第百二話 辿り着く空。月の裏側。(2)


 御月の誘いを受け、酒保から外へ出る。夏の日差しを受け止める、空を泳ぐ白雲に礼を言いたくなった。腰元のポケットに先ほど購入した何かをしまった御月が、トコトコと歩いていく。


 どうやら彼女の言っていた他の施設というのは、すぐそこにあるようだ。数分もせず、辿り着く。


 酒保のような売店と近い業務を取り行っているからか、彼女の言っていた遊技場や酒場などの施設は砦内の一角に密集しているようだった。業務を行うのも人を集めるのも楽だろうし、どこかに固めていた方が、警備隊を配置するのにも楽だからだろう。酒が入れば、軍人同士でのトラブルもあるだろうし。


 御月が素通りした、閑散とした酒場の中を覗き見る。流石にこんな真昼間から酒の提供はしていないのか、軽食を頼む兵員が少しいるぐらいで、賑わっているようには見えなかった。酒を出しているのは、夜、決まった時間帯だけらしい。民間が協力しているとはいえ、軍人らしいところもあるのか。


 とある建物の前で止まった御月が、親指で入口を指し示す。


「ここだ。楽しげな声が聞こえるだろう?」


 彼女の言う通り戸の向こう側から、漏れるように笑い声が聞こえてきていた。


 室内遊技場、と書かれた立て看板のあるそこに、ガラガラと御月が戸を開けて入り込む。彼女に続いて店の中へ入ってみると、真っ先に長い廊下が目についた。開けた場所を提供するのではなく、それぞれ個室での利用になっているようで、裏表に文字が記された木製の掛け札を吊るして利用者の有無を示しているようだ。


 彼女が靴を脱いで、下駄箱へしまう。彼女に続いて、俺も靴紐を解いて脱いだ。先に靴を脱いだ彼女が、従業員のいる小さなカウンターの方へ近づく。


「いらっしゃいませ。お飲み物は何になさいますか」


「ああ。茶を二つお願いする」


「畏まりました」


 彼女が胸元から、小さな猫の絵柄がついた財布を取り出して、お金を従業員に手渡した。


 お財布に、ひらがなでにゃあんって書いてあった。何そのデザイン。

 

 御月は、猫が好きなのだろうか。秋月の財布は何か高級感があった感じのものだったけど、御月のは可愛らしさを感じるものだった。分厚くないし。


 でも、彼女も防人としてはトップクラスの実力を誇る人だから、とんでもない金額を稼いでそうだな......と独り言つ。


 しまった。にゃあんに思考を持ってかれて、さらっと奢られてしまった。なんてスマートな手捌き。声を掛ける間も無く、こっちだと言った御月が先に行ってしまう。後でお金を渡すか、昼ごはんは俺が出そう。そう思って、とりあえず彼女について行った。


 途中、廊下を進み通り過ぎた個室の方から、ガハハと野太い大きな笑い声が響いてきた。ちらりと見た程度だけど、どうやら仲の良い者や同じ隊に属するものを連れて、何かやっているみたいだ。


 帝都の医学学会が、精神を病んだものは霊力の操作が難しくなるという研究結果を発表したのを、病室にいた時奉考の本で知った。その結果を受けて、柔軟に物事を捉える西部では、こういった施設への投資を惜しまなくなったらしい。


 ここみたいに特別な施設があるわけじゃないが、兵員たちは格納庫で排球をやったり、外では蹴球や野球もやっていると聞いた。帝都の軍でそんなことが出来るのかは知らないけど、西部では許可が出ている。このような豊かな生活ができるようになったのも、ここ数十年防人の数が増えて戦いに余裕ができたおかげだが。



 九号室、と記された部屋の扉を、御月が開ける。中には大きなテーブルがあって、六つほど椅子がある。加えて、畳と座椅子が置かれたスペースもあった。備品の戸棚には将棋盤だったり、色々置いてあるようだ。


「ここが、個室を借用できる室内遊技場だ。とらんぷだったり、色々ある。昼飯時まで、ここで遊んでかないか?」


「ああ。俺はいいけど......御月はいいのか?」


「もちろん。私が言うことでもないのかもしれないが、ここのとこずっと張り詰めているだろう。玄一。今朝も、刀を握って鍛錬に勤しんでいたみたいだし」


「いや、あれは普段よりも少ないぐらいだし......」


「いいからいいから」


 そう言った御月が呆れがちに、俺の方へ寄ってって背中を押した。畳の方に座り込む。


 その間に彼女が戸棚の方から、変わった形のすごく大きな将棋盤を持ってきた。


「それ......防人将棋か。懐かしいな」


「玄一は、ルールを知ってるか? 手合わせ願おう」


 御月が、将棋盤を畳の上におく。足を崩した彼女の、白い靴下が目立った。土足厳禁とはいえ、こんなふうにゆったりとした姿の彼女を初めて見る。


「ああ。昔師匠とやったことがある。ボコボコにされたけど......」


 防人将棋。それは、通常の将棋のルールとは違い、工兵だとか、弓兵だとか、色んな種類の駒を持ったほぼ将棋とは別物の遊戯のことだ。そういえば昔、一回伊織と手合わせしたことがあった気がする。確かその時も、ボコボコにされた。


 しかし今は俺ももう本物の防人。軍を実際に率いる立場の人間なのだから、弱いままでは居られないだろう。盤面の戦いとはいえ、間違いない。


「御月。遊戯とはいえ━━最強になりたいのに弱かったら格好がつかない。悪いが、本気で行かせてもらう」


 手にした駒に、闘志を込めた。それを見た彼女が、不敵に笑う。


「ああ。望むところだ」


 桐箱から駒を取り出して、それを盤上に並べる。先攻後攻を決めて、彼女との戦いが始まった。










 パチンと、澄んだ駒音が部屋に響く。その音に合わせて、顎からぽたりと汗が落ちた。頭をぺこりと下げて、不甲斐ない己に苛立ちながらも口にする。



「ま、参りました......」



 対局すること、一時間以上。新免玄一率いる軍勢は、相対する大太刀姫の罠により、完全に壊滅した。


 彼女の戦法が、えげつない。この防人将棋というのは盤面の大きさや駒の種類の違いから自由度が高い分、その人間の性質がよく出ると言う。俺はどんな戦法であろうと最終的に勝てば良いという無茶苦茶なやり方だったが、それを上回る御月のやり方には絶句した。


 彼女、定石を踏んだ王道を行く戦法に見せかけておいて、卑怯極まりない罠を仕掛けていたのである。俺の軍勢は気付かぬうちに罠だらけの場所に誘い込まれ、三百六十度包囲された後、ボッコボコにされた。同僚に仕掛けるやり方とは思えないレベル。試合の途中から手が震えた。


「いや、玄一も強いよ。所々、危ないところがあった。まさか山上から防人が単騎で突っ込んできて、森に消えるとは......」


 この遊戯、防人将棋と呼ばれるくらいには、防人の駒が重要なんだけどな、と彼女が言う。

 

「いや、負けは負けだ。参ったな、全然勝てた試しがない」


 ちょっと気まずそうに、うーんと考え込む御月がこちらに問う。


「そういえば、玄一は君の師匠......識君と、手合わせをしたことがあるみたいだな。どうだったんだ?」


 その言葉を聞いて、師匠と手合わせした時のことを思い出す。あの時はあまりにもシゴかれすぎて、どうにかして師匠に勝てる部分がないかと模索していた時のことだった。なんだけどなぁ......


「防人以外駒落ちにしてもらったけど、負けた。なんだったらその駒全部自軍にしてもらったけど、負けたよ。うん。全ての手が読まれてるみたいな気分だった」


「そんな英雄のような強さを持った駒はこの遊戯に存在しないはずなんだけどな......」


「いや、普通に三時間くらいかけて淡々と削られて......あれからしばらく指す気にならなかった」


 引き気味に驚愕する御月の顔が面白い。信じられない話だけど、本当なんだよな。これ。でも、君が俺にやったことも結構えげつなかったよ。


「しかし、いい対局だった。また機会があれば、一手指そう」


「ああ。それまでには強くなって御月を倒してみせる」


「うん。待ってる」


 ニコッと笑った彼女の笑顔は、先ほどの指し方とは全く無縁の、可憐なものだった。







 対局の途中、従業員さんが持ってきてくれた今ではもう冷めてしまったお茶をぐいと飲みながら、今度は自分で、戸棚の中をゴソゴソと漁る。


 囲碁は......また囲まれたくないからパス。将棋は......さっきやった。トランプは色々やれることがあるだろうけど、あまり二人で遊べるものを知らない。どうしようかな......


 何をするか考えながら戸棚の中を漁っていたその時、御月が後ろから声を掛けてきた。


「実は、先ほど酒保でこれを買ったんだ。そこの棚にもあるけど、自分で一つ持っておきたかったからな」


 そう言って彼女が懐から取り出したそれは、トランプよりも小さい、かるたのようなもの。


 それは、花札だった。こちらにそれを掲げた彼女が、ちらりと時計の方を見る。


「防人にとって、縁起の良いものでもあるからな。折角だしやりたかったけど......次行こうと思っていた場所に行くまで、時間がない。また、空き時間がある時に二人でやろう」


 壁にかけられた時計の針を見る。防人将棋の対局時間が長かったとはいえ、時間がないということはないはずだが。


「昼ごはんにはまだ少し早いけど......」


 その疑問を氷解させるように、立ち上がった彼女が言う。


「次行く場所は、劇場だ」





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