第150話 摩訶般若波羅蜜その二十一 「法」で金儲け

 「天帝釈、復白仏言、世尊、若善男子善女人等、於此所説甚深般若波羅蜜多、受持読誦、如理思惟、為他演説、我当云何而守護。唯願世尊、垂哀示教。

(天帝釈、また仏にもうしてもうさく、世尊、若し善男子善女人ぜんなんしぜんにょにん等、此の所説の甚深般若波羅蜜多に於て、受持読誦じゅじどくじゅし、如理思惟にょりしゆいし、他の為に演説せんに、我れまさに云何いかんが守護すべき。ただ願はくは世尊、あいを垂れ示し教へましませ。)

爾時具寿善現、謂天帝釈言、憍尸迦、汝見有法可守護不。

ときに具寿善現、天帝釈につて言く、憍尸迦、汝、法の守護すべき有ると見るやいなや。)

 帝釈天が仏(具寿善現)にまた言った。「世尊、もし説いておられるところの非常に深遠な智慧の完成について、これを常に唱え、教えの理論に従って考え、他のもののために説くときに、自分はどのようにして彼らを護ればいいでしょうか。世尊、憐みをもって教えていただけることをただ願うものです」 

 その時具寿善現は帝釈天に言った。「憍尸迦(帝釈天)よ、お前さんは法として守らなければいけないのものがあることを見るかどうか」

 ここでは「法」というものについて問答が行われている。

 「法」というものは「これこれこういうものです」と指し示すことなどできない。また「法」というものが具体的な「モノ」として存在することはない。

 ではどういうことかというのはこの後の問答に引き継がれる。詳しくは次回以降となるけれど、簡単に言えば坐禅した身心が受け止める大宇宙が「法」である。真実・真理だ。

 言葉では言えないし、こうなれば「法」がわかったということもできない。

 そこにつけ込んで人間を不安に陥れ金を儲けようとする奴らが今も昔も後を絶たない。「わからないのは布施が足りない。寄付が足りない。修行が足りない」などとプレッシャーをかけ追い込んで行って金を巻き上げる。

 坐禅すればいいのだ。ただそれだけ。

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