第137話 摩訶般若波羅蜜その六 布施は坊さんへの謝礼じゃない

 「また六枚の般若あり、布施ふせ浄戒じょうかい安忍あんにん精進しょうじん静慮じょうりょ、般若なり。」

 また6種類の般若(智慧)がある。布施・浄戒(持戒じかい)・安忍(忍辱にんにく)・精進・静慮(禅定ぜんじょう)・般若である。

 この6つを六波羅蜜というのだそうだ。

 布施というのは、今では坊さんにあげる謝礼みたい感じになっている。たくさんお布施を出すと坊さんが張り切ったりする。またたくさんい布施を出す方も得意げだ。怪しげな宗教団体が「お布施が足らないから功徳がない」なんて言って金を巻き上げる時に使ったりしている。

 けれど本来の意味は「自分だけがつがつ欲張らないで皆と分け合おう」ということらしい。

 会社が利益を上げるということは世の中から製品とかサービスが評価されているということだろう。それはいいことだ。けれど会社が存続し続けるためには、顧客のことを考えるのは当たり前だが、従業員の生活や仕入先・下請先の経営にも気を配る必要があるのだと思う。自社のみが利益を上げられればいいというのは間違いだろう。経営者が自分の報酬を上げることのみに執着して従業員や取引先に無理をさせればどこかで必ず綻びが発生する。北海道の遊覧船の事故、富士山での観光バスの横転事故などそういう側面があるだろう。

 どうも今の世の中、布施という智慧がないがしろにされている。そんな甘いことを言っていたら生き残れないというかもしれないが、布施は大宇宙の真実・真理なのだ。改めて利益とは何かを考える時期なんじゃなかろうか。

 タワマンに住んでいる、豪邸を建てた、高級車に乗っている、ブランド物をたくさん持ってる、高額な飲食店で飲食する・豪遊する、こういうものが豊かさなんだろうか。人間が目指すものなんだろうか。人間こういうもののために生きてるんだろうか。

 自分の欲望の充足が人生の目的ならば世の中は荒廃するだろう。

 ロシアとウクライナの戦争もロシアの、プーチンの欲望があるだろう(ただし、ウクライナが絶対的に正しいとは言い切れないとは思っているけど)。

 布施について書いていたら長くなってしまった。

 次回は浄戒(持戒)について書くことにする。

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