第27話 予感

「俺の事も知っているのか」


 ジュノーンはエルフの老婆に訊いた。


「ああ、こいつで一部始終を見せてもらったよ」


 イザルダは手に持っていた水晶玉をジュノーンへと近付けた。

 そこを覗き込むと、ジュノーンがリーシャを地下牢から救い出す場面が映し出されている。

 イザルダが手を翳すと、水晶玉はローランド街道でのジュノーンとイグラシオ師団の戦いを映し、もう一度手を翳すとてこの森に至る過程へと場面を移していた。


「凄いな……どうやってるんだ、これは。こんな魔法は見た事がない」


 ジュノーンは感嘆の余り、唸ってしまった。

 一部始終が見られていたのは恥ずかしい気持ちもあるが、まずどうやっているのかが気になった。少なくとも人間の魔法ではこの様なものを見た事がない。


「あんた等人間に説明してもわからんさ。嫌味でなく、説明する言葉がないんだわさ」


 老婆はひっひっと笑って言った。曰く、言語的な限界という事だそうだ。

 言語には二つの意味合いがあり、まずそれは意思伝達手段としての『道具』としての意味と、『発想そのもの』であるとの意味があるのだと言う。後者については、例えば、『怒る』という文言を知らなければ『怒る』という感情を知らないという事だ。仮にその状態で『怒っ』たとしても、怒りという言葉を知らなければ、それは怒り以外の何かになるのである、という事である。

 イザルダは、自身の水晶玉の力につき、人間の言語ではこれを説明する道具にはならない事を知っており、人間とエルフでは『発想』の根元が違う事から、理解もできないと言っているのだ。


「ジュノーンとか言ったかの……あんた、なかなか根性あるじゃないか。気に入ったよ。あたしがあと二百年若ければ相手してやったものを」


 ひっひっ、と再び笑うイザルダに対して、ジュノーンは苦笑いでそれに応えた。

 エルフと人間では寿命が違う。エルフは繁殖が少ない代わりに、人間の数倍もの寿命を持つのだ。おそらく見た目的にはジュノーンと大差ないヴェーダも、ジュノーンの数倍は生きている事は想像に容易い。


「あら。水晶玉で見ていたという事は、御祖母様は彼が黒炎を使う事も精霊を宿していない事も御存知でらしたのね。教えて下されば良かったのに」


 ヴェーダが少し口を尖らせた。

 もし仮に最初からそれを知っていれば、ヴェーダもジュノーンに対してあれほど警戒しなくて済んだという事だろう。


「それくらい見抜けるようになりな。あんたにはあたしが死んだらここを任せなきゃいけないんだ。甘ったれんじゃないよ」


 それに対して、イザルダは厳しい口調でヴェーダに言う。

 若いエルフ娘は肩を竦ませて、ジュノーンに首を傾げてみせた。年寄りが面倒なのは、エルフも人間も変わらないという事だろう。

 特に、何百年も生きてきたとなると、人間の老婆よりもその煩さは上なように思えた。


「イザルダ御婆様。それで、お話というのは……?」


 リーシャがヴェーダへの助け舟を出したのか、論点を戻した。


「おお、そうだったね。あたしがあんたらをここに呼び出したのは他でもない……あたしの予想だと、あんたのマルファ=ミルフィリアの血が必要となる時が、そう遠くない未来に訪れるだろうという事さ」

「と、言いますと?」

「動乱の世が近付こうとしておる。最近、ここハイランド=ローランド地方でも戦が激化してきつつあるのはわかっているが、それはここだけではない。大陸全土で動き出そうとしているのじゃ」


 エルフの老婆は茶で口を潤してから続けた。


「その陰で邪悪な何かが動き出しつつある……その邪悪なものの正体はわからない。じゃが、草木は敏感にその空気を感じておる」


 イザルダは木杯を置いて、じっとリーシャを見つめた。


「早くこのハイランド=ローランド間の戦を終わらせよ。今この瞬間も世界は動いておる。この様な辺境で紛争をしている場合ではない」

「はい……ですが、こと戦争に関しては私の力ではどうにもならないのが現状です。お父様も最善を尽くしていますが、交易等もできず、戦況はジリ貧になりつつあります」

「あたしは人間の戦争や政治についてはわからん。あくまでも年寄りの杞憂で済んでくれたら越した事はない。ただ、大陸全土を巻き込んだ動乱となれば……その裏に蠢く力が必ずある。戦を望み、戦で利益をなし得る者がいる。ローランドにもその邪悪な力があるように最近思うのでな」

「なんだって? 俺は全くそんなの感じなかったぞ」


 ジュノーンは驚きの声を上げる。

 彼とてつい先日まではローランドにいた者である。邪悪な力を感じると言われたところで、実感はなかった。


「まだ表面化していないだけじゃよ。少なくとも、あんたもここ最近のローランドがあまり良くないという事には気付いていただろう……?」


 イザルダにそう言われたならば、銀髪の青年も黙り込むしかなかった。ローランド市街地に溢れる浮浪者達がふと脳裏に過ぎったのだ。

 ウォルケンス王の無能ぶりや、それを操るマフバル宰相の存在も気になった。確実に国を良い方向に運ぶであろう人物であったジュノーンの父親も殺され、あれ以来ローランドはハイランドとの戦争で泥沼化している。

 私利私欲に貴族が走っただけだと思っていたが、それすら何かに画策された事だったとしたら──その様にも考えられなくもない。


「ハイランドはこの戦に負けてはならん。リーシャには、早くもお父上に戦を急ぐように。そして、お母上にはあたしが言った事を伝えなさい。きっと、メアリーならば理解じゃろう」

「はい、承知致しました。イザルダ御婆様」


 リーシャは頭を下げた。

 次に、イザルダはジュノーンの方に顔を向けた。


「……あんたの黒炎については、あたしも知らん。じゃが、気になる言い伝えがある」

「言い伝え?」

「遥か過去、光と闇の神が争った時代の時の詩じゃ……あんたの炎を見て、真っ先にこの詩を思い出したよ」


 イザルダは本の名をエルフ語でヴェーダに指示し、古い書物を二階の書斎から彼女に取って来させた。

 傷んだ表紙に埃まみれの本だった。


「おお、これこれ……えらく古くなってしまったものだね」


 イザルダは本の埃を手で払い、該当箇所を開いてリーシャとジュノーンに見せた。

 二人は覗き込むようにしてその詩を読む。


『大陸を闇が覆う時、絶望が世界に齎されるであろう。されどそこに光の女神と黒き炎有り。両者が交わり聖柩を手にし時、闇を打ち払う剣となりて、世界に光を齎すだろう』


 その詩を読み切った時、ジュノーンとリーシャは互いに顔を見合わせた。


「マルファ=ミルフィリアの血を引く者リーシャ、そして黒き炎を操る者ジュノーン……あたしゃあんたらが出会った事がただの偶然とは思えなくての」


 ジュノーンはふと自らの手を見る。

 怒りに我を失った時に目覚めた黒炎……誰もこれについては知らず、自分でさえも何なのかわからなかった。それの手がかりが初めて掴めたのである。

 これまで、ただ戦に明け暮れてきた日々だった。〝黒き炎使い〟とも呼ばれた。そんな彼の生にようやく、兆しが見えたのだ。

 ジュノーンは、自らが運命に導かれつつある事を着実に感じていた。

 その運命を導くのは、間違いなくこの青髪の少女──リーシャ=ヴェーゼだ。王女の横顔を眺めつつ、ジュノーンはそう予感するのだった。

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