第百四話 月に焔



 夜明けから暫く。日は既に昇り、燦々と輝くそれは戦地を照らした。


 カゼフキより打って出るは、六名の防人を含めた西の精鋭。


 彼らの向かう先には、山を利用し作り上げられた天然の要害がある。夏であるというのに、陽光に反射した雪白の輝きが辺りを照らした。


 なんと、山一面が雪に覆われている。その上氷でできた天守閣のようなものが、山に突き刺さっていた。


 先鋒。黒の制式装備を身に纏い、左腕と桜吹雪を描いた徽章を胸に付ける特務隊の面々。彼らが雪砦を睨む。雪山は新緑の中で、異質なほどに目立っていた。


 そして彼らを率い先頭に立つのは、同じく黒の装備を纏い、帽子を被った月色の防人。


 月華を既に手にした御月が、月色の霊力を具現化させる。


(何度見ても不気味だな......あの雪山。そして西洋の物に似た城壁。いつかはあそこへ乗り込まなければいけないわけだが......)


 訓練の賜物であろうか、特務隊だけでなく、後続の部隊も淀みなく展開していく。雪砦へ攻め入るように見せかけたその布陣は、魔物を誘っていた。



 空想級魔獣”千手雪女せんじゅゆきおんな“の潜むダンジョン、雪砦へ乗り込み空想級魔獣の首を討ち取るためには、出来るだけ敵の戦力を削らねばならない。


 空想級魔獣を人側の戦力で例えるのならば、英傑クラスの防人、方面軍指揮官と同等である。そんな存在である”千手雪女“自身が打って出ることは考えづらい。


 そのような前提の中で彼らが撃破したいと欲していたのは、幻想級以上の魔獣。雪砦内で”千手雪女”とぶつかることは確定的だが、もしその戦いの中で幻想級魔獣の介入があれば一気に勝機は薄くなってしまう。無論絶対に介入されない状況を敵の支配下で作ることは不可能だと皆が理解していたが、空想級と戦いながら幻想級の相手をするのは、出来るだけ避けたいことだった。


「特務隊。我々は一度先鋒を務め初撃を敵に加えた後、即座に後ろの隊と交代する。しかし、油断はするな。何が出てくるか分からん」


 右手で帽子の鍔を掴み、左手で後頭部を抑えた御月が、それを深く被り直す。左の方を横目に見た彼女は、そこに立つ、彼に問いかけようとしていた。


「玄一。あくまでも私たちの目的は魔物の誘引だ。もし魔獣が出てくるようなことがあれば一度後退し、周辺に展開している防人たちも集めて迎え撃つ。覚えているな」


 剣の気配がする。


 帽子の鍔を握った、御月と同じように。


 彼が額につけた黒の鉢金を、強く縛った。余った布帯が、腰の方へ垂れ揺れる。


「ああ。御月。俺を餌にして、大魚を釣りだそうとしているのも分かっている。だが━━」


「真っ先にぶつかるのはこの特務隊だ。俺も本気で行くぞ」


 腰に付けた二刀の柄を、彼が左手で撫でる。


「無論だ。私も本気で行く。遅れるなよ」


「言われずとも」


 地を蹴り上げるは、月色の波動。追従する、緋色の伝播。






 林を彼らが進む。

 

 特務隊は周囲に散開し、御月と玄一に追従しつつ周囲の警戒を行っている。御月が身体より、月色の煌めきを放出した。


 月色の霊力で無力を染め上げ、敵がいないか探知を行なっていた。


 揺らぎやすい、中立の無力。他者の介入がなくば簡単に支配できるそれに、滞りが生じた場所。そこに、敵がいる。遠方の無力も簡単に支配できてしまうほど強力な彼女の霊力が、途轍もない範囲を網羅する彼女の探知能力を支えていた。


(この感覚......五体戦術級が伏せている。すぐに当たるな)


 御月が敵の存在を知らせようと、視線を玄一に送ろうとする。その時。



 緋色の火花が、彼女の前を駆け抜けた。



「なっ!」


 強く跳躍し宙を回転しながら抜刀した玄一が、突き進む。


 茂みに伏せていた魔物が、迎え撃とうと彼へ向けて突撃した━━!


「黒妖犬か......懐かしいな」


 小さく呟いた彼が、二刀を振るう。淀んだ眼光を放つ赤目。筋肉が発達し、禍々しい見た目をした黒妖犬という犬型の魔物が、彼に飛びかかる。にもかかわらず、玄一は歩みを止めず、むしろ加速した。


 宙を飛ぶ黒妖犬を前に、彼が唐突に前へ倒れ込むようにして、刀を握る左手と右手を右肩の上に乗せる。


 黒妖犬の腹の下に潜り込んだ彼が、一回転し喉の辺りを掻き切った。続けて翠色の閃きが彼を包み、復帰は不可能と思われた姿勢から風を呼び込み左足で立ち上がって、地に両足をつける。


 御月の前方。突出した彼の周りには、まだ敵がいる。威嚇する姿勢を取り、その鋭い犬歯を向けていたもう一匹の黒妖犬。巣穴ができているのか、地中に潜む二体の魔物。木々に紛れ正確な位置が把握できない、最後の一体。


 彼の体を包む、霊風の揺めきが強くなった。その勢いで、彼の布帯が暴れ狂うようにはためく。


(追撃の一手......速力を上げる能力か!)


 瞬間。風が強く吹いている。


 それが微風となった時にすでに、玄一は威嚇する黒妖犬の背後にいた。打刀を振り下ろした彼が、気づかぬ犬を真っ二つにする。緋色の剣光が、軌跡となり溶け消えた。


 続けて流れるように彼が、黄土色の輝きを打刀に灯す。刀を一回転させ、地に突き刺した玄一は、御月の方を見ていた。


「━━!」


 彼と彼女の目が合う。玄一の瞳は、何かを信じているもののようだった。


 大地が揺れ、荒波と化したそれが地に潜り込んでいた異物を二匹弾き出す。平な頭部。お茶目な口髭。土鯰つちなまずと呼ばれる、地中に巣穴を作り地上の敵へ奇襲を狙う魔物だった。


 打ち上げられ身動きの取れぬ彼らに、波より形作られた土の鋭槍が突き刺さる。土鯰が、絶命の音を奏でた。



 玄一の周囲に今、敵はいない。彼が刀を手にしたまま、再び速度を上げ進撃しようとする。



 その時ガサリと、木の葉の揺れる音が鳴った。それと同時に、地を強く蹴り上げる音がする。

 

 玄一を狙い、木々より降りた青色の体毛を持つ猿の魔物。背後を取られているにもかかわらず、玄一はそれを敢えて無視し、前方へ突き進もうとしている。何故なら、彼は心強い味方がいると知っていたから。


 青猿が突如吹き飛び、地を削りながら転がり回って彼の視界から消えた。


 後方より速度を上げ突撃してきた御月の、飛び蹴り。猿の背骨をへし折ったような感覚を彼女は覚えている。 


(思わず見惚れてしまった)


(元々刀を使えるとは思っていたが......あり得ない)


 一度足を止めそうになった御月に合わせて、玄一が速度を下げる。


「御月?」


 彼の言葉に気づかないくらい、御月は思考に没頭していた。


(前も前でおかしいくらいだと感じていたが......能力で緩急の幅が一気にできた。笑えてくるくらいに、成長が凄まじい)


 彼女は考える。特殊霊技能『五輪』。五つの能力を含有するというそれと、それを簡単に操る玄一に、彼女は末恐ろしさを感じ取っていた。


(身体強化の効率が良すぎる......彼独特の歩法は風を纏うことで行われているようだが......それが身体強化に寄与しているわけではない......)



 前方を小走りに進む、玄一をぼんやりとした緋色の輝きが包む。


 玄一が新たに使用している能力、『火輪』。


 それが彼の運動性を劇的に上昇させているのではないかと、御月が結論付けた。ただの霊力を使用した身体能力強化とは効率が桁違いで、それはまるで『火輪』そのものが固有の能力を所持しているようだと、彼女が疑う。


 しかしいくら強くなったとはいえ、何の報告もせず突っ込んで行ったのは咎めねばならない。そう思った御月が、玄一の方をじっと見た。


 小走りを続けながら御月の方を見ていた彼が、ニコッと、子供っぽく笑う。



(━━━━あてられるじゃないか。まったく)



 無粋だ、と御月が独りごちる。月華を構えた彼女の瞳に、微かな月白が震える。


(気になることは沢山ある。彼なら、もしかして私を━━)


(それでも、今は)


 何かを仕切り直すように、御月が月華を強く振るった。小走りに進む、それを不思議そうな目で見つめる玄一を、置き去りにして彼女が駆け出す。


「行くぞ。ついてこい」


「......ああ! 御月!」


 白刃が日に照らされて、キラリと光った。





 風に乗って、心に烈火を灯した。遥か遠くに身を置く月に手を伸ばそうと、全力で足掻く。


 敵を斬り裂き、ただ彼女と駆け抜けた。


 ああ。楽しい。楽しくて、仕方がない。過去に抱いた、復讐を果たせるからって、そういう為の物ではない。縦横無尽に駆け抜ける俺たちを、止められる敵なんていないって、そうありのままの心が、叫んでいるんだ。



 醒めない夢でも見ているみたいで。



 沸き立つこの感覚。仲間と肩を並べ、刀を握り、戦う喜び。


「御月! 来るぞ!」


「玄一! 私がやる! 援護を頼んだ!」


 彼女が吶喊すれば、俺が背を守り。


「御月。俺が前に上がるッ!」


「玄一。初撃を託した!」

 

 俺が大振りに烈火を放てば、俺の烈火を突き抜けて、彼女が流れるように追撃の一手を放つ。


 もう、特務隊はどうとか魔物がどうとか、全部関係ない。連携し鎧袖一触に打ち破るこの感覚が、楽しくて仕方がない。


 御月の口角が、少し吊り上がっているような気がした。もしかして、彼女も。


 月華から放たれる、ぼんやりとした月色の光。打刀程度の大きさのその刀を、彼女が今一度、強く握った。


「なあ。玄一」


 敵を前にして、月色の輝きを更に強くさせる。


 仁王立ちの彼女が、こちらに横顔を見せた。



「きっと今の私たちなら、何が来たって勝てる」



 彼女がそう言い残し、月華を振るう。現実に徹し戦う彼女のそんな言葉を、俺は初めて聞いた。しかし、思いは同じ。


「当たり前だ。御月」


 俺は、前とは違う。




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