第151話 摩訶般若波羅蜜その二十二 坐禅しかない

 「天帝釈言、「不也、大徳、我不見有法是可守護」。(不や、大徳、我れ法の是れ守護すべき有ることを見ず。)

 善現言、「憍尸迦、若善男子善女人等、作如是説、甚深般若波羅蜜多、為守護。若善男子善女人等、作如所説、甚深般若波羅蜜多、常不遠離。当知、一切人非人等、伺求其便、欲為損害、終不能得。憍尸迦、若欲守護、作如所説。甚深般若波羅蜜多、諸菩薩者無異、為欲守護虚空」。

 (憍尸迦、若し善男子善女人等、是の如くの説をなさば、甚深般若波羅蜜多、守護すべし。若し善男子善女人等、所説の如くなさば、甚深般若波羅蜜多、常に遠離せず。まさに知るべし、一切人非人等、其の便を伺求して、損害を為さんと欲んに、終に得ること能はじ。憍尸迦、若し守護せんと欲はば、所説の如くなすべし。甚深般若波羅蜜多と、諸菩薩とは異なること無し、欲守護虚空と為す。)

 帝釈天は具寿善現に言った「いいえ、私は法というものが守護すべきものがあるということを見ることはありません」。

 具寿善現は言った「憍尸迦よ、もし善男子善女人等がこの説いているとおりにするのならば、非常に深い智慧は善男子善女人等を守護する。もし善男子善女人等がこの説いているとおりにするのならば、非常に深い智慧は常に遠く離れることはない。まさに知らなければならない。一切の人や人以外の存在が智慧の手掛かりを求め損害を与えようとしてもそれはできることではない。憍尸迦よ、もし守護しようと思うのならこの説いているとおりにしなさい。非常に深い智慧と仏道修行者は異なるものではない、このことが虚空(この大宇宙、全世界)を護るということなのだ」。

 「法」という個別のものが存在する訳ではない。坐禅して大宇宙と一体となった時が智慧の完成であり、真実・真理を護っている状態なのだ。

 理屈でああだこうだいくら言っても到達することはできない。坐禅しか方法はない。

 脳味噌万能と思っている現代人には納得しがたいだろうけれど、これは事実なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る