第39話 学生時代の勉強が役に立つ

 とある日曜日、当直帯に発熱を主訴に60代の女性の方が受診された。受診当日の夕方から38度台の発熱があり、倦怠感があるとのことだった。鼻汁や咳嗽、咽頭痛はなく、関節痛もないとのことだった。数年前に大動脈解離で当院心臓血管外科で手術歴があり、その後定期followされていたが、血圧コントロールは良好で特に問題なく経過されている方だった。


 ご自身は「風邪をひいた」とおっしゃっていたが、バイタルサインはBT 38.4℃と発熱がある以外にはあまり問題なく、身体診察も、結膜の充血なく、咽頭発赤なし、頚部リンパ節の腫脹圧痛なし、心音、呼吸音に異状を認めなかった。上気道症状がなく、風邪症候群は否定的と考えた。腹部症状の訴えがなかったので、腹部診察は行わなかったが、倦怠感が強い、と訴えられ、血液検査を希望されたので採血を行なった。採血結果も白血球数、白血球分画に問題なく、CRPも1程度と低値、LDHが300台とやや高めなのは気になったが、高齢女性で少しLDHが高めに出ることはしばしばあるので、あまり特記すべき異常のないデータだと判断した。身体診察でも有意な所見なく、

 「何かのウイルス感染に伴う発熱でしょう」

と説明し、アセトアミノフェンを処方し、帰宅とした。


 私の外来は当初、水曜日の午前と木曜日の夜に設定されていたのだが、水曜日の午前診にその患者さんが再診で受診された。カルテを見てみると、やはり調子が悪かったようで、月曜日の外来、火曜日の時間外にも受診されており、

 「調子が悪ければ保谷Dr.の外来へ」

 と記載されていた。診察室にご主人と入ってもらい(日曜日のERでもご主人と来られていた)、その後の経過を伺った。解熱剤を飲むと一時的に解熱するが、しばらくするとまた38度台に熱が上がってきて、改善しないとのこと。鼻汁、咳嗽、眼脂、咽頭痛、咳嗽、腹痛、下痢など、一般的な感染兆候はないとのことだった。また前日から、皮膚に赤みのあるベタッとした皮疹が出てきたとのことだった。身体診察では、皮疹があること以外、有意な所見はなかった。倦怠感が強いとのことだったので、再度血液検査を行った。なんとなく嫌な予感がしたので、凝固系も含めガッツリと検査した。


 検査結果を確認してびっくり!!著明な貧血の進行、血小板の著減、LDHは1500台、肝機能も上昇しており、D-ダイマーも著増していた。何が起こっているのかよくわからないが、命に関わるとんでもないことが起きていることは確かだった。何が起きているのか全くわからず、師匠にアドバイスを求めた。ただアンラッキーだったことに、その日はアメリカから研修医の教育のため偉い先生を招聘しており、師匠もその応対で手一杯で、いいアドバイスを得られなかった。


 「何かよくわからんけど、ほっといたら患者さんが死んでしまう!」

と途方に暮れていたところ、検査部から電話がかかってきた。血液を得意とする検査技師のYさんから、

 「先生、フェリチンが2000を超え、振り切れています」

 とのこと。その言葉を聞いた瞬間に、今まで全く意味の分からなかったものがすべて一つのものとしてつながった。


 振り返ること数年前、医学生時代に某生協病院が企画した症例検討会に参加したことがあった。そこで提示された症例は、5年目の先生が離島で経験された、1ヶ月以上続く原因不明の発熱の症例であった。症例の経過を徐々に提示しながら、discussionしていくのだが、なかなか「これだ!」という診断に辿り着けなかった。症例提示をしている先生から、

 「このデータを見せたら、診断がつきます」

 と言われて、提示されたのが振り切れたフェリチンの値であった。そのデータを見て、生協病院の若い先生方は「あぁっ!」と声を漏らしたが、私にはそれでも診断がわからなかった。その症例の最終診断は「血球貪食症候群」という、これまで聞いたことのない病名だった(私の医学生の時には、医師国家試験で問われる疾患の中に「血球貪食症候群」は含まれていなかった(今は含まれているようである))。

 

 「血球貪食症候群」は、何らかの免疫異常が原因で、マクロファージと呼ばれる病原体や異物を貪食、破壊する細胞が、自分自身の骨髄の中で、分化途中の血球を貪食する疾患である。原因としてはEBVなどのウイルス感染症や悪性リンパ腫などの血液疾患が挙げられる。診断のポイントはフェリチン値の著増であり、その勉強会の締めの言葉は、

 「フェリチンが振り切れていたら、血球貪食症候群か、Still病(成人発症Still病も含め)をまず考えよう」

ということだった。


 検査技師さんの電話で、そのことがすぐ頭に浮かび、そうすると、とっ散らかってわけがわからなかった病歴、身体所見、検査の異常値がすべて一つのものとしてつながった。テレビの見過ぎなのかもしれないが、

 「謎は全て解けた!」

 という感覚を初めて経験したような気がした。確かにデータと、年齢、症状を考えると、成人発症Still病よりも血球貪食症候群がより怪しいと思った。皮疹も出現しており、悪性Tリンパ腫と、それに伴う血球貪食症候群が最も疑わしい。患者さんに結果を説明し、血液疾患の可能性が高いことをお伝えし、高度医療を提供する某病院の血液内科に紹介状を作成。受診予約を取ろうとしたがどうしても2日後になるとのことで、2日間の解熱剤を追加し、帰宅とした。その後しばらくして同院からの返信が届き、

 「骨髄穿刺からは血球の貪食像が同定され、皮疹の皮膚生検からはT細胞リンパ腫による菌状息肉症と診断、T細胞悪性リンパ腫と血球貪食症候群」

との診断であった。患者さんは同院で化学療法を受けられ寛解。後日お元気な姿で心臓血管外科に受診されているのを見かけた。


 おそらく、技師のYさんは、カルテと検査結果から

 「血球貪食症候群」

 と診断をつけておられたのだろう。なので、私のオーダーしていなかったフェリチン値を追加してくださり、

 「フェリチンが振り切れてます」

 と伝えてくださったのだと思う。この症例はその技師さんに本当に助けていただいたと思っている。


 ちなみに、この症例から数年後、1年次にお世話になった新海先生から

 「ほーちゃん、この患者さん、わけのわからない熱が続いていて、採血したら血小板減少が進行していて、LDHが跳ね上がってるんやけど、どう思う?」

 と意見を求められた。この時の経験をもとに、

 「先生、血球貪食症候群の可能性があるので、フェリチン値を追加オーダーされてはどうでしょうか」

 とアドバイス、実際にフェリチンが振り切れており、血液内科に紹介の結果、血球貪食症候群であった、ということを経験した。


 技師さんの適切な導きで、私の患者さんと、先輩の患者さんの少なくとも二人の命が助けられたことになる。ありがたいことである。



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