第7話『協定締結』

「きょう、てい……?」


私は、目の前で唱えられたその単語を復唱した。単語の意味がわからないとか、そういった問題ではない。何故、このタイミングでこの単語が?私の疑問の矛先はそこだ。つい先程まで殺し合い寸前の行いをしていた者と、一体誰が協定を結ぶというのか。


「なんで……。なんで、私への命令が協定締結なの?」


もっと、違う命令が来ると思っていた。女としての尊厳を、いやそれだけに留まらない。人間としての尊厳を失う命令さえも覚悟していた。どうということは無い、いつもと同じだと、自分に言い聞かせて無理矢理にでも受け入れるつもりでいた。なのに、それを裏切られた。


「あんたに聞く。今も、俺を殺したいか?殺したいとまでは言わなくても、こんな風にもう一度俺の身体を傷付けたいと思うか?」


さっきまで戦っていた名も知らない少年。身長は私より頭半個分くらい高く、後に特徴という特徴は無い、どこにでもいそうな見た目だった。街中で見かけても、仮に目が合っても、次の瞬間には記憶の片隅にも残らなそうな程に個性にとぼしい少年だ。唯一特異点があったのは、彼の右腕だ。今でこそ血が止まっているが、彼の右腕は肘より先の部分がスッパリと切断され、綺麗に無くなっていた。それが何によるものなのか。知りたくない私の意志とは反対に、頭に残った記憶は強く真実を見せつけてきた。


今一度少年の質問の意図を考える。仮に言葉通りに受け取ったとして、私が示す答えは――


「思わない、これっぽちも」


つい数分前までは確かにあった戦闘意欲も、血がたぎるような明確な殺意、そして目的達成への義務感。まるで何かの呪いのように私の中で渦巻いていた激情は、すっかり鳴りを潜めてしまっていた。それどころか、その感覚さえも、今では記憶から抜け落ちたような、そんな気さえ覚えてしまうのだ。


「今となっては、何が私を駆り立てたのかさえもわからない。自分が自分じゃないみたいだった。まるで、知らぬ間に誰かに支配されていたみたいに――」


言って私はハッとした。確かに、これは私からしてみたら紛れもない事実だ。たが、それは私が当事者だから成り立つ真実に過ぎない。客観的に見たら、こと少年の目線から見てみれば、私の言葉は単なる責任逃れの弁明に過ぎない。先の瞬間、破竹の勢いで己を殺めようとしていた者の言葉を誰が信じるというのか。


静寂が、私達二人を包み込んだ。それは決して気分がいい物ではなく、緊張感や圧迫感の延長線上に存在するそれであった。1秒という僅かな未来さえも、この空間では遥か先の事のように感じてしまう。きっとそれは、ただ広いだけが取り柄の殺風景なこの部屋にいるせいだ。そうに違いないと、己に言い聞かせた。心臓の鼓動が聞こえる。悠然とした時の流れに似つかない、小動物の軌跡のように早く小刻みな鼓動が部屋にこだまする。


「俺は――」


無限に続くと思われた時の中、少年は悠然の時にとうとう終止符を打った。それまでが一瞬のことに過ぎないことは、今になってようやく気付いた。


「俺は、あんたが言った言葉の全てを信じることは出来ない。どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか、まるで見当がつかない」


その通りだ。少年が言うことは、何一つとして間違っていない。しかし、だからこそ疑問が残る。何故、彼はそんな私と協定を結ぼうとしているのだろうか。何故、信用出来ない相手と協力関係になろうとしているのだろうか。一体どうして。そんな私の疑問を知ってか知らずか、少年は更に言葉をつむいだ。


「だから、俺は俺を信じることにした。俺の目に映るものを、信じることにした。俺の目に映る今のあんたは、とてもさっきまで俺を殺す気でいた怪物には思えない。至って普通な少女にしか見えないよ」


一瞬言葉を疑った。彼は何を言っているのだろうか。あまりにもお人好しな、甘くて未熟な選択肢。私が言えたことではないが、そんなことをしてしまえば最後には利用されて食われてしまうだけだろうに。なのに――


「あなたの選択が、間違っているとは思わないの?私が、あなたを裏切るかもしれないとは思わないの?」


こんな私を、どうして信じられるのだろうか。そんな風に真っ直ぐと信じられたら期待してしまうでは無いか。それが単なる甘さでも、未熟さでも、誰かに信じられるのなんて、一体何時ぶりだろう。


頭の中に渦巻く様々な感情。ぐちゃぐちゃに混ざりあった感情を色で表すなら黒色だ。しかしそれは漆黒とも暗黒とも違う、適当に混ぜ合わせた絵の具みたいに、いびつよどんだ不完全な黒色だ。


「思わない、ってわけじゃない。だけど、言っただろ?信じるってさ。根拠なんてない直感だ、あんたは信じられるって」


真っ直ぐに、只管ひたすらに真っ直ぐに、少年は私を見つめ、そして左手を差し出した。その瞳に一切の迷いや曇りはなく、私にはとても眩しいものにさえ感じてしまった。


「――ズルいよ、そんなの」


私のつぶやきは声になって彼に届くことはなかった。ただ私の口の中で滞って、泡となって消えていくだけだった。


「私はあなたを信じることは出来ない。あなたと違って、私はお人好しじゃないから。だけど――」


真実とは、非常に脆いものだ。噛み合わない真実は、嘘ということになるのかもしれない。当人からしてみたら真実でも、第三者から見たら嘘ならば、それは何になるというのだろうか。真実は、人の数だけ増える。故に脆く、何よりも嘘吐きだ。そのくせ、何よりも残酷で非常だ。避けられない真実は、いつも私を苦しめた。縋りたい真実は、いつもと同じだと見放した。真実は、私の鏡写しだ。変化することを拒み、最悪な現状に甘んじる臆病者。未来がより良くなるなんて限らない。現に勇気を出して踏み出して結果はどれも、お世辞にもいいものでは無かった。今だってそうだ。どうして、私がこんな意味不明なゲームに巻き込まれているのだろうか。それもこれも、変えられない真実だ。逃げ出すことも許されない、最初から出口など存在しない不条理でどうしようもない真実によるものだった。


だけど、本当に全てが私を苦しめたのだろうか。目の前を照らす光は、私が決して手に入らないものだ。それは、運命や真実さえも己の力で切り開くとても眩しい才能だ。欲しい、とは思わない。人は簡単には変われない、そんな力を持ってしても身に染みた臆病は治らないだろう。


だけど、もしかしたら変われるかもしれない。淡い期待だ。甘い戯言だ。そんなことはわかっている。結局、彼も私も甘さという点では似たもの同士なのかもしれない。だからこそ、希望を抱いてしまうのだ。そんな私でも、もしかしたら、と。そんな私の答えは、もう決まっていた。命令だから、という理由ではない。他でもない私自身がそうしたいから、そうするのだ。


「あなたといれば変われる気がする。それだけは信じられるから」


私に差し伸べられた左手を握り返した。柔らかくて、それでいて何処かゴツゴツしている手だった。


「これから、よろしくね。えっと……」


「悠馬だ。佐野悠馬。こんな苗字だけど、別にヤンキーでは無いからな?」


冗談めかした彼の言葉に思わず笑ってしまった。それに釣られて、彼も少しだけ笑っていた。


「私は……。私のことは、ユウキって呼んで。佐野くん」


少しだけよそよそしいが、今はまだこれくらいが丁度いいのかもしれない。


「それで、協定締結って何をすればいいの?」


少しだけリラックスした私は、ずっと疑問に思っていたことを佐野くんに述べた。協定締結、そこには何かしらの目的があってしてのことだろう。だとすれば、一体何をするつもりなのだろうか。


「俺はこのゲームを終わらせてアイツに――。レギナに再戦を挑むつもりだ。その為の手段が、情報収集と頼れる仲間を集めること。ユウキには、俺と一緒にゲームを終わらせる為に色々と情報を集めてもらいたいんだ」


あまりに大きな野望に、驚きを隠せなかった。だが、同時に思うのだ。彼ならば、その野望を果たすことが出来るかもしれないと。


望まず手に入れたこの力。それを、真の意味で活かす時は今のかもしれない。脳裏に刻まれた、あの時の言葉。記憶に刷り込まれた言葉、それを再度呼び起こす。これからの、戦いの決意の為に。


覇王はおう』――。衝撃波を自在に操る能力が、あなたの王権です。


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