第百一話 辿り着く空。月の裏側。(1)
━━━━俺は、戦える。辿り着くんだ。あの彼方に。
一息ついた後、外へ出る。
昨日、朝飯をみんなで食べてから、自身の鍛錬、そして部隊行動の調練に参加した。未だ魔物と戦う機会に恵まれていないが、いつでも出撃できるよう準備し続けている。疲れを残すようなことはせず確認程度に留めてはいるが、次出撃する時はうまく連携できるかもしれないと、成長を実感した。
出撃していて不在だった秋月や御月たちが帰投したという報告を伝令から聞いた後、御月たちから連絡があった。彼女達がやっていたような敵の戦力を削るための戦闘に、明日、俺も参加することになったのである。
それで今日は明日の準備のため、激しい訓練は控えた。何をするかはまだ決めていないが、昼飯時だし、とりあえず腹ごしらえをしようと食堂へ向かう。今の時間帯は多くの兵士が詰めかけているようで、食器の音と鼻腔を刺激する香ばしい匂いが、食堂を満たしていた。
防人や比較的階級の高いものが座る、空いているテーブルの方へ向かう。席が空いていることを確認した後、厨房の方へ寄ってって、お盆ごと昼ご飯を受け取った。今日は、塩焼きにご飯、味噌汁、そして煮物のようだ。美味そう。
机にお盆を置いて、席に座り込む。いただきますと挨拶をしてから、箸を手にして食事を始めた。お魚、面倒臭いし骨ごといくか。栄養ありそうだし。
ぼりぼりと食べていると、俺の前の席に、お盆を持って誰かがやってきた。
「こんにちは玄一。相席していいか?」
そこにいたのは、見慣れた黒っぽい制服を着る、御月の姿。昨日出撃していたというのに、お目目をぱっちりと開いて、眠気や疲れを一切感じさせない。返事を返さぬのを了解の意と受け取ったのか、彼女が俺の前にお盆を置く。
十八歳の若さにして、この西部で最強と謳われる防人。大太刀姫という二つ名を持つ、空に浮かぶお月様のように容姿端麗な彼女が、俺の前の席に着いた。
今ちょうど塩焼きに齧り付いているところなので、返事を返せない。少し急いでもぐもぐと噛んで、ゴクリと飲み込んだ。その後見上げて、彼女の方を見る。
「こんにちは。御月」
今彼女は帽子を背もたれにかけて、後ろ髪を纏めようと黒の紐を小さな口で挟みながら、手を忙しなく動かしていた。その後口に挟めていた紐を手に取って、強く縛る。いわゆる、ポニーテールというやつだろう。見慣れない彼女の姿とその動作に、少しドキッとした。
「ああ、ご飯の前だった。すまない玄一。髪の毛が」
「ああ、いや、大丈夫だよ。やっぱり、纏めた方が楽なのか?」
「うん。結構長くなってきてな。いただきます」
そう言い食前の挨拶を済ませた彼女が、箸を手にして食事を始める。前々から思っていたのだが、秋月といい、彼女たちはやたら食事中の動作に品がある。なんか、俺みたいにがっついて食べてる感じがしないというか何というか。しかし俺は自分を曲げない。再び塩焼きを頭から齧り付く。
御月が口を小さくもぐもぐと動かして、その後味噌汁を飲む。何だかその静けさすら感じる動作に、どこか懐かしい感じがした。
その時、うっと詰まる。懐かしい感じといえば、この前リンに言われたことを思い出した。嘘八百であることは重々承知しているものの、さっきドキッとしたのといい、あながち否定できないような気がしなくもないので、急に冷や汗をかき始める。
「ねえ。玄一」
「んぉ、なんだ?」
止まらぬ思考を、その原因である彼女が断ち切る。にこりと笑った彼女が、こちらを見ていた。
「今日、時間はあるか?」
「ん? 今日は特に何もないと思うけど......」
彼女がカタリと箸を置いて、こちらに微笑みかける。
「実は私も、今日は特に予定がない。玄一はこの前ここに来たばかりだろう? カゼフキは軍の砦だが、色々施設が増えてな」
最初に訪れた時は魔物の手により荒廃した土地だったというのに、俺がタマガキにいた間、随分と発展したようだ。この食堂といい、相当力を入れている気がする。
「そういえば酒保だったり、色々あった気がする」
「
何故か少し声を震わせた彼女が、こちらを見る。
「私は......ここの責任者だったから、この砦の構造は完璧に把握している。だから......こほん。不慣れな君を、案内しようと思ってな。どうだ?」
そういえば御月はこの砦を制圧してから防人として、ここの指揮を執っていたはずだ。今は最も経験のある幸村さんが責任者となっているが、ついこの前までは彼女がそうだったのだ。詳しいのも頷ける。
彼女の誘いに返事を返そうとしたその時、誰かが俺の肩を叩いた。
「こんちはーっす! 玄一! 調子どうっすか!?」
「うお、アイリーンか。俺はいつも元気だぞ」
「もう食べたんすけど、もっかい食いにきたっす。相席していいすか?」
「いや、もう食べ終わるし行くところなんだけど......御月。それなら、秋月も誘わないか? 彼女もここのことをあんま知らないだろうし......」
そう言いながら、最後に残った味噌汁を飲む。何故か、肩を掴むアイリーンの握力が、強くなった気がした。前にいる御月の表情は、お椀で見えない。
アイリーンが俺の肩を引っ張るようにする。
「おぅっと! あいにく、秋月ちゃんは私と予定が今日あるっす」
彼女からかけられた言葉を聞いて、考えこむように顎を触った。
「ん? そうなのか。残念だな......」
何故か再び、肩にかかる握力が強くなる。どんどん肩が重くなってきた。霊力で強化してないか? これ。
「ちょ、痛いぞアイリーンやめてくれ」
「......」
アイリーンが無言......? 嘘だろ?
「ごちそうさまでした」
コト、とお椀を置く音とともに、御月が食後の挨拶をする。アイリーンが何かに焦るみたいに、ガタガタ震えて汗をかき始めた。どして。
「じゃあ、アイリーン。私と玄一は、もう行く。食べすぎないようにな」
「う、うっす」
彼女が立ち上がって、扉の方へ歩いていく。纏められた髪がふわふわと揺れて、露になったうなじの後れ毛が少し目立っていた。少し後ろめたい気持ちになって、目を逸らす。
くるりと振り向いて、こちらを彼女が見る。
「いこ?」
「あ、ああ」
普段とは違う彼女に頷きを返して、席から立ち上がり彼女に続いた。食堂の真ん中を突っ切って、軽やかな足取りで進んでいく彼女に、何かに気づいたアイリーンがこちらに手を振って、声を上げようとする。
「帽子、忘れてるっすよー!」
帽子を取りに戻った後改めて、二人で並び彼女とともに歩いていった。御月の先導の元、まずは酒保━━売店の方へ向かった。食堂のように巨大なものとはいかぬものの、十分すぎるほどにスペースを取った、そこら辺の一軒家よりはるかに大きい店舗に、暖簾をかき分けて入る。
何かを買いに来たのであろう、何人か兵員も出入りしているようで、御月の姿を見た彼らが、敬礼をした。御月の頷きを見て、彼らが姿勢を自然なものにする。
店舗内の配置は椅子と机の並んだ休憩所と、規則的に並べられた商品棚のスペースの二つに分かれていた。商品棚の方に行ってみれば、歯ブラシなどの衛生用品に、鉛筆やペンなどの文具類、加えて、軍の制服や手袋なども売っている。
「日用品や嗜好品、色々売ってるぞ。何か足りなくなったら、ここに来るといい」
「本当に色々あるな......」
大きく商品棚のスペースを取る、軍用タバコをなんとなく手に取る。俺は吸わないが、兵士たちには必需品と言っても良いものなようだ。
「後、そこの休憩所で軽食も頼める。食堂に行く時間がなかったりしたら、いいかもしれない」
彼女の話に耳を傾けつつも、衣類の棚にあったワッペンを手にとった。少し長い親柱を両端に、短い子柱が続く柵を描いた紋様。これ、タマガキの徽章か。他の徽章も手に取って見てみる。色々あって、面白い。
そういえば、俺も御月もこういった徽章を付けていない。俺の故郷であるシラアシゲの防人は、西方を見据える白馬の徽章を付けていた記憶がある。俺も、付けた方が良いのだろうか。こういうの。
「そんなに一生懸命、何を見ているんだ?」
そう言った御月が、俺の横へやってきた。徽章を並べる商品棚は、そこまで大きいものじゃない。俺が何を見ていたのか確認しようとする彼女と、必然的に肩を並べる形になって、彼女の顔が今俺の目の前にあった。
ぱっちりと大きく開いた、月白の残滓が残る黒色の瞳。白雪のような肌と柔らかそうな頬に、小ぶりの鼻。そして少し開いた、薄い唇。
心に響く。
色恋の情は関係なしに、ただ美しいと、そう胸に残った。
彼女から目を逸らし、手にしていたタマガキの徽章を棚に戻そうとする。すると全く同じタイミングで、彼女が腰を曲げて体を屈めさせた。下の方にあった徽章を取ろうとしたのか、俺と彼女の顔がくっついてしまいそうなくらいに近づく。
勢いを止めれず、ピトッと柔らかな感覚が頬についた。
「にゃ゛っ!?」
「うぉわおっ!?」
そこまで驚きはしなかったのだが、彼女の驚く声でびっくりして思わず叫んだ。
「ごごごごめん玄一。気づかなかった。今後は気をつける」
右手の甲を鼻の辺りに当てた御月が、視線を外しながらも俺の方を向いて、口にする。少し顔を紅潮させたその姿を見て、怒っているようには見えなかった。どう思ってるかは、分からないけど。
少しだけ、いい匂いがした。それは嗅いだことのないようで、少し覚えのあるような匂いで、とても、自分に形容できるようなものじゃなかった。ただなんか、いい匂いだった。うん。
その時。頭の中で、この前大騒ぎしていたリンの姿が再び浮かんだ。このままでは彼女の言っていることが真実になってしまう。仲間に対して俺はなんという、不届きものじゃないか。ダメだ。己を律し、正さねばならない。
彼女に向けて、深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ない。御月。謝罪する」
「い、いや、そんなに謝らなくてもいいと思うぞ?」
戸惑い気味の彼女が、慌てながら答えた。
俺の謝罪を、御月が受け入れる。御月が善意で案内をしてくれているというのに、この和やかな雰囲気を謎な雰囲気で俺は壊したくなかった。またぶつからぬよう一歩離れた後、話題を変えようとして彼女に声をかける。
「そういえば御月。タマガキの防人は、徽章を付けないのか?」
空気を変えようというこちらの意図を受け取ってくれたのか、何かを思い出そうと、あーと声を漏らす御月が答える。
「確か、西の防人に区分なしと、誰かの思いつきで付けないようになったという話を聞いたことがある。しかし、もし我々がタマガキの防人としてどこかへ行くようなことがあれば、付ける必要があるだろうな」
「そうなんだ。ありがとう御月。勉強になる」
そう言って、商品棚の方から離れる。会計の方を眺めながら何か必要なものがないか考えたが、元々準備してこちらに来たし、今買う必要は特にないだろうと結論を出した。
視線を外し、御月の方を見る。彼女は今、両手で何か四角いものを握っていた。
「御月は何か買ってくのか?」
「ん? ああ。後で玄一にも見せる。次は酒場と併設されている、遊技場の方に行こうか」
そう言った彼女が鼻歌を歌いながら会計の方へ向かう。どうしても頭に浮かんでしまう先ほどの感覚を、頭をぶんぶん振って霧散させながら、彼女の背を見た。
黒の制服。灯りに照らされ、露になった細足。
西部最強と呼ばれるには随分と細く、頼りなくすら俺には見える。その両肩には、どれほどの重圧があるのだろう。しかしそれでも、今は楽しそうな彼女の姿を見て、自然と笑みが溢れた。
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