第184話 仏性その二十七 今この瞬間を知れ

 「「時節若至」といふは、「すでに時節いたれり、なにの疑著ぎじゃすべきところかあらん」となり。疑著時節さもあらばあれ、還我仏性来げんがぶっしょうらい(我れに仏性を還し来れ)なり。」

 「時節若至」というのは、「時節は既に至っている、何を疑うところがあろうか」ということである。疑う時というのもそれはそれであるだろうけれど、その疑った瞬間も含めて仏性なのである(疑ったとしても仏性を自分に還してくれ)。

 時節がやってくる、やって来るのを待つというのは仏教ではない。今この瞬間のありのままの事実が真実・真理なのだ。

 残酷なこと、醜いことも世界には溢れている。それもまた事実だ。しかし坐禅した身心となれば、残酷なこと、醜いことの根底になにがあるのかがわかる。

 観念論ではない。現実として事実をありのままにしっかりと受け止めることができる。そしてそうなった時大宇宙の真実・真理に従ってどのように行動すればいいのかが直観的にわかる。

 そのためには坐禅するしかないのだ。

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