第88話 頭の暴走族

「ダンジョンと侵入者の条件は対等でなくてはならない」


 御方の教えはその言葉から始まった。


 自分が至らないばかりに御方はわざわざ第三階層作りを中断してまで戻って来たのだ。メイハマーレは真剣に耳を傾ける。




 まさか戻って来るとは思わなかった。今回の侵入者たちのことは自分も御方も想定済みのこと。御方はあえて言葉でメイハマーレに指揮を任せると言った上で第三階層に行かれたのだ。そんなの、御方がお戻りになられるのはこの防衛戦が終わってしばらく経ってからだと思うだろう。だからメイハマーレは油断していた。


 ついカッとなって自分の手で一人殺してしまったことを反省したり、一グループが片付け終わり精神が弛緩していたタイミングであったことも重なった。


 御方が転移してくる時の空間の揺らぎを感知するのが遅れてしまった。御方が到着する前にお出迎えの準備ができていなかったことを情けなく思う。と言うのも、空間系に長けるメイハマーレと言えど、御方がお造りになられている第三階層がどこにあるのか分からないのだ。


 自分もそこに行ければ何かお手伝いできることがあるかもしれないと一度探したことがあるのだが、異空間は膨大だ。その場所がどこにあるのか明確にわかっていなければ辿り着くことは不可能に近い。むやみに探し回って自分がどこにいるのか分からなくなればそれは死を意味する。だからメイハマーレは第二階層で大人しくしているしかなかったと言う経緯があるのだ。


 どこにあるか分からない場所から転移してくるのだから当然、空間の揺らぎを捉えられるのも御方がこちらに到着する寸前となる。その刹那の間に跪いておくこと。それはメイハマーレが自分に定めた鉄の掟だった。


 聖域にいながらその準備に失敗したことは今までない。ここしかないと言うところで転移してきた御方に作為的なものを感じた。


 だがそんなことを気にしてばかりはいられない。用も無いのに大事な階層作りを中断してまで戻って来るはずがなかった。


 嫌な予感がする。メイハマーレはこっそり心のガードを引き上げた。そして、メイハマーレの構えた盾は見るも無残に破壊される。


 『お前の取った方法は、ダンジョン防衛戦における『邪道』である!!』


 強いお叱りの言葉に泣きたくなった。しかし泣き言ばかり言ってはいられない。メイハマーレは御方の言葉の端々に含まれた気遣いのようなものを感じ取っていた。


 おそらく、いや、確実に、御方はメイハマーレがこの失敗をすることが分かっていた。だからこそ、仕方ないと言う意味も込めてあまり厳しい言葉をお使いになっていないのだ。


 ならば自分のすべきことは何か。決まってる。反省し、成長することだ。


 御方はお叱りになられた後、そのまま放置したりはしない。最後には必ずありがたい教えを授けて下さった。今回のお話も一言一句違わず覚え、今後に活かすのだ。


 そう決意するメイハマーレに語られたのはダンジョン防衛戦に関わることだった。そこには御方の譲れない想いが込められていたように思う。正直に言えばダンジョンに関しての興味は薄い。だが少しでも御方に近づくため、メイハマーレは貪欲にその知識を吸収しにかかった。


「ダンジョンと侵入者が対等……」


 いきなり難解な内容だった。言葉が難解なのではない。そこに込められた意味が難解なのだ。


 侵入者を圧倒するだけの力があるのにわざわざそれを対等にする意味がわからない。危険に身を晒すだけではないのか。そう考えるメイハマーレに御方を続けた。


「そうだ。ダンジョンは常に侵入者によって攻略される危険を残し、侵入者にはダンジョンを攻略できると言う希望を残しておかなければならないのだ。だがそれは当然ながら侵入者のためではない。自らのためだ」


「自らのため……」


 そこまで言われてメイハマーレは気づいた。御方は自分たちが訓練でやっていることを、ダンジョンにも行っているのだと。


 だが疑問に思う。条件さえ満たせば成長するダンジョンをわざわざ危険にさらしても意味はない。つまりこの場合は成長を促したい対象がダンジョンを作る者側ということになるが、それはおかしな話だ。何故なら、それだと成長を促す対象が御方ご自身になるからだ。


 御方は既に完全な存在として完成している。これ以上鍛える必要がない。腑に落ちない結論に、最初の解釈を間違えたかもしれないと思考の練り直しを行おうとしたメイハマーレだったが、次のコアの発言にドキリとした。


「強さの先には何があると思う?」


 その言葉には静かでありながら強い感情が込められていた。メイハマーレは自分の考えが間違いではなかったことを確信する。


(強さの先……。何て深い言葉。これが指すのは御方ご自身のこと。暗に、今の御方が抱える想いや考えが、アタシに分かるかとお尋ねになられている……。うー、そんなの、わかるわけない)


 メイハマーレは未だ上を目指し訓練に明け暮れている身だ。頂きに上り詰めた御方が見ている光景は、そのあまりの高さ故に想像することすら叶わない。


 メイハマーレが答えられないとみるや、御方はその答えを勿体ぶることなく教えてくれた。


「強さの先にあるもの……。それは、停滞だ」


「停、滞……?」


 まさかの答えにメイハマーレは絶句する。思いのままの強さを手に入れた先に待っているものがそんな、あんまりなものだとは予想だにしていなかった。


 衝撃を受けるメイハマーレの胸中を悟っている御方は、わからないのも致し方なしと恩情を掛けてくださる。


「生まれてからそれほど時間が経っていないメイハマーレには分からないことかもしれないな。お前たちには知識はあっても経験は無い。こういうことに関しては実際に自分で体験して学び取っていくしかないのだろう。だがお前ほどの頭脳があれば想像できるのではないか? お前の望む理想を手にした後、お前は何を思い、何をする?」


(御方の苦悩を理解したいならまずは自分に置き換えて考えてみろと言うこと? それなら答えられる。私の理想はこのダンジョンで不動の地位を築き、御方を退屈させないような頭脳を手に入れること。いつまでも御方のおそばに使え、御方がお創りになる新世界を歩んでいきたい)


 自分の望むならスラスラ言える。しかし問題は全てを手に入れた御方が何に悩まされているかを理解すること。メイハマーレはここから自分の考えを御方と同じ状況に置き換えていく。


(これは全部、御方ありきの考え。アタシには導いてくれる存在がいるから迷いなく答えられる。じゃあ、導いてくれる存在がいない御方の立場ならどうなる? それは御方がいないアタシと同じようなもの。もし御方がいなくなったらアタシは……アタシは、何?)


 強くなったからなんだと言うのか。


 頭が良くなったからなんだと言うのか。


 御方のいない世界ではその全てが意味を成さない。自分がなぜ存在するのかも分からず、ただそこにあり続ける。


 それは――虚無。


 メイハマーレをして、得体の知れない恐怖を覚えるものだった。


(なに、この感情……? 怖い……嫌だ! これが、こんなのが、頂きの景色……? 御方は、これをずっと抱えながら生きてきた!?)


 笑えない冗談だった。


 全てを極めた先に待っているものが堪え難いほどの苦しみだなんて。かつての神々はこんな苦しみを背負っていたのだろうか。


(いや、御方は停滞だと言っていた。つまりこの辛い気持ちはただの序章。この感情が擦り切れて無くなった先に待っているものが、停滞。本当の虚無……)


 メイハマーレは御方が抱えている苦悩、その恐ろしさの一端を知った。そしてメイハマーレの理解が及んだところで御方は話の続きを行う。


「まぁいきなりこんなことを聞かれても、すぐには答えられないかもしれないな。とりあえず今は停滞を避けるために対等である必要があるとだけ覚えておけばよい」


(『今のお前には精神的に受け止めるだけの器が育ってないから、深く考えるのは止めておけ』というメッセージ。……悔しいけど、その通り。今は、そのお言葉に甘えておく)


 御方に気遣わせてしまっている。それが悔しかった。


 進化を重ねて肉体的には強くなったが、意外なところで弱点が発覚した。この苦しみに耐え得る精神力はすぐに身に付くものではない。だがいずれは克服してみせると強く決意する。


 そしてそのための一歩を御方は教えてくださっているのだ。それが対等であること。メイハマーレは俄然、真剣に耳を傾けた。


「ダンジョンは圧倒的な力を有している。だが、その力をただ振り翳しているだけではケモノと同じだ。単純で一方的な展開はやがて思考停止を招き成長を阻害する。力を振るう時、力を求める時。そこには確固たる意志と目的が必要なのだ」


「確固たる意志と目的……」


 御方は話をダンジョンに例えているが、そんなはずはない。メイハマーレはコアの言葉を自分なりに置き換える。


(『お前は人間よりも圧倒的に優れている。だが、その力をただ振り回している現状ではケモノと変わりない。そんなことではお前の望みは手に入らないぞ』)


「少し格好つけて言うのであればそれは誇りとも言えるかもしれん。何故力を振るうのか。そこに自分の信念はあるか。自らの心に問いかけるのだ。それさえ忘れなければ、いつか強さを極めた先でも道に迷うことはない。そしてそのために必要なのが、対等であることなのだ」


(『力ある者は自らの誇りを忘れてはいけない。信念を失った時、力は心を蝕む猛毒となる。道を違わないためには敢えて有利な状況を放棄し、思考を絶やさず、初心を忘れないことが大切である』。こ、これが神の教え。なんて……なんて、素晴らしい……!)


 メイハマーレはコアの言葉に激しく感動する。その教えは正しく頂点を極めた者だからこそ言えるものだった。


 本来であれば何千年、何万年とかけて気づく真理を、メイハマーレ如きにも理解できるようにわかりやすく説明してくださる御方に畏敬の念が止まらない。メイハマーレはその気持ちを表すために再び体を床にビタンと叩きつけた。


「……少し話が難しかったか? 何となくでもいいから理解できていると良いのだが」


 御方がメイハマーレに確認するように聞いてくる。ご自身とメイハマーレでは凄まじい経験の差から視点が違いすぎて理解が及んでいるか心配しているのだろう。だがあれだけ分かりやすい説明をしてもらっておきながら理解できないほどメイハマーレは馬鹿ではない。勢いよく体を起こすと、興奮から少々大きな声を出してしまった。


「はい! 御方の至上の教え、全て理解できました! この教えは頭にしっかりと刻み込み、終生忘れることはないとここに誓います!」


「そ、そうか。それならば教えた甲斐があったというものだ」


 自分が如何に感動しているかを伝えたいがために、御方を少し驚かせてしまったようだ。それに気づいたメイハマーレは恥ずかしく思いながらも慌ただしく居住まいを正した。


 メイハマーレが落ち着いたのを見ると再び御方が言葉を発する。


「全て理解できたと言うのなら同じ過ちを繰り返すことはないだろう。念を押すようだが、道を塞いではいけないのは何時いかなる時でもだぞ? たとえ万策尽きて、俺が絶体絶命になったとしてもだ。その時は相手を讃えて、笑って死を選ぶと決めているのでな。それが俺の覚悟であり、誇りだ。決して邪魔はするなよ」


「!?」


 その意思表明はメイハマーレを驚愕させた。


(神という最高位の存在でありながら、下等生物に殺されることを許容する!? なんて重い覚悟……! ……そうか、ここまで確固たる強い想いがあるから、御方はここまで超越した存在なった。凄すぎて言葉が出ない……)


 御方と会話をしていると常々自分はまだまだだと思い知らされる。更に頑張ることを心に決めるメイハマーレ。


 しかし、だ。


「御方、無礼を承知で申し上げたいことがございます」


 先程の言葉、御方一の配下を自負するメイハマーレには聞き捨てならなかった。


「御方のお覚悟を汚すようで申し訳ありませんが、そのような時が来ることは未来永劫ございません。御方の敵となるものは、このメイハマーレが尽く葬り去ってご覧に入れましょう。この身朽ちて魂の一片まで無くなるその日まで、アタシは御方の盾であり、矛であり続けます。それがアタシの覚悟であり、誇りです!」


 堂々と言い放ったメイハマーレに対して、御方から息を呑む気配がした。メイハマーレの覚悟の強さを汲み取ってくれたのだろう。


 虚無の世界を知ってもなお、メイハマーレの望みは変わらなかった。


 御方ありきの自分。他人を拠り所とするそのあり方は危険を伴うものだろう。その恐ろしさをメイハマーレはつい今し方、味わったばかりだった。


 しかしメイハマーレはその明晰な頭脳でこれを解決するための方法を既に見つけていた。簡単なことだったのだ。


 御方がいない世界で生きていくのが辛いなら、死ねばいい。


 御方のいる世界こそが自分の居場所。御方があの世に行くと言うのなら、自分もあの世に行くだけだ。


 勿論そうならないようにできる限りの努力はする。ありがたい教えと共にその手段も授けていただいた。メイハマーレがこれからも日頃の訓練を怠けることは絶対にない。


 だが、もし今ここにメイハマーレの心の内を覗ける者がいたならば、その訓練の必要性に疑問を感じただろう。


 万が一の時の解決法を既に見出してしまったメイハマーレの精神は、無意識の内に大幅に強化されていた。経験の少なさからくる、唯一と言っていいほどの弱点をこの短時間で克服してしまったメイハマーレは正に化け物という言葉が相応わしい。


 驚異的なスピードで成長するメイハマーレがこの先、その目に何を映し、何を思っていくのか。


 それは、誰にも分からない。




 ほんと、分からない。

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