第百話 風吹く日々(2)


 四人の防人が、それぞれの音を鳴らして進んでいく。


 高所に位置する、俺が寝泊まりする施設の方から降りて行って、昨日皆で話した天幕の辺りまで移動した。アイリーンたちの案内を受けて、腹ごしらえをしようと、兵食を作る炊事兵がいる食堂の方へ移動する。


 歩くこと数分。到着したのは、倉庫なんじゃないかというぐらいに大きな建物。正面の扉を開け入ってみれば、そこには大量の長机と椅子が規則的に並べられていた。そして、奥の方に巨大な厨房が見える。


 既に大半の部隊が朝食を済ませたのか、人影は少なかった。しかし、今度は昼食の準備だろうか。厨房の中にいる人たちは、随分と忙しそうである。


「ふふ、じゃあ当番兵が配膳しに来るだろうから、座って待ってようか」


 俺の前を歩いていたリンとアイリーンが、着席する。彼女たちの向かい側に、俺とノウルが座った。


 食堂の中を見回す。清潔に保たれたここは、俺がイメージしていたものとは全くの別物だ。厨房の方からは、調理の賑やかな音が聞こえてくる。


「ああ。しかし、最前線も最前線だからあまりまともな飯が出てくると思ってなかったんだが......すごくいい匂いがする」


 クンクンと鼻を動かしてみれば、鼻腔を刺激する香ばしい匂い。俺の言葉を聞いたアイリーンが何故か自慢げに、胸を張った。


「後輩くん。食事は軍隊の基本中の基本すよ。飯がなかったら戦えないっす。まずい飯を出したら士気に響くっすよ」


 右手を大きく広げ、その手のひらを口元に向け置いたリンが、クスクスと笑う。


「ふふ、そうだね。確かにアイリーンちゃんはご飯なかったら戦えなくなっちゃいそうだし」


 それに元気よく同意したアイリーンが、朝飯が何か気になるのか、厨房の方を覗き込もうと、椅子の背もたれを掴んで立ち上がるような形になっている。あの大食らいのアイリーンがここまで楽しそうにしているんだから、期待せざるを得ない。


 すると厨房の方から大きなお盆を持って、炊事兵がこちらへ朝食を持ってきた。なんだかわざわざ持ってきてもらって悪いな。


「ちょっと手伝ってくる。待っててくれ」


 そうして一度席を外した。厨房のカウンターの方まで行って、お盆を受け取る。同時に何個か抱えて、皆の座る机の方まで戻った。彼らの前に、お盆を置く。


「おーう! 今日も美味しそうっす」


 アイリーンが、両手を挙げて喜んだ。彼女の前には今、山盛りのご飯。味噌汁。漬物。そして、コロッケがある。どれも美味しそうだ。


 皆がそれぞれ、食前の挨拶をした後、箸を手にした。


「馬鈴薯の揚げ物か。いいね」


 コロッケを箸で分けたリンは、それを静かに口に運んでいる。対するアイリーンは、そのまま箸でコロッケを挟み込み、丸ごとガブリ。


「じゃがいもがほくほくっす!」


 ニコニコしながら口元に衣のかすをつけたアイリーンの動きを、俺の隣に座るノウルが微笑ましそうに見ている。朝から楽しそうだな。 


 俺もコロッケを箸で切り分けてから、口に運んだ。サクサクと口の中で音が鳴った後、ホクホクのじゃがいもが口の中に解き放たれる。かなり濃い味付けになっていて、ご飯とよく合う。味に飽きたら味噌汁と漬物を食べて仕切り直し、またコロッケをご飯と一口。美味い。無限に食べられそうだ。


「いやー、玄一。これぐらい美味しいご飯をこれから毎日食べれるっすよー。作戦の後は離れるので食べられなくなっちゃうすが、ここの配属になる兵士が羨ましいっす」


 ちょうどコロッケを頬張っていたところなので、返事ができない。それを見て、隣に座るノウルが口を開いた。


「そうだな。こういった設備にかなりの資金を投じているように見えるし、私はそれだけ郷長が今後のカゼフキを重視しているのだと思う。雪砦を叩いてそこにまた拠点を築ければ、それだけで一大防衛線が完成するからな」


「ほえー」


 ウキウキでノウルがためになる話をしてくれたが、アイリーンの反応が悪い。それを見てクスクスと笑うリンが、ノウルの方をチラリと見た。その視線を受けて、ノウルがう、と詰まる。もしかして、リンはノウルがアイリーンに懸想しているのを知っているのだろうか。


「まあ、玄一。折角だし、この機会に色々な話を聞かせてほしいかな。これから一緒にやってくわけだし」


 一度箸をカタ、と置いたリンが、こちらを見る。こちらの様子を伺うようなこの視線は、距離感を測っているようにも見てとれた。


 俺も仲良くやっていきたいし、色々話を聞いてみたい。彼女の言葉に頷きを返して、彼女の質問を受け答えていった。








「へぇ。じゃあ玄一は、甘味が大好きなんだ。それで、色んなお店を巡ってるんだね」


「ああ。でも、タマガキにある茶屋は行き尽くしてしまったかな......」


「ふふ、ちなみにだけど、帝都の方には洋菓子専門の店が結構あるよ。行ってみるといいかもね」


 なんだと。洋菓子専門の店。いつか帝都に行った時には、絶対に行かねば。


「リン。貴重な情報をありがとう」



 他愛ない雑談を交わす。流石に血生臭い俺の身の上の話とか、血盟との戦いの話とかはしなかった。ご飯食べてる最中だし。そういう物騒な話は、リンの方からもぶっ込んでこなかった。


 俺たちの会話に、ただひたすらおかわりのコロッケと麦飯を食い続けるアイリーンは参加しない。箸をあまり動かさないノウルは何故か、冷や汗を垂らしながらこちらの話に聞き入っていた。


 彼女が、すぅと息を吸う。


「じゃあちょっと気になるから聞いちゃうんだけどさ......」


「おう」


 その時、ノウルの体が強張る。アイリーンの箸が、ピタッと止まった。え、なんで?




「ぶっちゃけ、玄一は秋月ちゃんと御月ちゃんどっちが好み?」




 訂正。物騒な話を、彼女は入れ込んできた。驚愕のあまり、呻き声のような何かが口から漏れる。隣に座っているノウルを馬鹿にできないぐらいに、冷や汗が頬を垂れていきそうだった。


「いやまず玄一くんさ。秋月ちゃんと仲良しじゃん。秋月ちゃんがあそこまで懐く男の子、見たことないなーって」


 リンの双眸が、こちらを見据える。からかうような、こちらを弄ぼうとする視線に恐れをなした。しかし、俺は全力で回避する。


「リューリン。秋月は俺より全然年上だし、だから俺のことを可愛がってくれてるんだ。本当に彼女は立派な人で、尊敬している」


 話を逸らそうとしているのは分かっていると言わんばかりにリンが瞳を煌めかせ、こちらを見た。


「ふふふ。尊敬し合える関係っていいね。玄一くんは十六で、秋月ちゃん三十だし。これくらいの年の差、防人だと珍しくないよ?」


「うっ......」


 彼女が話を続ける。曰く、軍隊から引き止められがちな防人の、特に女性は、婚期を逃しがちならしい。加えて、現役を引退してから若いお嫁さんを貰う男性の防人もかなりいるようで、その年の差を考慮すれば、もし仮に、俺と秋月がくっついても特に問題はないそうだ。それを力説された。なんで。


 こちらが用意できるであろう反論を全て見透かしたように、彼女が俺の逃げ道を塞いでいく。それを見て、なんと俺の隣に座るノウルが助け舟を出した。 


「いやしかし、白露しらつゆ嬢か。それだと、また他に問題があるだろう」


「あー確かに。それは否定できないかも。波乱の道のりだね! 玄一くん!」


「あ゛あ゛お前はいつも! そういう意味合いで言ったわけではなぁい!」


 何故か俺より先にキレたノウルが、ぎゃーぎゃーリンと言い合っている。おい。俺のこの人たちとほぼ初対面に近いんだぞ。止めようがねぇよ。旧知の仲であろうアイリーンに、視線を飛ばす。助けて。



 ところが一転。俺の視界に映るアイリーンは、何かとんでもなく気まずそうで、だらだらと汗を流しながら箸を止めていた。嘘だろ。あのアイリーンが箸を止めるなんて。一体何が。どうりで一言も声を発さないわけだ。



「まあ秋月ちゃんはめっちゃ可愛いし、多分玄一くんもドキドキしてるだろうから、ぜんぜんあるでしょ。で、玄一くん。御月ちゃんはどうなの? 玄一の言う年の差の問題もないけど」


 今まで物静かだった彼女が、きゃー! 玄一くん両手に花ー! じゃなくて月ー! とか言いながら、楽しそうにきゃっきゃ動いている。今までと比べると、体感二倍くらいの速度を出している。元気出過ぎだよ。


「いあ、や、リン。御月は......」


「ふふふふふふ。玄一くんの反応からして、何かあるね。ほらほら。お姉さんが相談に乗ってあげるから、言ってみ」


「うっ......」


 本当にさっきから、全て見透かされているような気分になる。


 御月の名前が耳に入って、自然と彼女の姿を頭に浮かべた。彼女は滅茶苦茶強くて美人だし、真面目で好感の持てる人だ。


 しかし実は最近になって、不思議な感覚を彼女に対して抱いてる。ここにいる皆は俺よりも大人で経験豊富だろうし、この際聞いてみるのもいいかもしれない。何かわかるかも。



「なんというか......彼女が美人なのはみんな分かってると思うんだけど......」


「うんうん」


「なんか懐かしい感じというか......何かが呼び起こされるような感覚というか......そういうものを感じるんだ。不思議なんだけど」



 その話を聞いたアイリーンが、神妙そうな顔つきをしている。一方ノウルは、さっぱり分からんと眼鏡の縁を触っていた。


 静かに腕を組み、目を瞑りながら考え込んでいたリンが、口を開く。ごくり。


「玄一くん。その、呼び起こされるもの。それは間違いなく、人間としての......原始の感情だね」


「人間としての、原始の感情?」


「うん」


 腕を組み続ける彼女が、キリッとした目付きをした。それを見たアイリーンとノウルが、何かを止めようとするように飛び上がる。




「多分、性欲から来る劣情かな」




 彼女の言葉を聞いて、口から言語化出来ぬむちゃくちゃへんな声が出る。

 そして時すでに遅い、彼女を止めようとしたアイリーンの張り手が、リンの頬に炸裂した。






 食堂。厨房から調理の音が響くここで、金髪碧眼の彼女の高い声がそれに乗じた。



「うぅ......アイリーンちゃん結構ガチじゃないか。いたいよ」


「リン! 玄一はまだ十六っすよ! 多感な時期っす! 冗談ってのは分かってるっすけど、それでもそういうことしない!」



 食堂に正座をさせられたリンに、アイリーンが説教をしている。というか本当に多感な時期なら、多感な時期だからって他の奴が説教させられてるのを見る方が何か問題ある気がする。


 ガミガミと叱りつけるアイリーンの声。普段説教をされてばかりのアイリーンが説教をしているなんて、一体どういうことなんだよ。


 それと、リンを叱りつけるアイリーンの姿を見て、俺の隣に立つノウルは今すぐ拍手を始めるんじゃないかというぐらい感極まっていた。彼の中でアイリーンの株が上がっている......もしかして原因これか?


 はあと大きくため息をついたアイリーンが、腕を組み呆れた表情を見せる。その後、やっぱり何故かまた気まずそうに、今度は俺の方を見た。


「でも、ちょっと私も気になるっす。どうなんすか」


 まさかの追撃を受ける。びっくり。


 しかしアイリーンなら、リンのように曲解はしないだろう。これからまたこういうことがあっても面倒だし、真面目に回答する。


「正直言って、そりゃ二人とも可愛くて魅力的な女性ではあるけど、そういうことは考えられないんだ。俺には甲斐性もないし」


 床に座り込んでいたリンが、ムクッと起き上がる。ノウルは真剣そうな表情でこちらを横目に見ていた。



「それよりも俺は......最強になって、シラアシゲを取り戻して、皆の仇を取らなきゃならない。俺にはそんなこと、できないよ」



 アイリーンの瞳が、少しだけ大きくなった。










 食事を終え、空になった食器類を厨房の方へ返しに行った玄一が、鍛錬をしなきゃいけない、と一言告げて、食堂から立ち去る。


 彼のいなくなった食堂には、アイリーンとリューリン、そしてノウルが残り続けていた。


「彼、だいぶ重症だね」


 あと、クソ真面目なのもあるんだろうね、とリューリンが付け足した。


 彼のことを評した重症という言葉に、アイリーンは返事を返せない。彼女は知っていた。彼が、復讐に生きようとしていることを。出会った頃に比べ柔らかくなったとはいえ、本質は変わっていない。


「リン。そうだから、あまり触れてほしくないんすよ。玄一が、気にするっす」


 そういうことはできないと、吐露するように話していた彼の姿を思い浮かべて、アイリーンが口にした。彼が、可哀想だ。彼女は、時のみが彼の悩みを解決できると信じている。


 しかし、リューリンはそう考えていないようだった。


「違うよ。アイリーンちゃん。無理矢理誰かが繋ぎ止めてあげないと、ダメだし」


「きっと彼には、救いが必要なんだよ。誰かが許して受け入れてあげないと、消えちゃいそうかな」


 彼女が両手を合わせて、こぼすように口にした。その動きで、纏められたサイドテールが揺れる。


「だから意外と、秋月ちゃんとか御月ちゃんとか、抱えるものが大きすぎる人ほど引っ張れるし、良いのかもね」


 それにちょうど、彼は二人のことを魅力的に思ってるみたいだし、と彼女が付け加える。何か満足げな表情をしたリンが、うんうんと頷いた。思わぬ反論を受けたアイリーンは、何かを考え込んでいる。


 一連の流れを全て見届けたノウルが、何故かやたら恨みのこもった声色で、リンに向かって声を発した。


「リン。私は、人の恋路に口を出さない方が良いと思うぞ」


 明らかに殺意を込めているノウルの低い声色をリンは気に留めてすらいない。ほわほわとした表情を浮かべながら、彼女が両手で自らの両頬に触れる。


「いやいや、だって皆初々しくて可愛いんだもん。玄一くんと秋月ちゃんと御月ちゃん。ふふふふふ。これからもっと楽しみ......」


 今後起きるであろうトラブル、彼女にとって垂涎ものである彼らの人間模様を想像したリンが、ニンマリと笑った。









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