第三章 これから駆け抜ける君へ

第六十七話 シラアシゲの郷

 


 早朝。まだ空が白んでくるころだというのに、飛び起きてはすぐにあの大樹の下へ向かった。それが、彼との約束だったから。


 秋月や兄さんに三年前の話をするにあたって、俺の故郷であるシラアシゲの、その景色を思い出す。まるでかつての自分を空から俯瞰するようにして、俺は記憶の中の世界を飛んでいた。あの時の自分が感じていたものや、見えていたものが、今の自分には見えない。だからこうして、誰かの記憶を覗き見るようにして自分を見ている。


 道端に佇む俺の横で、一人の少年が駆け出した。その少年は、青みがかった髪を持っていて、その手には使い込まれた一本の木刀がある。


 彼は草木に突っ込むのも厭わずに、ぐんぐん突き進んでいく。彼の視線の先には大樹があって、そこで彼を待つように、俺と同い年の少年が幹に寄りかかって立っていた。


伊織いおり!」


「新免。遅いぞ」


 木の幹預けていた体を戻した、少年の黒髪が揺れる。当時、俺たちは十三歳。身体は成長仕切っておらず、顔つきはまだまだ幼い。今思えば、伊織は端正な顔つきをしている。きっと、大きくなっていたら美男子になっていたんじゃないんだろうか。


 懐かしい。記憶の中の彼の姿を見て、少しだけ、泣きたくなる。


 彼は俺と同じように、使い込まれた木刀を手にしていた。彼は俺の幼馴染にして、親友。家族のような人。


 俺は彼のことを相棒と呼んでいた。いつも一緒に行動していて、二人で防人になろうと約束したのを、強く覚えている。



「悪い。相棒。今日もやるぞ」


「ああ。かかってこい」


 シラアシゲにいた当時、俺たちはこうして毎朝二人で模擬戦をしていた。木刀と木刀が打ち合い、真剣からは出ないであろう鈍い剣戟の音がする。彼らの太刀筋は今こうして強くなった俺から見ても綺麗だった。というか、霊力等を除いた剣の実力のみを鑑みた時に、今の俺と前の俺はあまり変わっていないかもしれない。少しショック。


 彼らの戦いの中で、ほんの小さな霊力の輝きが見えた。そういえば、少しだけ使えてたっけ。当時。霊力があるのとないのじゃ、大違いだ。彼らの木刀を振るうスピードが、自然と上がっていく。


 そんなことを考えながら彼らの戦いを観続けること数十分、記憶の中にいる俺が伊織の剣を巻き上げ打ち取った。勝負ありだ。


「まったく......どうやったらそんな動きが刀で出来るんだ。流石だな。新免」


「いや、大したことなんてない。相棒。俺なんて、まだまだ雑魚だ。それに━━」


 伊織がその答えは知っていると言わんばかりに得意げな顔をしながら、拳を握り親指のみを立てて、後ろの方を指差した。


「私たちが目指すのは、あの領域。だろ?」


 彼がそう言ったのと同時に、鐘の音が聞こえる。これは、開門を知らせる音。伊織と毎朝模擬戦をしていた大樹は門の近くにあったので、彼らの帰還を即座に知ることができた。戦いの最中でも、その音が聞こえれば即座に門の方へ向かったのを覚えている。


「伊織! 彼らが━━━━剣聖たちが帰ってくる! 行こう!」


「まったく。まあいい。付き合おう」


 いつも呆れた顔をしていたのを覚えているけれど、今見てみれば、彼もまんざらではなさそうだった。








 門の方へ駆け出した彼らを追う。まだ早朝だからだろうか。そこには見張りの兵士しかおらず、他に人は見当たらなかった。


 誰もいないそこには、今となっては嗅ぎ慣れた鼻孔を突き刺す鋭い匂いがしている。いつも、彼の姿を見に行こうと向かっては、この匂いがした。他の住民も、昔は英雄の姿を拝もうとよくやってきていたが、この匂いに負けて自然と来なくなっていた。


 そこにあった匂いの発生源は、大きな、獣型の魔獣の死体。急所である首と心臓の部分が切り裂かれており、他に外傷は見当たらなかった。


「伊織! 今度はあんなにでかい魔獣を殺してきたぞ!」


「ああ。すごいな。あれは」


 そう会話している彼らの元へ、外の方から、数人の足音がした。それを聞いた二人が、魔獣から視線を外しそちらの方を向く。


 そこには、六名の防人が立っていた。彼らの姿を見るのは久しぶりだ。今こうして見てみれば、彼らの実力の高さが伺える。


 その中でも一際目立っているのは、彼らの中心に立つ、白髪の男と一人の女性。


 左に立つ男の長い髪が風に揺れて、山名のように筋骨隆々とはいかずとも、鍛え上げられた肉体が見えた。背は非常に高く、腰につけている野太刀の柄に置かれた手は、刀を握り続けたものの手だった。


 その翡翠色の瞳は、傍に倒れこむ魔獣の屍を見ている。


 サキモリ五英傑最強。古今無双と謳われた、歴代で最も多くの空想級魔獣を撃破したとされる防人。



 剣聖が、そこに立っていた。



 その横に侍るのは、彼と同じような、白髪に限りなく近い金髪を持った女性。剣聖のような長髪は持たず、肩にかからぬほど短い髪型。非対称に長い横髪が、陽に当てられて輝いた。


 背は彼よりも低く、その小さな顔には、小ぶりの鼻と艶やかな唇が乗っている。桃色の瞳が特徴的で、とても戦士のような顔つきには見えない。


 しかしながら彼女の身体は、


 鋼鉄の右腕。鋼鉄の左足。体の半分以上が鉄で出来ていて、所々見える柔肌は、あくまでも人造のものであろう。決して本物ではない。


 その証拠として、彼女の鋼鉄で出来ていないように見える左腕からは鞘を取り付けるための取っ掛かりが直接生えていた。そこには西洋のものとも、東洋のものとも思えない不思議な機械的な見た目をした剣が取り付けられていて、それが彼女の武器なようだ。結局、彼女が戦う姿を俺は見たことがないが。


 最強の防人と並び立つ資格を持つ彼女もまた、至高の領域にその身を置いている。


 サキモリ五英傑。時の氏神マキナ


 彼女の視線の先は魔獣ではなく、目を輝かせ彼らを見ている木刀を握った少年の方だった。






 ああ。こうして一目見ればわかる。きっと御月や兄さんは、彼らに近い戦闘能力を持っている。けれど、きっと戦えば、絶対に彼らが負けることはない。


 雰囲気が違う。圧倒的な威圧感を持っているわけではない。掴み所のない、ふわふわとしたような感覚。されど、確固たる、芯とも言えるようなものが彼ら二人にはあった。


 その証左として、纏われる霊力は、全く別種のもの。それが何かはわからないが、彼らと俺たち普通の防人の間には、どう足掻いても埋めることの出来ない、隔絶された差がある。威圧感だけで考えれば犬神の方が強かったかもしれないが、俺が感じ取れる程度の差ではないんだ。きっと。


 このような感覚を覚えたのは、彼ら以外に師匠しかいない。恐らくサキモリ五英傑は人として、更に一歩上の領域にいる。


 しかしながら山名と出会った時に、彼らと相対した時のような、その感覚がなかった。故に初対面の際、気づくことが出来なかったのだ。彼が英傑であると。


 俺の横に立つキラキラと目を輝かせていた二人は、一度彼らから視線を外し、目を細めて、魔獣がどのような見た目なのかを確認しようとしている。流石に堂々と近づいて見るわけにはいかないと思ったのだろうか、大きく回って倒れこむ魔獣の顔を見ようとしていた。



 魔獣の方をじっと見つめていた剣聖が、俺たちの方を見ていた時の氏神の肩を掴み、声をかけている。


「マキナ......これはやはり」


「ええ。恐らく七体目が西にいる」


「チッ......」


 当時全力で聞き耳を立てていたおかげか、不思議と彼らが言っていたことを覚えている。今防人として知識をつけても、彼らの言う”七体目”が何を意味しているのかは推測の域を出ず、分からなかったが。


 彼らの後ろに付いている隊員たちは、一言も声を発さない。魔獣を討ち取り凱旋してきたというのに、重い空気を孕んでいた。


 時の氏神が、ゆっくりと口を開く。


「剣聖......きっとこれが最後の戦いになる。やっぱり貴方を━━」


「マキナ。頼む。これはここまでやってきた、私の責務なんだ。この願いを、繋げなければならない」


「それでも、貴方が生━━」






「コラッ!! またお前らか! ガキども!」



「やべっ! 逃げるぞ! 相棒!」


 唐突に場面が切り替わる。俺の目の前には、髪の毛のない、槍を手にした見張りの兵士がいた。彼は門番だったのだが、いつもこうして帰還してきた防人を見に行っては、彼に追い払われていた。


 マキナが言おうとした続きの言葉は、きっと俺の記憶にないのだろう。だから、彼女が何を言おうとしていたのかは、見ることが出来なかった。


 最後の戦いになる、か。







「ちくしょー相棒。あともうちょっとで細かいところまで見えたんだけどな」


「仕方ないだろう新免。霊力を持っているものでさえ魔獣の魔力に当てられて気絶したりするようなことがあるんだ。死んでいるとはいえ、門番の意図も分かるだろ」


「クソ、あのハゲがいなけりゃな」


「まったく......」


 彼らが木刀を手にしたまま、どこへ向かおうとしているのか、道を練り歩いている。行くところもなく、ただうろついているだけか。


 当時のシラアシゲの郷は、魔物の領域と隣接する、最前線も最前線。そのような危険な場所に身を置きながらも、郷の大きさは西部の中でも五指に入るもので、居住区も広く、多くの民衆がいた。


 それも全て、彼らのおかげ。


 二十年前の戦をくぐり抜けた精兵。人類の中でもトップクラスの強さを誇るシラアシゲの防人。そしてその中核を成す双璧の英雄。平たくいってしまえば、当時のシラアシゲは無敵だった。


 歩みを進めることしばらく、すでに日は上り、通りに人々の往来が増える。本当に、懐かしい景色だ。


「おーい! 伊織! 玄一! あんたらまた二人でいるの?」


 横道から、甲高い女の子の声がする。彼らが歩みを止めて、声のする方へ振り返った。


 そこにいたのは、同じく幼い少女の姿。髪の毛は短く、肌は土で汚れていた。彼女はスカートを履き、洋服を着ている。


皐月さつき。またお前か」


「何よ悪い? 毎朝木刀なんか握って、ごっこ遊びもほどほどにしなさい」


「なんだと」


 伊織は何も言わずに眺めていたが、皐月がからかってくるのに俺が突っかかっていた。皐月もまた、俺たちと同い年の幼馴染の女の子。全員がシラアシゲで育った仲間だ。当時は不満に思っていたが、きっと皐月は構って欲しかっただけなんだろう。


「私みたいに特霊技能が使えるってならまだしも、あんたたちじゃ無理だわ。あんたたちじゃなくて、私が最強になるのよ!」


 彼女が片足を少し上げて、そこに緑色の霊力が纏われる。脚部に纏われた霊力はただの身体強化ではない、特殊なもの。彼女は、霊技能持ちだった。


「もう一度話してあげようかな。私がゴブリンと戦った時のこ、と!」


 彼女が当時繰り返し自慢していた話を始める。いわく、こっそり郷を抜け出した時に、ゴブリンと遭遇。その時に、霊技能を発現させたそうだ。本来は秋月のように研鑽と工夫の果てに特殊霊技能を発現させるのが主流だが、人は稀に危機に面した時に特殊霊技能を発現させることがあるらしい。現に、俺もそうだった。


「けっ、最強になるのは俺と伊織だ!」


 口下手だった俺が、皐月に押されて負ける。情けねえ。勝ったと確信した皐月が、わははと笑いながら通りを駆けていなくなった。憤慨する俺は、何も言い返さなかった伊織の方を向いている。


「お前もなんか言えよ、相棒」



「ん? ああ、大丈夫。きっと、私たち二人なら━━」



「彼らも越えられる」




 伊織が、遥か遠くの方を見ていた。


 記憶の中に身を置いておきながら、目を見開いて、飲み込んだ唾が喉をゆっくりと通った。そういった伊織の顔は自信に溢れていて、それを疑っていない。完全に信じきっている。



 しかし、彼と共に最強になれる日は、もう来ない。


 記憶の中のカラスが啼いた。




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