第百十一話 白魔の主
朝日の登場は近い。状況を確認し彼女の発見を諦め、幸村さん率いる隊に帰投した俺は今、彼の前に立っていた。一切の戦闘もなく、無傷で帰還してきたことを察した幸村さんがこちらを見つめる。十文字槍を握り、石突を叩きつけ地面を抉った彼が、俺の報告を待っていた。
「大方予想は付いているが......何を見てきた」
彼は今、人払いをさせている。その行動が、その言葉に説得力を持たせていた。
「光の先に発見したのは、魔物の死骸でできた海でした。加えて、サキモリ五英傑。シラアシゲの郷主力の、時の氏神の霊力と思われる痕跡を確認した」
「......そうか。どちらかであろうとは思ったが、彼女か」
驚きもなく、ただ納得したという表情を、彼はしていた。
「......彼女を、ご存知で?」
「儂は昔、西の郷の郷長だった時期がある。彼女は、儂の相識よ」
その場で縦に十文字槍を回転させた彼が、霊力を灯さんとする。その輝きが、木の幹と木の葉を照らした。
「表舞台を去り気取った奴が手を出してきたということは、相当数おるな。玄一。覚えておけ。いかな敵がいようが、死の海を越えようが、生来人を恨む魔物はやって来るぞ」
十文字槍の切っ先に立ち昇るは、
包囲された雪砦。乾いた布へじわじわと水が染み込んでいくように、西部兵が氷の城郭へと乗り込んでいく。冬に現れる魔物の毛皮を利用し作製された、氷上でも滑りにくいブーツを履いた兵が突き進んでいった。この氷の城郭、雪砦は、いくつかの区画、
氷の壁の上を四足歩行の魔物が駆け、刀を握り魔物を袈裟切りにした兵員へ飛びかかった。背を向けながらも、その存在に気づいていた兵員は反転し、華麗に魔物の喉元を切り裂く。三の丸よりさらに奥へ進撃したい兵員は、二の丸へ続く道を探っていた。
三の丸を一周するように探索を済ませた彼らが、氷の壁を埋め合わせるように、敷き詰められ積み上がった雪を発見する。どうやらすでに、二の丸への道は兵員の存在に気づいた”千手雪女”によって、閉ざされていたようだ。霊信号を使用し、彼が報告を上げようとする。しかしその必要はもうなかった。
五人の防人が、彼らの後ろに立っていた。皆万全の態勢をもって、強敵に挑まんとしている。
「うーん。やっぱ人間のお城とは違うっすねー。敵の進行に合わせて塞ぐなんて、普通無理っすよ」
「ふふ。まあ、それはこっちも同じようなものかな」
リューリンが、拳を突き出しはにかむ。
「じゃ、アイリーンちゃん。ブチ抜け」
「すぅ......」
金色の輝きで体を満たした金髪碧眼の彼女が、大きく深呼吸をする。その後、光とともにその輪郭が変わって、場に巨大な熊が現れ出んとした。彼女の能力。その名は、『
「『━━━━ッッッ!!!』」
金色の霊獣が、二の丸の氷壁を木っ端微塵に打ち破った。ガラガラと音を立てて崩れ落ちる氷塊をかき分け、道を作り出す。それと同時に、音なき音色の霊力が、雪砦全体を包んだ。
「第一師団。第二連隊を残し、侵攻、制圧せよ」
ブチ抜かれた大穴目掛けて、陣形を崩さぬまま、兵員たちが二の丸へ雪崩れ込んだ。
西部戦線。雪砦への救援へ現れた魔物の群れは、英傑の妨害があってなお、勢いを失わなかった。予想よりも、はるかに多い数の魔物が進行してきている。地平線を埋め尽くす黒粒の群れを、指揮を執る立場にある秋月が、塔の上で静かに見つめていた。
歴戦の彼女は、迫り来る殺意と悪意の群れを見てなお、飄々とした態度をしている。
「第一ラインは爺さん達の隊が来るまでは絶対に持ち堪えさせなさい。いいわね」
双眼鏡を持ち、敵の観測を続ける副官へ、秋月が指示をする。
敵の前衛である魔物の群れが今、空堀へと落ちていった。玄一の仕掛けた土槍の罠により、何十匹かの魔物が息絶えるも、あまりのも物量に、空堀を死骸で埋めて魔物が進んでくる。
「こういう戦いの時こそ、兵員達にもあれがあれば楽なのに......過去のしがらみってのは、いつまで今を縛るのかしら。
「秋月様。そのような発言はお控えください」
「......ん。ま、いいわ。私は集中するから」
人差し指と中指を伸ばし、親指を立てて、指先を魔物の群勢へと向ける。深紅、紅葉の霊力が灯るとともに、彼女の周りに霊弾の星空が浮かんだ。
「放つ」
朝日の陽光が、降り注ぐ霊弾を照らした。死の雨となり敵の群れを砕くそれは、たった一人。塔の上に立つ彼女から放たれている。
「始まった......! すごい!」
土塁の傾斜や張り巡らされた罠により、進行速度を低下させた魔物が、一方的に討ち滅ぼされていく。霊弾により撃破された魔物の死体がまた障害を生み、群れの進行速度を低下させていた。
「秋月の能力の真価は、対群戦にある......それに気づけば、大成するものの」
槍を握り立ち上がった幸村さんが指示を出し、森から打って出て敵の横腹を喰いに行こうと出撃の準備を始める。
「霊信の報告です。敵方、魔獣を一体確認したとのこと」
「一体? ふむ......」
「全隊付いてこい。玄一。強攻し魔獣を撃破する」
「了解」
『火輪』を用いて、雑魚を鎧袖一触に撃破していく。魔物の群れ。密度の低い位置を狙い突破し、中央にて指揮を取っていたであろう魔獣へ、俺たちが肉薄していった。
最前列を進む老練の防人は十文字槍を振るう。次々に敵を突き刺し、切り裂いていった彼の揺らめく笹紅色の霊力が、玉虫色の輝きに乗った。
その時、魔獣を守る魔物の群れに隙を見つけた彼が、槍を地に突き刺し大きく跳躍して、群れの中へ飛び込む。
普通であれば、魔物の群れの中、それも魔獣の前に飛び込むなど、自殺行為も甚だしい。しかし彼の特霊技能、そして彼の槍さばきを知り見れば、なんの心配もなかった。
彼に追従しようと風を纏い、空を飛んだ。一応援護しようと脇差に『風輪』を展開し、太刀風を放つ。
彼が握る、六枚の銭貨が目に入った。
三枚を親指に挟んで、指弾の要領で放たれたそれが、魔獣の体に突き刺さる。加えて、もう三枚を空に投げた彼が、槍の切っ先と石突を使い、空を舞う銭貨を強打して、また魔獣へと放った。
計、六枚の銭貨が、なんの抵抗もできなかった魔獣の体に食い込む。皮膚に突き刺さったそれは魔獣の体に溶け入り、その瞬間に、魔獣から放たれていた魔力が、完全に途絶えた。
「
『
「玄一」
彼の前に着陸する。
「存外にこの状況、悪いやもしれん。数はいるが、魔獣がおらん」
時の氏神が撃破したのではないかと考えたが、もし時の氏神が魔獣と交戦し、その周りにこの主力がいたのなら、彼女が逃すはずもないと幸村さんは言う。魔獣がいない割には、一兵卒の質と数が良すぎる。
「無論甚内や偵察隊が、魔獣の動向を探ってはいた。だが、それは群れの監視によってだ。もし一体ずつ秘密裏に動いていたら、種にもよるし、発見は困難」
彼が背中に迫る、魔物の胴体を真っ二つにしながら口にする。
「複数の魔獣が、すでに雪砦にいるやもしれん。これは儂やお前を引きつける、陽動の可能性がある」
カゼフキに着任する前、タマガキにいた頃。秋月が言った、これは御月を仕留める為の罠だという言葉が、頭の中で何度も繰り返し蘇った。
制圧の完了した二の丸。その先。空想級魔獣と魔核があるであろう、天守、本丸への道へ。
特務隊を率い、敵と相対する五人の防人。その目の前に今、同じく並び立つように、丁度五体の魔獣がいた。もし奴らがただの戦略級魔獣であれば、問題はなかっただろう。彼らは西の最精鋭。この戦力であれば、戦略級魔獣の数体など、相手にならない。
しかし、五体のうちの二体は、
耳をぴらぴらと動かし、気持ち悪いぐらいに盛り上がった脚部を持つ、二足歩行。紅い目をした雪兎。
緑色の毛並みに、螺旋状に巻いた角と
敵を視認した特務隊隊員が、口にする。
「推定。あの二体は、幻想級上位です。他の三体の等級は、戦略級上位から幻想級下位であると思われます」
思わぬ大戦力の揃い踏みに、苦無を握る甚内が焦る。
(あそこまで入念な偵察を重ねたというのに......伏せていたのか。それに、この戦力ならあの幻想級上位を救援することもできたはず......)
(見捨てたのか)
徹底的なまでに勝利へ徹した戦略に、彼が驚愕する。明らかに、指揮の質、理念が、数ヶ月前から変化していた。
ここに空想級魔獣も加わったら、笑い話にならない。空想級魔獣”千手雪女”は外向型の異能を多く所持した魔獣であるため、複数体の魔獣、複数人の防人の戦いにやって来れば能力に制限がかかるが、そんなものは問題にならないだろう。
「これ、参ったなあ」
この作戦を発案、計画し、指揮を執っていたリューリンが後頭部を掻く。気を抜いたようにも見える彼女は、この間にも、味方への強化を施し続けていた。
「リン。全員でやる他ないだろう」
すでに両翼を生やしたノウルが、一歩アイリーンの前へ出て、羽根を浮かばせる。すでに巨大な熊となり、ダンジョンの防衛設備の突破へ死力を尽くしたアイリーンに、巨大な熊になるほどの力はもうなかった。
睨み合い、隙を伺う両軍。魔獣側もここまで防人がいるとは思っていなかっただろう。誰もが一歩も動かずに、思索に走ったこの場面で。
月色の防人が、一人飛び出した。
「面倒だ。私一人でやる」
「待て。大太刀姫。この間にも、雪女がこちらの隙を伺っているやもしれん。それはやめろ」
「まとめて潰せばいい」
月華を手にした彼女が、殺意を込めて敵を睨みつける。その顔に色はない。見た人が皆、ゾッとしてしまうほどの美しさと恐怖を孕んでいた。
御月が月色の霊力を高める。それを見て、五体の魔獣が威嚇するように魔力を彼女へぶつけた。それに反射するように、さらに強い月色の霊力が彼女を包む。
壁の向こう側。天守の中から、一人の魔獣が姿を現した。
細身の、淡麗な女性の姿。耳のあたりまで裂けた口に、母衣のように生えた千手。歓喜するように、ニヤァと笑った魔獣は、月の輝きを見ていた。
「あれが、空想級魔獣”千手雪女”......」
思わず出たノウルの声が、辺りに響く。一目見て、その存在の強さを感じ取った防人の面々が、警戒を強くした。
はだけた白い着物を着る奴の体から、千手が飛び出る。
特務隊が即座に装備を構え、彼らに守られるリューリンがいつでも回避できるよう態勢を整えた。少々疲弊しながらも、毛を生やしたアイリーンが金色を迸らせ、ノウルが宙に浮かばせる羽根を増やした。甚内は真顔のままで、御月は月華を握るも構えを取らず、自然体のままである。
この瞬間。五人の防人、五体の魔獣の意識は、間違いなく雪女にあった。そんな奴の千手は、攻撃の姿勢をとることもなく、人差し指を立てて、月色の輝きを指差している。
「......」
ありとあらゆる方向から、御月が指差されていた。その後、千手が手を広げ、手招きをする。目的は彼女ただ一人と、誘っていた。
「私は行く」
「ダメっす! 御月! みんなで━━」
本丸の方へ歩みを進めた御月を止めようと、アイリーンが手を伸ばした。その瞬間、雪兎の魔獣が、跳躍し、隙を見せたアイリーンに飛び蹴りを仕掛ける。
「なッ!」
咄嗟に腕を交差させ防御した彼女だが、全身を突き抜けるような衝撃が彼女を襲った。即座にアイリーンのカバーに入ろうと、ノウルが両翼を振るい、雪兎の耳を切り裂く。
「特務隊。展開。アイリーンちゃん。ノウル。かなりキツイけど、いける?」
「当たり前っす!」
「......業腹だが、今はお前を信じる。リン。指示を出せ」
本気の戦闘態勢に入った三人は、この戦いが魔獣と防人の死戦となる決戦であることを予期して、霊力を全力で展開した。金色の煌めきが、深藍色の流れに乗り、夜空のように映える。特務隊隊員は妨害の一手を担わんと、魔獣五体を囲むように展開し、いつでも援護ができる状態だった。
「甚内」
リューリンが、未だ動きを見せぬ、雪白の中では目立つ黒装束の彼を見た。
「御月ちゃんのこと、託したから」
「......了解した。彼女を援護する。そちらは任せた」
ただ一人。魔獣に見向きもされず、本丸の方へ足を踏み入れようとした彼女を、甚内が追いかけた。
敵の横腹に一撃を加えた後。隊を分けた当初の目的通りに、初撃を加え魔獣を撃破した。作戦通りに事が進んだ幸村隊は、秋月の指揮する防衛線の元まで一時撤退した。
幸村さん、秋月、そして俺は今、参謀らとともに集い、今後の対応を練っている。
「塔の上から見てて思ったけど、明らかに敵の動きが鈍いし一方的すぎるわ。爺さんの言う通り、魔獣がいないのかもしれない」
口元で拳を作り俯きがちに思考する秋月が、考えを巡らす。西部戦線から到来する魔獣と、雪砦に駐留する魔獣。それらを同時に相手するため、防人を三人と五人に分けたこの幾望の月作戦。しかしカゼフキは敵の動きを察知できなかったが故に、戦力評価に失敗した。
だが、この前線でこの時期に気づくことができたのも、かなり良い方なのかもしれない。もしやすると、時の氏神はあえて先鋒にいる魔獣を撃破することによって、敵の陽動の露見を早めさせたのかもしれない。それなら最初から教えてくれと言いたくなってしまうが、どうして彼女は西部戦線に合流しないのだろう。
「しかし、可能性はある。空想級魔獣の移動に合わせて、隠蔽しながら魔獣を移動させたのかもしれない。推測に過ぎないが」
「十分有り得る話であるな」
俺の言葉に、幸村さんが頷く。戦装束を解かぬ彼は、まだ槍を握っていた。
「こうなれば、こちらから雪砦へ援軍を出す必要があるだろう。もし雪砦の方の隊が壊滅すれば、こちらは孤立する。こちらが負けるのは構わんが、あちらが負けるのはまずい」
「けど、時間もないわよ。もう突入は始まっているわ」
部屋の中、最も目立つ位置にかけられた壁掛け時計を彼女が見る。すでに作戦が始まってから、かなりの時間が経過していた。
「隊を連れ行く余裕はない」
幸村さんが、こちらの方を見る。彼が俺をまっすぐに見つめた。
「玄一。一人、全速力で雪砦へ向かえ。御月らに合流しろ」
「......わかった。そうなれば、時間が惜しい。今すぐ行く」
「え゛っ、ちょ、玄一!?」
扉をぶち開け、『風輪』を展開し、外へ出て、空を飛ぶ準備をする。翠色の閃きが体を包み、風が吹き荒れて、砂埃が舞った。即座に離陸の体制を取る。
俺の背を追いかけてきた秋月が、両手を口元で広げて、叫んだ。
「絶対に怪我しないで無事に帰ってくるのよ!? いい!?」
彼女の顔を見て、頷きを返す。だが、その約束を守れる保証なんて、どこにもなかった。
雪砦へ。夏の空を飛ぶ。
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