第85話 髄膜炎
内科系疾患で、頻度の割に診断が難しく、しかも失敗をすれば命を落とすような、手ごわい疾患の代表の一つに髄膜炎がある。髄膜炎の一番難しいと思うところは、疾患頻度はそれほど低くないのに、診断の決め手となる身体所見がないことである。
身体所見でよく言われる項部硬直、髄膜刺激症状は特異度は高いが感度が低く、髄膜刺激症状を伴わない髄膜炎は全然珍しくない。
また、感度の高い身体所見として、Jolt accentuationが挙げられるが、確かに感度は高いが、特異度がかなり低く、jolt accentuationが陽性でも、
「あぁ、ひどい頭痛やなぁ」
以上の情報をもたらしてくれないのである。また、血液脳関門の存在が影響しているのか、細菌性髄膜炎の症例であっても、血液検査では炎症反応の上昇を認めないこともしばしばである。
診断のGold Standardは腰椎穿刺であるが、回収した髄液を速やかに検査できる検査体制を取っている病院でなければ意味がない。もちろん、これはどう見ても髄膜炎だろう、という状態の患者さんはいるが、そういう方の予後は往々にして不良である。
九田記念病院は速やかに検査ができる体制の病院であったが、次の職場であった診療所では、腰椎穿刺をして、速やかに検査する体制があるわけではないので、病歴と身体所見から紹介するのだが、診断の正確さは大したものではなかった(もちろん、見逃さないことを優先するので、どうしても外れは多くなるのだが)。時に診断は当たることもあり、後日、患者さんに感謝されることもしばしばだった。
初めて髄膜炎の患者さんを診断したのは、2年次研修医の時だった。高熱と頭痛、吐き気を主訴にERを受診された20代の女性の方。髄膜刺激症状を認めたので、上級の先生に指導を受けながら腰椎穿刺。穿刺液を速やかに検査に回し、結果を待った。結果は単核球が95%の白血球1500/3,タンパクは増加しており、糖の低下は見られず。結果からはウイルス性髄膜炎と判断した。ご家族、ご本人に結果を説明し、入院とした。ちょうど私が内科研修中だったので主治医を担当。HSV感染症をカバーするため、ゾビラックス点滴を継続しながら対症療法薬でfollow。
経過中一時的に尿閉を来し、泌尿器科に対診を依頼。ヘルペス族ウイルスの中枢神経感染症ではしばしば神経因性膀胱を併発することがあるとのことだった。10日ほどの経過で頭痛は改善。排尿障害はわずかに残存していたが、followの髄液検査では髄液は正常化しており、退院とした。
後期研修中、自分自身が髄膜炎の患者さんに当たることは多くはなかったのだが、同期や先輩はしばしば髄膜炎に当たることが多かったように思う。同期のタマゴンは30代女性の結核性髄膜炎を担当していたことがある。治療には半年近くかかっていたが、患者さんはお元気になられ、当初の不穏、興奮、頻発するけいれん発作を考えると本当に良かった
どう頑張っても、脊椎専門の整形外科の先生にお願いしても腰椎穿刺できなかったが、どう考えても細菌性髄膜炎だろうと思われる90代女性の方を担当したこともあった。
もともと認知症などで施設入所されていたが、ある日、高熱とけいれん発作が頻発し当院に救急搬送。血液検査では高度の白血球増多とCRP上昇を認めた。ERでもけいれん発作を起こし、鎮静剤で落ち着かせ入院管理となった患者さんであった。背中がずいぶん曲がっておられ、正中からのアプローチ、斜めからのアプローチでも髄液の回収ができず、脊椎を専門とする整形外科の先輩にお願いし、アプローチしてもらったが、やはりうまくいかなかった。臨床的に細菌性髄膜炎と判断し、MEPMの髄膜炎量を使って加療を行なったが、第3病日に永眠された。
年次が上がり、時にER当直ではなく、内科当直を担当することもあった。初めての内科当直の時に、他院クリニックから紹介された60代の患者さん。
3日前から頭痛、高熱があり、同院を受診し内服抗生剤を処方されていたが、症状は改善せず、とのことで同院に再診。ショックバイタルとなっており、高熱、頭痛があることから細菌性髄膜炎の疑いでお願いしたい、とのことだった。
「来てもらって結構です」
とお答えし、ERに連絡。
「かくかくしかじかの患者さんが来るので、来られたら呼んでくださいね」
と伝え、仮眠をとっていた。患者さんが来るのを待っていたのだが、全く呼ばれることがなかった。
「あれぇ?おかしいなぁ」
と思っていたら、同日のER当直のリーダーだった、浦先生が主治医としてICUに患者さんを上げていた。起因菌は迅速肺炎球菌莢膜抗原検査で肺炎球菌と推測。培養でも肺炎球菌が同定された。適切に治療が行われ、患者さんは元気になられたが、肺炎球菌髄膜炎でよくみられる後遺症、高度の聴力障碍が残ってしまった。
患者さんは独り身のタクシードライバーで、職場の社長が入院時の保証人となっていた。社長はいい人そうだが、仕事の継続は無理だと思った。ご存知ない方もおられるかもしれないが、聴力障碍者の自動車運転は許可されている(チョウのマークを掲示しなければならなかったと思うが)。しかしタクシードライバーをしようとすると、お客さんに行き先を聞かなければいけない。話を振られれば、相槌を打たなければいけない。そう考えると、やはりタクシー乗務は務まらないだろう。長年タクシーを運転してきたベテランだが、今後どうやって生活していかれるのだろうか?つらい病気である。
以前鳥端先生が担当された肺炎球菌髄膜炎の方は、30代前半の教師の方。私が他科ローテート中のことで、詳しいことはわからないのだが、何とか救命はできたが、高度の高次脳機能障害が後遺障害として残存。意思疎通も困難となり、とても教師の仕事は続けられない状態となられたそうだと聞いた。若い患者さんなだけにつらいものである。
激烈な髄膜炎だけではなく、だらだらした経過の、起因病原体がよく分からない髄膜炎も経験したことがある。
患者さんは20代前半の女性。私の外来に受診される3週間ほど前のある日、突然頭痛を発症したとのこと。翌日37度台の微熱もあったため、近医を受診。鎮痛剤を処方されたが、症状改善なく、2週間ほど前に当院内科を受診。血液検査を行なったが炎症反応の上昇など認めず、前医とは異なる種類の鎮痛剤を処方され、帰宅となっていた。その後も頭痛の改善が見られず、5日前に再度当院内科外来を受診。採血、頭部CTを撮影したが、やはり特記すべき問題なく、さらに鎮痛剤を変更されていた。
にもかかわらず頭痛は改善なし。受診前日に37度後半の発熱があったこと、頭痛も続いていることを主訴に私の外来を受診された。
診察時体温36.7度、外観はややsickで頭痛がしんどそうな印象。嘔気はなし、羞明なし。Neck flexion test陰性、jolt accentuationは陽性。心音、呼吸音に異常を認めなかった。病歴の中で、
「最初に頭痛を自覚したとき、突然、殴られたような感じで頭痛が始まった」
と言われたので、ポリクリの時にみた、警告出血程度のSAHで、頭痛が続いているのではないかと考えた。再度採血、頭部CTを行ない、明らかな病変がないことを確認のうえ、髄液のキサントクロミーを確認するため、腰椎穿刺を行なうこととした。その時点では髄膜炎はどちらかといえば否定的と考えていた。各検査で異常がないことを確認し、腰椎穿刺を行なった。
髄液が出てきたので髄液圧を測定するガラス棒を立てたところ、ゆっくり上昇してきた髄液は予想していたキサントクロミーはなく、むしろやや白濁した感じだった。
「あれっ?もしかして髄膜炎?にしては経過は長いし熱などの症状もないよなぁ」
と思いながら髄液圧を測定する。圧は22cmH2Oと髄液圧は高値であった。採取した髄液を検査科に送り、水分補充目的で点滴し、臥床してもらっていた患者さんに
「先ほど髄液を確認したところ、髄液が少し濁っていた印象でした。髄膜炎かもしれません」
と伝え、髄液検査を待っていた。しばらくして髄液検査の結果が出た。単核球優位で白血球数は3800/3、タンパクは増加しており、糖は低値となっていた。
さぁ、これは困った。患者さんは髄膜炎として入院してもらうとして、治療をどうしようか?単核球優位の髄液白血球増多なので細菌性髄膜炎ではなさそう。ウイルス性髄膜炎でも糖が低下することはあるが余り頻度は高くない。と考えると、真菌性髄膜炎か、結核性髄膜炎か、どちらかの可能性が高いであろうと考えた。残念なことにADAは外注検査のため、すぐには結果が出ない。採血にβ-D-グルカンを追加するのも同じことである。残りの髄液を使って、墨汁染色と抗酸菌染色をお願いしたが、いずれも検鏡は陰性だった。何をターゲットにしようか?兄弟子鷹山先生に相談したが、結論は出ず、師匠の意見を伺った。
「とりあえず、すべてをカバーしよう」
との意見をいただいた。とりあえず、抗真菌薬は保留とし、経過を見て開始することとした。ゾビラックスは使用。CTRXも髄膜炎doseで開始。結核性髄膜炎に対しては抗結核薬4剤療法を開始することになった。薬だけでおなかがいっぱいになるほどの量であった。とにかくそれで治療を開始、治療開始とともに、頭痛は軽快してきたとのことだったが、薬がいっぱいで食欲がないと困っておられた。
たまたま彼女が入院して3日後に、アメリカから研修医教育のため、感染症専門医の先生に来てもらう予定になっていた。そこで、彼女の症例を提示し、先生の意見を伺おうと考えた。急いで症例提示のスライドを作り(もちろん英語)、他の研修医と同様に症例を提示(チーフレジデントとはいえ、私も研修医)した。この症例は熱い議論になった(ちなみにやり取りは英語)。
「この方は肺結核病変はありますか?」
「胸部X線写真では、陳旧性の陰影や活動性のある病変は認めませんでした」
「ご家族の方で結核の方はおられますか」
「いないと思います」
「彼女はHIVに感染していますか?」
「調べてはいませんが、日本の罹患率はそれほど高くないので、おそらくかかっていないと考えています」
そして先生は答えられた。
「確かに日本は結核の有病率が高いですが、この方は若く、そしておそらくHIVにも罹患していないとのこと。胸部に結核を疑う所見がない、ということであれば、おそらく結核性髄膜炎は否定的だと思います」
との答えだった。先生もずいぶん悩まれて、
「mollaret髄膜炎も含めて考えると、あらゆる病原体が起因菌と考えられます。薬の副作用のことを考えると、抗結核薬や抗真菌薬は不要だと思います。ゾビラックスとCTRXを継続し、定期的に髄液検査を繰り返して、その経過で判断してはどうでしょうか」
と提案された。
この翌日はfollowの採血日だったが、肝障害が出現していたため、先生の意見もあり、抗結核薬は中止とした。ゾビラックスとCTRXの点滴を続けながら、定期的に髄液検査を行なったが、白血球数は急速に改善。自覚症状も著明に軽快。髄液検査の抗HSV抗体が陰性であることを確認し、ゾビラックスを中止した。外注の髄液ADA検査が返ってきたが、ADA低値であり、結核性髄膜炎も否定的と考えられた。
自覚症状も消失し、全身状態も、髄液検査の結果も著明に改善していたため、CTRXの点滴も中止し、内服薬はAMPC/CVA 1週間分を処方し、退院とした。結局培養検査でも原因微生物はわからず、髄膜炎の原因はわからないままだったが、患者さんは頭痛も消え、お元気になられた。モヤモヤしたものは残るが、結果オーライ、軽症のSAHと思ったら、厄介な髄膜炎だった、という思い出話である。
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