第118話 先制

(言わんこっちゃねえだろ、どうすんだよ、これ!?)


 怒り状態の魔人が現れたことにガトーは心の中で絶叫していた。


 ただでさえ黒いゴブリンに勝てるかどうか分からなかったのに、そこに魔人まで追加されてしまってはどうしようもない。間違いなく殺される。


 普段から敵対していて魔人のことを憎く思っているのは分かるが、随分と軽率な行動をしてくれたもんだなと思わずにはいられない。ガトーたち三人がただ冷や汗を流し構えるしかできない中、黒いゴブリンが目を閉じたまま静かに口を開いた。


「……何をそんなに心を乱している、メイハマーレ。まさかあんな見え透いた挑発に乗っているのか」


「うるさい。種族も立場も違うお前には分からない。あの調子に乗ってるトカゲ人間にはキツくお灸を据える必要がある」


「お前はそういうところが未熟だな」


「アタシより弱い奴に言われたくない!」


 すぐに戦いに突入するかと思いきや、なんだか良くない雰囲気で言い争いを始める魔人たち。もしかすると自分たちに都合の良い展開になる可能性が残っているかもしれないと、その成り行きを注視するガトーたちだったが、ここでもドラゴニュートがいらないことをする。


 蛮勇を発揮して自ら魔人に突っかかっていった。


「アタシは管轄する者として、馬鹿の躾をする必要が……」


「いつまで喋っているのだ。出てきたはいいが、やはり怖くなってしまったか? 時間稼ぎをして恐怖心を誤魔化しているくらいなら、戦いはブゴーに任せて大人しく奥に引っ込んでいた方が良いのではないか、メイハマーレ?」


「…………やっぱり二度と歯向かえないように、アタシに対する恐怖をその出来損ないの頭に刻み込んでやろうか? 半端者がッ」


 勿論メイハマーレはドラゴニュートが自分をここに引っ張り出すために挑発してきていることは百も承知している。しかしながら、一部想定外のやりとりはあったものの、ここで自分とドラゴニュートが戦うのは予定通りのことだったのだ。


 そうとも知らず、必要の無い悪口を言い続けるドラゴニュートに腹が立つ。しかもなんだか本心から言っていそうなものまで含まれているせいで余計に腹が立つ。


 これは今も第一階層でしごかれ続けているゴブリンストーカー並みに甚振ってやらないといけないと決意するメイハマーレ。イライラしながら刑を執行しようとすると、隣でブゴーが能天気なことを言い出した。


「成り上がろうという強い意志が感じられて、オデは良いと思うがな」


「お前も馬鹿っ!」


 魔人は吐き捨てるように言うと寒気を感じる無表情をしながらドラゴニュートに語り掛ける。お仕置きとして竜種にしか分からない波動を出して威圧した。


「ドラゴニュート。確かにアタシはお前が挑んでくるように仕向けた。でも、さすがにおふざけが過ぎた。実力で勝てないからといって、せめて口で罵ってやろうと言う、その竜種にあるまじき見苦しい性根を叩き直す。ゴブリンストーカーよりもボロ雑巾にしてやるから、覚悟しろ」


 これには畏れを隠し切れなかったのかドラゴニュートがビクッと体を震わせた。それを見て少し気分が良くなったメイハマーレだったが、次の瞬間、絶句してしまう。


「……チンチクリンが」


「チンッ……!?」


 ぼそっと、ドラゴニュートが繰り出した苦し紛れの言葉が想定外に胸に突き刺さってしまうメイハマーレ。


 そんなメイハマーレを見て、動きを止めている今しか言い出すタイミングはないとゲーリィがドラゴニュートに申し出た。


「ドラゴニュート殿。私も魔人メイハマーレと戦います。決して足は引っ張りません」


「何……?」


 意外な申し出に驚くドラゴニュート。疑問に思ったことがそのまま口に出る。


「あの黒いゴブリン、ブゴーはお前たち三人がかりでも勝てないであろう相手だぞ? 一人でも抜ければ、お前たちが生き残れるかもしれない僅かな可能性が完全に途絶えることになる。それなのにこちらに来ていいのか?」


 散々な言われように苦笑いを浮かべるゲーリィだったが、事実だったので別に怒ったりはしない。その代わり別のことを告げる。


「勝ち目が無いのはお互い様なのではありませんか? 私が貴方を戦いに巻き込んでしまったのです。貴方一人を魔人と戦わせるのは違うだろうと思いましてね」


 そこで一度言葉を区切ると、「それに」と続けた。


「私たちにとって大切なのは生きて帰るということではありません。何よりも優先されるのは、如何にアテン殿が魔人メイハマーレと集中して戦えるようにできるかです。そう考えた時に、私の考える一番良い選択がこれなのですよ」


 ゲーリィはここに魔人が現れてから、どう行動するのが最善か素早く思考を巡らせていた。打倒魔人実現のために。どうすれば自分たちの役目を果たし、アテンの役に立つことができるのか。ただそれだけを考え導き出された結論がこれだったのだ。


 ドラゴニュートの目を真っ直ぐ見ながら自然体で言ってのけたゲーリィ。自らの死を顧みない戦士の覚悟に場が静まり返る。


 その覚悟に、ブゴーの口の端が僅かに上がったのをメイハマーレだけが気づいていた。


 そしてゲーリィから提案された当のドラゴニュートはどうするか思案する。人間に手助けしてもらうことにプライドが拒否反応を示しているが、この人間の言う通り今のままではメイハマーレに対して勝ち目がほぼ無いのは事実。


 人間が一人味方になったところで大した足しになりはしないだろうが、いないよりはマシなのかもしれない。ただ、自分とメイハマーレの戦いに人間が加わることでこの先の計画に何か支障をきたさないかが心配だった。


 何も知らないドラゴニュートには判断ができない。そこでメイハマーレにチラリと視線を送ると、ドラゴニュートの意を汲んだメイハマーレが判断を下してくれた。何とも癪に障る言い方で。


「雑魚が何匹来ようとも別に構わない。弱者は弱者らしく徒党を組んでかかってくるといい。アタシに相手してもらえた栄誉を胸にあの世へ行け」


 雑魚と一括りにされたことでドラゴニュートが顔を顰める中、ゲーリィは事が上手く運んで胸を撫で下ろす。


 圧倒的格下である自分を警戒するようなことはないだろうと思っていたが、知能に優れる魔人がどのような判断をするかは結果が出るまで分からない。しかし相変わらずこちらを侮っている様子が見られて実に結構だ。


 その方が対魔人用に準備しておいた秘策が決まりやすいのだから。


 いよいよだ。


 これから自分は魔人と戦う。きっと自分は死ぬだろう。そう思ったゲーリィは戦友たちに最期の別れを告げる。


「……どうやら許可をいただけたようですね。そういうことですのでガトー、ゼルロンド殿。そちらはよろしく頼みましたよ」


 その言葉の軽さは街の中で迷子になってしまった子供を手分けして探そうとでも提案しているかのようだった。しかしそれは自分の運命を受け入れているが故。


 覚悟を越えた先にある、想いの領域に足を踏み入れたからこそ、日常のような気軽さで喋ることができるのだ。


 そんな凄いものを見せられたら、勝てない敵を前にして焦っているのが急に馬鹿らしくなってくる。さっきまで誰よりもアタフタしてた癖に、素知らぬ顔でかっこよく決めるゲーリィは卑怯だ。そんなことを思いながらガトーは朗らかに答えた。


「……おう、分かった。先に行って良い酒場でも見つけといてくれや、ゲーリィ」


「遠慮しておきますよ。そういうのは貴方の方が得意でしょう? ガトー」


 間髪容れずに拒否してきたゲーリィに興が乗る。ガトーの顔には挑戦的な笑みが浮かんだ。


「くくく。面白え。ついでだ、先に行った奴は罰ゲームとして奢りな。おうゼルロンド、お前も乗るよな?」


「フフ……。いいでしょう。たまには人様を待たせる立場に立たせていただきましょうか」


「おっ。案外乗り気じゃねーか! 向こうに一番乗りして赤っ恥かかねえように気を付けろよ?」


「大丈夫です。私には盾があるので少なくとも二番手で済みますから」


「……お前、止めろよ? そういうのは無しだからな?」


 ガトーたちが一風変わった飲み会の約束に盛り上がっていると、くだらないとばかりに魔人が口を挟む。


「別れの挨拶は終わった?」


「ええ、お待たせして申し訳ありませんでした。……始めましょう!」


 ゲーリィの言葉を合図に一斉に構え出すガトー、ゼルロンド。ゲーリィも杖を構えて戦闘態勢に入った。


 それを見た魔人は嘲るように鼻で笑うと、瞬く間に黒いゴブリンとガトー、ゼルロンドを消し去る。三人だけになった門の前。


 魔人メイハマーレが開戦を告げた。


「来い」


「<アイスランス>!」


 先手必勝とばかりにゲーリィが仕掛ける。合計五本の氷の矢が魔人に殺到した。しかしそれは魔人が展開した黒い壁によって吸い込まれ、数瞬の後に五本のうち四本がそのまま返される。


 だがこうなることは当然分かっていたので、ゲーリィはこれを難なく横に躱す。残りの一本はおまけとばかりにドラゴニュートの方に飛ばされていたが、煩わしいとばかりに尻尾の一振りで粉々に砕いていた。


 この間、ゲーリィは手早く自己強化スキルを掛け終える。戦闘準備が整ったゲーリィは改めて空間能力の厄介さが口を出た。


「やはり遠距離攻撃は相性が悪いですね。サポートに回る方が良いでしょうか、ドラゴニュート殿?」


「奴のアレはスキルではないが、それなりにリソースがかかっているはずだ。遠距離攻撃もタイミングによっては有効になるだろう」


「成る程……」


 顔に降りかかった氷の粒を払いながらドラゴニュートがゲーリィの方に近寄ってくる。そして容赦なくメイハマーレの秘密を暴露した。


「人間、奴を攻撃するなら上半身の方ではなく下半身を狙え。奴の本体は下半身だ。疑似餌に過ぎない上半身をいくら攻撃したところで効果は薄い」


「な、なんと……」


 ドラゴニュートの指摘を受けて改めて魔人を見やるが、どう見ても普通に女の子に見える。教えられなければずっと上半身を狙い続けてゲーリィは無駄にその命を散らしていただろう。その事実にゲーリィの横顔に冷や汗が流れた。


 乙女の秘密をバラすなんて、お仕置き倍増などと呟いている魔人を無視してドラゴニュートは続ける。


「前に出る。タイミングはお前に任せるぞ。自分からこちらに来たのだ。まさか少しは役に立つのだろうな?」


「勿論ですよ。期待していて下さい」


「フッ、ならいい。<竜人の血ブラッドライン>!」


 ゲーリィの威勢の良い返事を聞いて一つ笑ったドラゴニュートは自己強化スキルを掛ける。翼を大きく広げ、全身に圧倒的な力が漲っていく。


 血が脈動するごとにその体は煌めきを放つようになり、元の色と合わさって黄金のように輝き始めた。


「行くぞ、メイハマーレ!!」


 ドンッ、という音と共に舞い上がる草と土。ゲーリィの目の前からドラゴニュートが掻き消えた、と思ったのもつかの間、魔人のところから戦う音が聞こえてくる。


 どうやらドラゴニュートは一足飛びに魔人の元まで突っ込んでいったらしい。想定以上のハイスピードにゲーリィは驚きを隠せない。


 冒険者ギルドの訓練所でアテンとメルグリットの戦いを見て目が慣れていなければ、その動きを碌に追うこともできなかっただろう。ドラゴニュートはとにかく魔人の黒い壁の生成が間に合わないスピードで責め立てる作戦のようだ。


 ドラゴニュートの攻撃が黒い壁に飲まれて自分に迫ってこようとも、あらかじめそれを想定しているのでとんでもない反射神経を駆使し、寸止めで止めることができていた。


 魔人はドラゴニュートのその苛烈な攻撃を自分自身を移動させたり上半身の手を使って防いだりしている。時折重たい音がゲーリィの耳まで届いてきた。


 その戦いは一見ドラゴニュートが攻めているように見えるが、魔人にはまだ余裕が見えた。だがそれは逆に言えば油断とも言える。激しい戦闘の中、ゲーリィはタイミングを見極めることに集中した。


 チャンスは一度きり、失敗はできない。自分にできる最大限のサポートをするために、ゲーリィは鎧の中にそっと手を忍び込ませる。


 そして魔人がドラゴニュートの攻撃を捌き切れず転移で移動したところで再び仕掛けた。


「<アイスランス>!!」


 スキルを唱えると同時に矢を追うようにゲーリィも前に飛び出す。魔人はそれを横目で確認すると黒い壁を展開した。


 <アイスランス>が何の抵抗もなく壁に飲み込まれていく。全ての氷の矢を収め切ると、追撃せんと迫っていたドラゴニュートとゲーリィの方に向けて再び黒い壁を展開した。


 思惑通り。


 数瞬後、黒い壁の中から氷の矢が飛び出してくるはずだ。魔人は距離の近い方であるドラゴニュートに目を向けている。


 ここしかない。


 ゲーリィは鎧から手を引き抜くと、黒い壁の中に小さな袋を投げ入れた。


 魔人の視線が一瞬だけ謎の行動したゲーリィに向けられる。その顔は訝しむようなものだったがそれもすぐに変わった。


 ゲーリィが何を投げ入れたのかすぐに見当がついたのだろう。魔人が驚きに目を見開くがもう間に合わない。


(やはりこれを知っていましたか! ですが、食らってもらいますよッ!)


 してやったり。ゲーリィがガトーのような男らしい笑みを浮かべる中、異空間の中で小さな袋が氷の矢に貫かれた。


 その瞬間、黒い壁の中で空間の歪みが発生する。その影響は魔人の展開した黒い壁に如実に表れた。


 途端に輪郭がグニャっと形を崩し始めたと思ったら、<アイスランス>を吐き出す間もなくあっという間に消えてしまった。その変化にドラゴニュートが瞠目する中、魔人が恨めしそうにゲーリィを睨み付ける。


「お前……ッ!!」


 だがそれは超スピードで迫っている敵を前にして晒していい隙ではない。


 ドラゴニュートの恐ろしい力を秘めた蹴り上げが、魔人の下半身に食い込んだ。

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