第124話 クリステル

 各所で激しい戦いが繰り広げられる第二階層。その北西部でもまた、己の使命を全うしようと孤軍奮闘する者がいた。


 切り立った岩山の上、限られたフィールドでエルダーゴブリンと対峙しているのはクリステルだ。押され続ければ山から滑落し、ただでは済まないと言うプレッシャーの中、グレートソードを巧みに操るエルダーゴブリンを相手に上手く立ち回っていた。


 しかし、それだけだ。戦況は決して良いとは言えない。


 取り回しが悪いグレートソードを使っているエルダーゴブリンに対して有効打を与えられず、距離が開けばすかさず魔法が飛んできた。


 戦闘が始まってから結構な時間が経過しているにもかかわらず未だにクリステルが戦えているのは、隙の無いエルダーゴブリンからダメージを受けないことを念頭に置いているからであり、いたずらに体力と魔力だけが消費されていた。


 ジリ貧だ。この状況では助けなど望めないだろうし、自分自身でこの戦況を打開できなければいずれは殺される。クリステルは剣を交えながら突破口を探し続けていた。


 一方でエルダーゴブリンは自分を前にしていつまでも立ち続けているクリステルが気に入らないし面白くない。


 予想外の粘りだった。自分の待機場所に送られてきたクリステルを見た時はまた騎士かとうんざりしたものだ。


 いつかの騎士たちより強いのは分かるがたった一人。メイハマーレが嫌がらせでもしているのかと疑ったが、戦ってみれば、まあ攻撃が通らない。


 クリステルと以前の騎士たちの決定的な違いは技術と駆け引きの巧さにあった。グレートソードに比べれば枝のように細い剣を巧みに操り、無理をせずに受け流す。


 挑発しても冷静さを失わず、わざと隙を晒しても乗ってこない。それどころかフェイントに引っかかったと見せかけて反撃の反撃までしてこようとする始末だ。


 思った以上にやるクリステルに最初は面白がっていたエルダーゴブリンだったが、ここまで戦闘が長引いてもほとんどダメージを受けていないクリステルを見ていればその気も失せてくる。


 別に本気の攻撃を仕掛けてそれを防がれているわけではないが、表情に余裕を保ち続ける人間を見ているのは気持ちの良いものではない。ならば手っ取り早く本気を出すかと考えても、ここで力に頼ってしまうのは何だか負けな気がする。


 そんなこんなでエルダーゴブリンの顔からはいつもの人間を馬鹿にするような笑みは無くなり、段々と渋面を作るようになっていった。


「<サンダーボム>」


 回り込むように移動していたクリステルが急に方向を変えて直角に突っ込んでくるのを見て、エルダーゴブリンはそれを邪魔するように宙にバチバチと音を立てる機雷をばら撒いた。


 クリステルはそれを躱せるものを躱し、進むのに邪魔になるものは切り飛ばす。


「<シールエッジ>」


 クリステルがスキルで斬った<サンダーボム>は爆発することなくそのまま消える。勢いを落とさずに突っ込んでくるクリステルに舌打ちをしながらエルダーゴブリンはグレートソードを薙ぎ払った。


 そのタイミング、グレートソードの長さ。左から迫ってくる斬撃に一旦それに対応する動きを見せた後、すぐに剣先を右向きに変えて右からの攻撃に備える。


 手首の動きだけで軌道を変えたグレートソードは半円を描くと反転し、逆側からクリステルに襲い掛かるが、これを読んでいたクリステルは刃を冷静に上に弾き流すとエルダーゴブリンの懐に飛び込んだ。


「チッ」


 再度舌打ちが出るエルダーゴブリンはそんなクリステルを右脚で蹴り飛ばそうとするが、そもそもそう簡単に攻撃できるはずがないと思っているクリステルはこれにも俊敏に反応する。


 斜め前に足を運ぶと、エルダーゴブリンの横をすり抜けざまに右脚を一閃。


 攻撃したことでいささか無理な体勢になりバランスを崩すが、それに逆らうことなく地面を一回転して素早く構え直すと、エルダーゴブリンの右脚にはしっかりと赤い線が刻まれ、そこから血が流れ出ていた。


「ふぅ。やっと一撃、かしら?」


 戦いを通して初めてダメージらしいダメージを与えられた。それだけで少し達成感を感じるクリステル。しかしそれが勝ち誇ったセリフのように聞こえてしまうエルダーゴブリンは心中穏やかではない。


 手加減してやっているからこそ貴様はまだ生きているのだと言う気持ちが口をついて出る。


「カッハッハ。この程度で図に乗るとはいい気なもんだのぅ、小娘。その単純さはある意味羨ましいわい」


 エルダーゴブリンのその言葉に戦いの流れが変わったことを感じとったクリステル。それに気づけたのはひとえに貴族としての訓練の賜物だろう。


 相手の感情の機微を正確に把握することは貴族社会で生き残るための最低条件。クリステルはそれを必要な分しか学んでいなかったがここにきてその時の経験が生きた。


 勝利を掴み取るために相手の口車に乗っかる。


「あら、そんなつもりは無かったのだけど。もしかしてプライドを傷つけちゃったかしら? 最初の頃は散々馬鹿にしてきた癖に全然喋らなくなっちゃったし……。意外と、焦っていたりして?」


「カッハッハ! 焦る? 儂がか? まさか手加減してやってることに気づいておらんのかの。本気を出せばいつでも殺せる貴様を相手に、儂が焦る理由が無かろう?」


 笑い声を上げるエルダーゴブリンにクリステルも微笑んで答える。


 年若いながら妖艶さを感じさせるその笑みに、たっぷりと毒を含んだ棘を忍ばせながら。


「ふふふ。そうなの? あなたが全力でないことには気づいていたけど、私はてっきり、それは本気を出して攻撃を防がれるのが怖いからなのだと思っていたわ」


「何……?」


「だってそうでしょう? あなたの攻撃、まだ一度もまともに当たってないのよ? 他に手加減する理由でもあるかしら?」


「……付け上がりよってからに。今すぐ死にたいのか? 小娘」


「ふふ、おかしなことを言うのね。元々殺し合いをしているのでしょう? あ、怒っちゃったのかしら。おじいちゃんみたいな顔して、意外と短気なのね?」


 左手で口元を覆い、あたかも驚いていますと表現してみせるクリステル。だがこの時、クリステルとしては何気なく言っただけの言葉がエルダーゴブリンを激情に駆らせた。


 エルダーゴブリンという種族名こそついてはいるが、エルダーゴブリンにとって老いのことを言われるのは何よりも許しがたいことだ。


 このダンジョン内でもエルダーゴブリンに気を遣ってタブーとされ、それを口にする者はいないほど。これは長い歴史の中で刻まれた身を蝕む呪い。それを、ましてや人間に言われることだけは絶対にあってはならなかった。


 精神の均衡が戦いの均衡を崩す。


 エルダーゴブリンの雰囲気が変わった。それが分かったクリステルもすぐに戦闘態勢に戻る。


 ここからは賭けだった。どうせ今のままでは攻め手に欠き、碌にダメージを与えられないまま敗北することになる。


 ならば相手を怒らせることによって動きを大きくさせ、その隙を突く。それがクリステルの勝ち筋だった。だが――。


(どうせそんなとこだろうよ! そんぐらい分かっとるわいッ! できるもんならやってみろ!!)


「ほれほれほれ! どうした小娘、反撃してみろ!!」


「くっ!!」


 怒りに猛るエルダーゴブリンの隙は、むしろ減ってしまった。信じられない膂力でグレートソードを振り回し、破壊の限りを尽くす。


 勢いを増す攻撃に満足に受け流すこともできずクリステルは防戦一方になり、どんどん追い詰められていった。しかしエルダーゴブリンが本気を出してもまだ凌ぎ続けるクリステル。


 これもまた想定外。よほど才能に恵まれ努力を積み重ねてきたのだろう。これは現代の程度の低い剣術のおかげと言うよりはクリステル自身の先を読み対応する力によるものだ。


 磨き上げてきた力。クリステルはその力を誇りに思っているはず。だからこそ、それを完膚なきまでに破壊する。


 剣術しか使わないクリステルに剣術だけで打ち勝つ。劣等種族が調子に乗ったことを必ず後悔させる。エルダーゴブリンはクリステルに反撃する隙を与えず攻め続けた。


 苛烈なる攻撃にクリステルはたまらず距離を取る。だが息をつく暇すらないほどにエルダーゴブリンはその動きに追随しグレートソードを振るった。


 呼吸が乱れ始めるクリステルは打開策を見つけられないままジリジリと崖っぷちに追い込まれて行く。かなりの高さなのは下を見なくても周りの景色を見れば何となく分かった。


 落ちるわけにはいかないと回り込もうとするもエルダーゴブリンがそれを許さない。クリステルの焦りを嘲笑うかのように立ち塞がった。


 デッドラインが近づいてくる。クリステルに残された手段は無理矢理にでも攻撃して道を切り開く以外に無かった。


 攻撃の合間あいまに隙自体はある。だがそれはクリステルもダメージを覚悟で飛び込む必要があるような、隙と言うには微妙なもの。


 良くて相打ち。失敗すれば、死ぬ。理不尽だと嘆きたくなる状況だ。しかしこの極限の状態が、クリステルを戦士として一つ上の位階へと押し上げた。


 クリステルの顔から汗が引いていき、目に狩人の鋭さが宿る。神経が研ぎ澄まされ超集中に入り、時間が引き延ばされていく感覚を覚える。


 周りの景色がスローで移ろいゆく中、クリステルの大きく見開かれた目は仕掛けるべきタイミングを見逃さなかった。連撃続きとあってエルダーゴブリンの動作にも若干の鈍さが見られる。


 エルダーゴブリンがグレートソードを横薙ぎし、身体が正面に見えたその一瞬。クリスタルは剣に目一杯のオーラを込めてエルダーゴブリンの右肩めがけて剣を突き出した。


「ハアッ!!」


 攻撃して終わりではない。その後すぐに行動する必要があるので、発動後の動きに若干の精細さを欠くことになるスキルは使わない。


 けれども、これで充分だ。この状況を変える威力を秘めた刃が、風を切ってエルダーゴブリンを襲う。


 起死回生の一手とし、ここからの巻き返しを図ったクリステル渾身の一撃は、しかして、エルダーゴブリンの身を捉えることは無かった。


 空を切る剣。


 目の前にいたはずのエルダーゴブリンは、クリステルの顔前から消えていた。そして、背後から聞こえてくる愉快そうな声。


「ようやく、引っかかったのぅ。小娘ッ!」


 演技。


 エルダーゴブリンの動きが鈍っていたのは連撃による疲れのせいではなく、意図的なものだった。


 追い詰められればクリステルは反撃するしかない。だからその機会をあえて与えていたのだ。こうして、自らの手でクリステルを斬り殺すために。


 崖下に落として終わりとするほどエルダーゴブリンの怒りは軽いものではない。必ず最後は自分で殺すと決めていた。


 メイハマーレが計画を話した際、女の騎士と当たった者は殺さないように、などと言っていたが奴の言うことに従う必要は無い。人間なんぞどうせいくらでも変わりはいるのだから。


 エルダーゴブリンは嬉々としてグレートソードと振り上げる。そしてクリステルを真っ二つにすべく全力で振り下ろした。


「これで、仕舞いじゃッ!!」


 回避不可能で致命の一撃。クリステルの命は絶たれ、エルダーゴブリンは屈辱を晴らす自分の姿を幻視する。


 だが現実は、そうならなかった。


 ドンッ、とエルダーゴブリンの腹に走る衝撃。


 グレートソードがクリステルに届く前に、何かが腹に当たった。それによってエルダーゴブリンの身体は後ろに飛ばされる。


 言わずもがな、追い詰められたクリステルの後ろに回ったエルダーゴブリンがいる場所は崖のふち。これ以上後ろに下がればどうなるか。


 それは、段々と上に流れていく景色が教えてくれた。その中でエルダーゴブリンは自分の腹に当たったものの正体を目にする。


 脚だ。


 エルダーゴブリンの目には、こちらに向かって左足を突き出すクリステルの姿が映っていた。


(後ろ蹴り……じゃと!?)


 これまで剣でしか攻撃してこなかったクリステル。


 その頑なさに、柔軟性に欠けるのぅ、と侮蔑していた。だからこそ剣での攻撃以外は頭に無かった。だがエルダーゴブリンは間違っていない。


 クリステルの剣術は確かに体術のことなど考えられていないものだった。剣術の名が示す通り、剣の攻撃のみに固執した戦闘術。


 故に、クリステルにこの土壇場で後ろ蹴りなどを放つ余裕は無かったはずだった。それが意味するところは……。


「謀ったな、小娘ええええぇぇ!!」


 初めから後ろ蹴りをする準備をしていたと言うこと。


 攻め手に欠いて後退させられていた姿に虚偽はないだろう。だが、集中状態に入ったような顔をしたのは嘘だ。あの一撃に賭けていたならば咄嗟に足など出るはずがないのだから。


 必ず最後は自分の手で。そう思うエルダーゴブリンの心を逆手に取られた。クリステルは落下していくエルダーゴブリンにウィンクする。


「勉強不足ね、おじいちゃん。女はね、ズルいのよ?」


 クリステルの決めゼリフにエルダーゴブリンが赤ら顔で<ライトニング>を放ってくるが、後ろに下がって簡単にそれを躱す。


 パチパチと鳴る放電の音を聞きながら、クリステルはとりあえず胸を撫で下ろした。


「はあ、上手くいってよかったー。追い詰められていきなり強くなるなんて、そんな都合の良い展開そうそうあるわけないじゃない。意外にこういう搦め手は有効なのかもしれないわね。……さてと、少しはダメージを与えられているといいけど……」


 クリステルは崖下を覗きに行く。


 この程度であのゴブリンを倒せるなどとは思っていない。しかし今のクリステルに真正面からあれに勝つことは不可能だ。これでもし、大したダメージも負っていないようならかなりピンチになる。


 クリステルはドキドキしながら崖のふちに立って下を見た。そして、自分の目を疑った。


「ッ!? 嘘でしょ!? い、いけない……ッ、すぐに行かなくちゃ!」


 急いで踵を返し、下りられるところを探すクリステル。


 慌てふためくクリステルが何とか下りられそうなところを見つけ出し進もうとすると、その前に行く手を阻む不吉な黒い壁が現れた。


「う、そ……でしょ? 冗談、きついんだけど……」


 見覚えのある黒い壁。直視したくない現実。だが、世の不条理は突然やってくる。


 クリステルの予想通り、黒い壁の中から魔人が現れた。


「ま、魔人ッ!!」


 緊張の中、剣を構えるクリステル。


 だが、非常に野暮ったい様子の魔人はまともにクリステルの相手などしなかった。一瞬で方が付く。


「うるさい、眠れ」


 言葉と共に指を鳴らす魔人。


 パチン、と響く音を聞いた途端に、クリステルの意識は朦朧としだした。


「う、あ……?」


 混濁する意識に抗えず、クリステルはそのまま気を失った。


「はああああぁぁぁぁ」


 自分一人になったことを確認したメイハマーレから長く、重い溜息が出る。


 その心は黒い雲がおよそ半分を占めるようになった今の空のように、快晴とは程遠いものだった。

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