返って見れば、三田のあのくすぐるようなポニーテールが無くなっていた。
提出物を教師が確認しているらしく、教室内のざわざわが大きくなってくる。理人が言葉なく呆然としていると、同じようにギリギリに教室に飛び込んだらしい森が振り返り、「酒井、おは。」と言った。走って来た名残か、今更ながら首筋に汗が滴る。
「なぁ。」
「ん?え?あれ?」
理人が言うより早く、森も気がついたらしい。大きく見開いた目が、その驚きっぷりを表していたが、それ以上に口許は楽しそうに上がっていた。
「何それ!超可愛い!」
ホームルームが終わり、森の声で振り返れば、そこには森の背中に隠れた三田の姿がちらりと見えた。理人は体を少しずらして、それを見ようとするが、はっきりとは見えない。邪魔な森に、少し怒りを覚えた。ただ間違いなく、三田の髪は短くなっている。理人の気持ちを擽る髪先が、無くなってしまっていた。休み時間の度に目に入るショートカットの三田はとても幼く感じられた。
長かった髪をばっさり切るって、そんな簡単なことじゃないだろう?―――理人には、三田がひどく不安そうにしているように見えた。
(まさか?三田には好きな奴がいるのか?彼氏とか?)
母親たちの時代にもあったとされる『長い髪を切る←失恋』の図式は今でも健在だ。今まで考えもしなかったことが急に浮上して、目の前が真っ暗になっていくかのような感覚。
(そうか。いてもおかしくないよな。そうだよな。)
妙に納得してしまい、時間が経てば経つほど心が重く沈んでいくようだった。
理人は、授業中も全く心ここにあらずで、思い出したように板書をとるだけの時間が過ぎていく。いつものように眠ってしまっていないだけ、まともとも言えたが。
昨夜も遅くまで配信に参加していたのだが、それでも驚きとショックに負けたらしい眠気は、とうとう昼休みになるまでやってこなかった。
昼休み。いつものようにお弁当を持った三田がこちらにやってきた。正しくは、森の席に、だ。
「酒井!見て見て!」
森が立ち上がり、近寄って来た三田の手を引っ張って、理人の方にその身体を向けた。
とっくに知ってるわ!―――と、理人は心の中で悪態をつく。森にそれを言う勇気は、相変わらず無い。
「どっか、置いてきた?」
重たい気持ちを押しやって、ふざけたように聞いてみれば、あははと楽しそうに三田が笑った。あまり深刻そうでないそれに、少し肩透かしをくらったような気持ちになる。
「変、かな?」
「いや、…すごい似合ってる。」
「え、あ、ありがとう。」
赤くなって、少しだけ俯いた三田をじっと見ていた。
似合っている。それは理人の心の底から出た言葉だ。正面から見たショートカットの三田は、本当に可愛かった。言葉に出せるわけはないのだが!
「思いきったねぇ!」
森が、相変わらずキンキン声で言いながら、三田のその髪をつまんだ。それを羨ましいと思いながら、理人は見ていたのだが。
「失恋しちゃって。」
三田はそう言って舌をペロリと出した。
聞きたくなかった言葉に、心臓がぐわしっと掴まれるような苦しさを感じた。蹲りたくなるのを必死で堪えた。
(やべぇ、泣いちゃうかも。)
「カイリ?」
気が付けば俯き気味になっていた理人を呼ぶかのように、聞き慣れた名前が森の口から飛び出した。一瞬自分が呼ばれたのかと思って顔を上げたが、森は三田の方を見ていた。
「気になる人がいるんだって。」
困ったように肩を竦めて、三田が寂しそうに笑った。
(え?え?どゆこと?俺が?なんだって?)
まさかそこで、もう一人の自分の名前が出て来るとは思わなかった。昨日、俺は何を呟いたっけ?三田のショートカットに全ての記憶がぶっ飛んでしまっていた。
(そうだ。確かに昨日呟いた。『気になる子がいる』って書いた。それで?髪を?)
「なんてね。」と三田は言って、再び肩を竦めて笑った。
「本当は昔から短い髪が好きだったんだけど、高校入るのに合わせて少し伸ばしていたんだぁ。でもやっぱり夏は暑いし、面倒で。」
(なんだ。この可愛い生き物は。)
泣きそうだったことも忘れて、どうやらじっと三田を見ていたらしい。
「酒井、大丈夫?どしたの?」
三田が、理人の顔の前で手を振る。
その時、ミコからの返信が理人の頭を過った。―――気がした。だからだろうか。今までだったら絶対に出なかったであろう言葉が、口から飛び出した。
「あ、いや。すごい、可愛い、です。」
言った後に後悔しても、もう遅い。理人の顔はきっと真っ赤で、一気に猛暑がやってきたかのように暑い。慌てて逸らした目線を、何の反応も無いことに恐る恐る再び戻してみれば、三田の顔が耳まで真っ赤になっていて、その顔を見れば、理人の後悔も薄れた。
気がつけば森は、こちらを向くように自分の椅子を逆向きに跨ぐように座り、理人の席に頬杖をついて楽しそうに笑っていただけだった。
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