第十二日目と第十三日目

■第十二日目の日記


 オーブンの修理が完了し、店を引き渡してもらった。開店は明後日だが、いちおう既に俺が物件を借りている形である。その頭金と、三ヶ月分の家賃にするくらいの金はある。最初に持ってきていた財布とその中身、紙幣が何枚か入っていた程度ではあるのだがそれを、この世界の通貨と交換してもらったのだ。日本国の銀行券を自分で持っていてもこの世界で役には立たないだろうし。というわけで、一応は俺に権利のある俺の金が、そこそこにはあるという形になっている。向こうで銀行券をどうするのかと言えば、あのドメスティカ翁とその仲間たちが研究に使うらしい。ところで、店の下見をして部屋に戻って昼食を取っていたらイリスに言われた。


「店を開くのなら、人出が必要だろう。良ければ今から奴隷市場に案内しようと思うが」


 俺はつとめてポーカーフェイスを維持しつつ、その必要はない、と言った。俺はこの世界では異邦人であるに過ぎない。はっきり言ってしまえば俺はこの国の奴隷制度というものを嫌悪しているが、そんなことをこの社会にエリートとして属しているイリスに言うわけにはいかなかった。


「必要ない、と言ってもな。一人では店は回るまい。最低でも店番くらいは雇わないと。あ、そうだ。ルービィにも手伝いをさせてやってほしい。これはわたしからのお願いになる」

「ルービィの件は、分かった。奴隷を買う以外に、人手を集める手段はないのか?」

「ないこともないが。買ってしまった方が安く上がるぞ?」

「そうだとしても構わない。その方法を教えてくれ」

「そうか。手配師、というものがあってな。簡単に言えば、奴隷を貸し出す商売だ。借りる側は、時間当たりの賃金を支払うだけでいい」

「なるほど」


 で、フェリクスという手配師を紹介してもらった。なかなかに老獪そうな人物であった。


「クロノさん、でしたか。お嬢様と一緒に暮らしておいでだそうですな」

「お嬢様? イリスのことか?」

「……お嬢様を、イリス、とお呼びなのですか。成程。お嬢様にもようやく春が訪れたのですなあ。このフェリクス、感涙に堪えません」

「古くからの知り合いなのか」

「お嬢様がキトルスの家でお生まれになったとき、わたくしは二十七歳で、キトルスの家に雇われたばかりでした。それ以来のことですから、わたくしにとっては実の娘とも変わらないほどの相手ですよ。もっとも、この話はご内密に願いたいですが」

「分かった。そんな無粋な真似はしない。心配しないでくれ」


 というわけで、利発そうな少年を一人と、菓子職人になるのが夢だという青年を一人、貸してもらうことになった。ルービィと俺自身を入れればこれで四人。それだけいれば、あの規模の店くらいは十分に回していけるだろう。


 で、買ったばかりのリンゴでオーブンの試運転を兼ねてアップルパイを焼き、夕食にはそれを出した。ほんの試作だからということもあるが、あえてチーズは入れなかった。


■第十三日目の日記


 イリスと言葉を教え合い、また俺が読み書きを習う時間が終わった後、俺は史局に出かけて行った。ドメスティカ翁と会うためである。ちなみに今日はイリスは出勤はしてこない。


「この世界について、一つ気が付いたことがあるのですが」

「はて。何ですかな。拙老がお伺いしましょう」

「この世界にはポムの実というものがありますが、あれは地球にもあります。リンゴと呼ばれています」

「なるほど。それで?」

「ポムの実を五種類くらいは試食してみたのですが、地球にあるものと同じ品種だと思われるものは一つもありませんでした」


 イリスは全部まとめてポムの実としか言わないが、地球にフジリンゴやら紅玉やらジョナゴールドやらがあるのと同じように、この世界のポムの実にも多くの品種があった。うちの下の店だけでも三種類は売られている。だが、手に入るものは全部試したのだが、俺の知っているものと全く同じ種類のリンゴは今のところ一つも見つかっていない。


「ふむ。つまり……仮に地球とこの世界との間に接点があるとしても、それは何百年も、或いは何千年も前のことであった可能性が高い、と」

「遺憾ながら。そういうことになりますね」


 俺が帰れる可能性があるのかどうかについて、ずっと考えているのだが、正直なところ望みは薄かった。暗雲が立ち込めている。


 それからうちに帰ったら、店の看板にする金属細工が届いていた。レリーフになっていて、店の名前をこの世界の文字と地球の文字、アルファベットで並べて刻んである。アルファベットで表記する店の名前は、『FROM EARTH』。地球人であればほとんどの場合この程度の英語を読むことはできるから、もし万が一この帝都を歩く人の中に地球人がいたら、この看板を見ればこの店をやっている人間は同じ地球人であると気付いてもらえる、という寸法だった。そんなことはイリスはもちろんのこと、ルービィにもドメスティカ翁にも話してはいないが。

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