幕間 幾星霜。秋を欲す。

 


 黒味を帯びた艶やかな紅が、吹き荒れる風に乗る。


 へし折れた木造建築物の柱。


 吹き飛んだ石材。


 夜の帷が下りた光のないこの街で、誰かの駆ける音と荒い息の音だけが、響き渡っていた。


 ここは、帝都再開発地区。絢爛たる帝都中央地区とは対照的に、ある事件によるバケモノとバケモノの争いによって荒廃した、瓦礫の積み上がる悲しい、寂れた地区だ。戦いの影響で人がいなくなったこの地にはならず者が住み着き、その対処を面倒に思った政府から、この地区は半ば放棄されている。民間人が誰も寄り付かぬこの土地は、反社会勢力の巣窟と化していた。



 帝都の治安組織である帝都警備隊といえども、そう簡単にこの地へ踏み込むことはできない。この瓦礫の町に住むものなら、皆そう知っていた。実際に、この土地の潜伏調査に訪れた帝都警備隊の隊員何名かが、行方不明となっている。


 ここは、昏き世界に続く瓦礫の町。ここを犯すことができるものなど、堅気の世界には存在しないと。



 しかし、それは間違いだった。



 彼らは気づく。ただ黙認され、放置されていただけだったのだと。


 紅の鉢巻を頭に巻いた血脈同盟団員が、焦燥とした表情で瓦礫の町を駆けている。後方より迫る重圧を前に、彼は汗をだらだらと流していた。


「お逃げください! 第拾参血盟!」


 その声を聞いて、彼の前方を走る角のついた骸骨の面を被った男が、追いかけてくる重圧を確認しようと振り向いた。


帝都警備隊気鋭の連中じゃない……! 何故東北部に張り付いているはずの……第二踏破群のヤツがここにいるんだ!?」


「分かりません! 第二踏破群が極秘に帝都へ帰還した可能性も……」


 後方を気にしながら必死に迫り来る敵から逃げようとする血脈同盟の二人が、前方にいる誰かに気づいた。


 彼らが足で地を削りながら、急停止する。その勢いをうまく利用し、紅の鉢巻を巻いた男が、腰に刺した刀を引き抜いた。


 

 後方より彼らが感じていた重圧が、。咄嗟に臨戦態勢を取った二人が、前方の重圧を刮目した。



 彼らを追いかけていた重圧の風貌が、月明かりによって明らかになる。


 背中には、紅葉の模様を描いた大きなマント。腕を組み仁王立ちをする彼は老いているようには見えないのに、霜のように真っ白なその髪の毛が目立つ。


 背は特別大きいわけではない。図体は大きくなく、筋骨隆々とは形容できないであろう。しかし幾星霜の戦を潜り抜けたであろうその体には、途轍もない規模の霊力が収縮していた。


 ルビーのように煌めく大きな瞳が、警戒する彼ら二人を捉える。その視線は敵を見るものではない。まるで━━━━路傍の小石を見るかのような目だ。


「ふん。下位ではあるが……網に掛かったか」


 男性にしては、少し高い琴の音色のような声。それが夜に響き渡り合図となって、血脈同盟団員を囲むように彼の手下であろう兵員が立ち上がった。



 傲岸不遜とも取れる態度の男を前に、刀を手にした血脈同盟団員の声が震える。



第二踏破群戦星。群長、秋霜しゅうそう……」



 第二踏破群群長。実働部隊最強とされる彼らを率いる秋霜は、他の踏破群群長と比べてみても、圧倒的なまでに抜きん出ている。一部ではサキモリ五英傑に並び立つと評され、時に最強の防人とすらされる彼を前に、血盟らの焦りは極限までに達していた。


 その上、彼らの相手は秋霜だけではない。


 月明かりの元に、二人を取り囲む赤葉の制服を着た兵員がじりじりと詰め寄る。彼のマントと同じ紋様を描いた、赤葉の制式装備。何らかの特殊部隊であることを窺えるそれは、団員の恐怖をさらに駆り立てた。一部の兵員の手にはその剣の犠牲になったのであろう、他の血脈同盟団員の首が握られている。


 彼に侍る団員とは違い、仲間の生首に一瞥もしない骸骨の面を被る第拾参血盟、幽鬼は、彼らを凝視する。その視線は、赤葉の兵員が何者かを推し量ろうとしていた。


 血脈同盟の幹部である血盟の彼よりは圧倒的に弱いだろうが、秋霜が率いる兵員一人一人の実力は間違いなく高い。漏れ出る霊力の圧から、彼はそれに気付いた。しかし一度第二踏破群隊員の姿を見たことのある彼は、彼らの着る赤葉の制服が踏破群隊員のものでないことを知っている。彼がお面の下で怪訝な表情を見せる。これほどの実力を持つ兵員は、踏破群以外で何者であろうのかと。


「踏破群じゃねぇ……一体……何奴」


 秋霜に問う幽鬼の声を聞いて、彼が失笑する。その後、自らに言い聞かせるようにして呟いた。


「……俺の部下たちは戦線に置いてきた。戦星が帝都東北部を空けるわけにはいかん」


 第二踏破群群長、秋霜の体から、深紅の霊力が奔る。その深き紅の海は、緑、青、紫と、様々な色の霊力を含んでいた。その重圧、渋み、深みは、この夜にも勝る。


 何かを思い苛立ち始めた彼が、タン、タン、と踵を地につけたまま、足で一定のリズムを刻んだ。


「しかし! これは俺自ら処罰し報復する必要があると判断した!」


 彼が地を叩いていた足を止める。胡乱げな表情を見せて、首を傾け遠く西方を見た。


「俺の妹に巫山戯た真似を…………西の狸め。これを見越してやったのか?」


 秋霜の言葉を聞いた幽鬼は、一切の心当たりがない。彼は訳がわからぬと沈黙を貫く。隣に立つ血脈同盟団員も、理解が出来ぬと眉をひそめていた。


 己の思考に没頭する秋霜。動きを見せぬ彼を前に一抹の余裕が出来たのか、赤葉の兵員は何者なのかと幽鬼が観察を始めた。



 彼が月光に煌めく、赤葉の制服に乗せられた兵員の胸章に気付く。


 意匠の凝った胸章が形作る紋章は、たった一枚の葉。そしてその上に滴り光る、一滴の露。


 その証が意味するものに気付いた彼が、わななきながら、無意識に口にした。



四立名家しりゅうめいか……立秋! 白露しらつゆ家か!」



「ク……クハハハハハァハハハハ!!!!」


 腕を組み仁王立ちする秋霜が、彼らの正体に気付いたことを褒めてやると言わんばかりに哄笑する。そして口を閉じ、幽鬼を睨んだ。




「そうだ。これは第二踏破群群長としての戦ではない。白露家が長子。秋霜としての報復である」




 その宣戦とともに、彼の霊力が夜に立ち昇った。対抗する幽鬼が、霞むような霊力を放つ。しかしその威容は秋霜と比べ、明らかに見劣りしている。



「何故白露家が我ら血脈同盟に手を出す!」



 右手を前方に掲げる幽鬼が、秋霜に問う。何故白露家が血脈同盟を襲うのかと。


 その主張を聞いた秋霜が、さらにその苛立ちを募らせた。前髪を掻き上げ頭を押さえる彼が、何故理解できぬのかと射殺すような視線を幽鬼に向けている。


「チッ……! 分からぬかァアッッ!!!! 貴様らの犯した大罪がぁあッッ!!!!」


 怒りが霊力に乗り波紋となり、幽鬼を刺激する。幽鬼に彼ら白露家を挑発する意図は一切なかった。しかし彼の言葉が結果として、火に油を注ぐ形となる。


「……我ら白露は猛っている!」


 幽鬼の隣に立つ血脈同盟団員が、彼らを取り囲む赤葉の集団を見回す。彼の瞳に映る赤葉の集団全員が、何故か際限なき怒りに打ち震えていた。幽鬼には心当たりがない。ヒノモトに強い影響を持つ四大財閥とも呼ばれる四立名家の一つが、彼らにとっては小さな組織でしかない血脈同盟に対して憤怒し報復すること。その上長子である秋霜自らが、辺鄙な土地再開発地区まで足を運ぶ理由が分からなかった。



「しかしよし! 今は貴様らを眼中に入れることすら腹立たしい! 疾く死ねぃ!」



 突如として深紅の霊力を発露させた秋霜の背から、四つの白き輝きを孕んだ星々が動き出す。


 第二踏破群の象徴。天に瞬く星の輝き。深紅の海を切り抜けた。


 彼らの怒りとは正反対に、それはゆっくりと夜を進む。しかし何故だろうか。その小さな小さな輝きが、一目見ただけでとんでもない重みを孕んでいると分かるなんて━━━━



 弧を描き幽鬼と血脈同盟団員に迫るその輝きは、彼らでは推し量ることすら出来ぬ威力を内包している━━━━!!



「幽鬼様! お逃げく……」



 血脈同盟団員の声が響く前に、目視できぬ霞んだ霊力を放つ幽鬼は、溶け入るようにその場から離脱した。


 白き星々が天地を切り裂き爆発する。


 緑、青、紫、赤、様々な色で構成されたその爆発が波紋を描き、水彩画のような光景を夜を下地に作り出した。



 黒焦げになり、色も判別できぬ鉢巻が地に焼け落ちる。









 腕を組んだままの秋霜が、星の爆心地を確認する。そこには粉々になり吹き飛んだものの、かろうじて残った血脈同盟団員の肉片が落ちていた。


「ふん……奴の霊技能。逃したか」


 腕を組み、爆心地を眺める彼の表情は変わらない。幽鬼を逃したことに何も感じていない彼の傍に、夜闇から現れた、一人の男が跪いた。


 秋霜が横目で跪く男の姿を確認する。衣服から血液が滴るほどに返り血で濡れてきたその男を見て、彼が鼻を鳴らした。


「再開発地区の掃討が完了しました」


 しばらくの間頭を下げていた男が右手を胸元に掲げ、畏まりながら頭を上げる。


「そして、この白露の胸章は汚しておりません」


 彼の胸元には血に濡れていない、新品のように小綺麗な胸章があった。


「ふん。良くやった。白露の名の下、この地を立て直すぞ」


「畏まりました。秋霜様」


 腕を組み何かを想うように月を眺めていた彼が、跪く男の方へ向き直る。


桐一きりひと。お前に血脈同盟の掃討を一任する。白露の名を掛けて奴らを徹底的に潰せ」


「承知。秋月様の為、尽力致します」


「俺は白露へ帰還した後、再び踏破群の任に付く。全て任せた」


 秋霜が踵を返し、コツコツという足音が夜に広がる。揺らめく紅葉のマントを見送った桐一。彼は敬愛の情を示すように、秋霜の姿が再開発地区からなくなるまで跪き続けていた。






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