第95話 辦道話その八十四 欲望深く上っ面が好き

 「とうていはく、西天および神丹国しんだんこくは、人もとより質直しちじきなり。中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、いとはやく会入えにゅうす。我朝わがちょうは、むかしより人に仁智じんちすくなくして、正種しょうしゅつもりがたし。蕃夷ばんいのしからしむる、うらみざらむや。又このくにの出家人しゅっけにんは、大国の在家人ざいけにんにもおとれり。挙世こせおろかにして、心量狹少しんりょうきょうしょうなり。ふかく有為ういこうしゅうして、事相じそうぜんをこのむ。かくのごとくのやから、たとひ坐禅すといふとも、たちまちに仏法を証得せむや。」

 第十八問答。

 問。インドや中国は、そこに住む人々が実直であある。文化の中心であるからして、仏法を伝えると大変に早く理解することができる。我が国は、昔から人格も智慧も少ないことから、真実・真理に到達するための種が蓄積しない。野蛮さがそういうことにしてしまう、恨まずにはいられない。またこの国の出家は中国の在家にも劣る。国全体が愚かであり、人間の器が極めて小さい。深く欲望の実現に執心して、上っ面のよさを好む。このような輩はたとえ坐禅したとしてもそのまま仏法を実現・実証することができるのだろうか。

 当時の中国と日本では文化の程度の違いは大きかったのだろう。何より、釈尊直系の仏教は道元禅師が帰国されるまで日本には存在しなかったのだから、道元禅師としては日本は野蛮な未開な国でしかなかっただのだろう。

 「ふかく有為の功を執して、事相の善をこのむ」。今の日本だけではなく中国もロシアもアメリカも地球上がこのような状態になっているように思えてならない。

 上っ面の言葉ばかりが横行して、やっていることは欲望の充足ばかりだ。

 そんなことに振り回されてないで、坐禅して大宇宙の真実・真理を実現・実証しましょう。そこにはありのままの世界が有り、直観により真実・真理に基づいた行動しかできない自分がいる。余計な言葉は不要。ただ今の瞬間瞬間を生きることがあるのみなのだ。そしてそのことによってのみ真実・真理は実現するのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る