第46話 銀の翼 二
先程までベックが立っていた場所には、拳を振り切った姿のホブゴブリンがいた。全身を切り刻まれて流れ出た血はアイスストームによって凍りつき、まるで氷の鎧を纏っているかのようだ。
顔に張り付いている氷の隙間から覗くギラギラとした眼光が、銀の翼たちを睥睨していた。
「そんな! アイスストームの中を突っ切ったとでも言うのですか!?」
「ベック! クソッ! どけえええええぇ!!」
痛みにもがくベックにとどめを刺さんと、ホブゴブリンが迫っていた。
さしものホブゴブリンもダメージが大きいのか、肩を大きく上下させ白い息を吐き、その歩みは遅い。
一刻も早く助けに行きたいギルとカイトだったが、その前にはワームたちが立ちふさがる。ゆっくりと進むホブゴブリンが死のカウントダウンを表しているようで、それがギルとカイトをひたすらに急き立てた。
二人は惜しみなくスキルを使うがワームの群れを突破できない。急ぐ中でもスモールワームの吐き出すドロリとした毒液や噛みつきは絶対にくらってはいけない。
異常個体ゆえに毒の強さがわからないし、力に優れるワームの口に噛まれたら引き剥がすことは困難極まる。
カイトの放つ<アイスランス>や<ストーンランス>の内の一本がスモールワームの体の中心を捉え突き刺さるが、一度痛みによがった後は激しく暴れさせるだけの結果に終わった。
二人が有効な手を打てない中、ホブゴブリンは進み続けていた。そしてついにベックの目の前まで到着する。
ホブゴブリンが右腕を振り上げる。力を込め筋肉が膨れ上がると、その腕に張り付いていた血の氷がパラパラと落ちていった。
「やめろおおおおおおおッ!!」
制止を叫ぶギルの声が広場に轟く中、その豪腕が無慈悲に振り下された。
絶望の音と共にベックの身体が跳ねる。ホブゴブリンの攻撃はそれだけでは終わらず、今度は左腕を振り上げると、振り下ろした。右腕を振り上げる、振り下ろす。左腕を振り上げる、振り下ろす。右腕、左腕、右腕、左腕…………。
執拗に繰り返されるその光景を、ギルとカイトはただ見ていることしかできなかった。
「ゴオオオオオオオオオオッ!!」
ホブゴブリンが天に向かって吠える。両の拳を鮮血に染めながら、自分が勝者であることを高らかに宣言していた。
力の限り雄叫びを上げるホブゴブリンの体を、どこから発生したのか、緑色の霧が段々と包んでいく。
ベックの死と言う、ギルとカイトには受け入れられない現実に二人が茫然自失する中、緑色の霧が晴れると、そこには更なる絶望が待ち受けていた。
「ォオオオオオオオオオオオオ!!!!」
重低音が増した、物理的な衝撃すら伴っていそうな咆哮を聞いて、カイトが喘いだ。
「ゴブリン……ジェネラル……。う、嘘だ。こんな、こんなことって……」
仲間の死、そして絶望の進化。立て続けに起きた出来事はカイトが精神的に受け入れられる許容量を完全にオーバーしていた。何よりも、目の前の怪物がカイトの意志を挫く。
霧の中から現れたゴブリンジェネラルの体には傷一つ付いていなかった。進化を果たしたことでホブゴブリンの時に受けたダメージが回復し、万全の状態に戻ってしまったのだ。冒険者としての経験と本能が、アレには絶対に勝てないと激しく訴えかけている。カイトはもう戦意を喪失していた。
そんなカイトの腕が不意に引かれる。ギルだ。ギルは表情がわからないほど下を向きながら端的に言った。
「撤退するぞ」
「は、あ、でも、ベックが」
「……ベックは死んだっ。死んだんだよ!」
顔を上げ激昂するギルを見た時、カイトはハッとした。
口の端から血を流し、顔をクシャクシャにしながらも、その眼は、依頼のことを忘れてはいなかった。
「撤退するッ! そして、ギルドに知らせるんだ! このダンジョンの異常性を! これ以上、余計な犠牲を出さないために!!」
ギルの言葉を聞きながら、自分の腕を掴むその手が震えているのに気付いた時、カイトは自分を情けなく思った。自分が不甲斐ない姿を見せているばっかりに、ギルに全ての負担を掛けている。辛いのはギルだって同じはず。肩を並べる仲間として、足を引っ張るようなことはできない……!
カイトは一つ、深呼吸する。
(正気に戻ったのなら、私も冒険者としてすべきことをしなければなりませんね)
「逃げるぞ! 何でか知らねえが、ワーム共も距離を保って襲ってこねえ。チャンスは今しかねえ!」
そう言って促すように腕を引いてくるギルの手を、カイトはそっと引き離した。
カイトの行動の意味がわからず困惑するギルに、カイトは告げる。
「そうですね。逃げましょう。ただし、それはギル。あなただけです」
「……は!?」
優しく笑みを浮かべるカイトは諭すように語りかける。
「私が一緒にいたら逃げ切れません。私は、足が遅いですから。しかし、ギルだけならばどうにかできるでしょう? だから私はこの場に残り、時間を稼ぎます」
「ば、かなこと、言ってんじゃねえよッ! そんなん、やってみなけりゃ……!」
「ギル、わかっているはずです。誰かが、必ず、このダンジョンのことをギルドに知らせなければならない。あなたも言っていた最優先事項です。そしてそれができるのは、あなただけなんです」
「……ッ!」
「ギル。あなたとパーティーを組めてよかった。私たち『銀の翼』の誇りに恥じないよう、私は、私にできることをします。だから、行きなさい。ギル!」
カイトの顔を見たギルは、それ以上の言葉を全て呑み込んだ。もう何を言っても聞かない。そんな時の顔をしていたから。
自分のすべきこと。それを成すために、奥歯を噛み締め、喉を引きつらせ、ギルはスキルを発動した。
「〈ハイド〉ッ!!」
駆け足で遠ざかっていくギルが加速度的に見えなくなっていく。認識できなくなっていく。それを見届けるとカイトは安心した。
「ありがとうございます、ギル」
カイトは最後の別れを告げるとモンスターたちに向かいあった。
「さて、お待たせしました。理由はわかりませんが、時間を頂けたことに感謝しますよ」
別に返事を期待して喋ったわけではなく、ただ何となく何か言いたかっただけなのだが、カイトの言葉には返答があった。
「構わない。その程度の時間はくれてやれと、御方のご命令だ」
ゴブリンジェネラルが流暢に人間の言葉を話したことに、カイトの目が大きく見開かれる。
「ゴブリンジェネラルがここまでの言葉を……? いえ、失礼しました。ところで、御方と言うのはどなたのことですか?」
今更自分が知ったところでどうにもならないが、カイトはその『御方』という言葉に込められた畏敬の念を機敏に感じ取っていた。ダンジョンのモンスターが、それもこの怪物級のゴブリンジェネラルがそこまで敬う『御方』とは一体何なのか。気になって聞かずにはいられなかった。しかし、それ以降ゴブリンジェネラルが口を開くことはなかった。
「教えて頂けませんか。残念です。では、行きますよ!」
カイトは戦闘態勢を取る。それと同時にゴブリンジェネラルは組んでいた腕を解き、周りのモンスターたちは戦いに参加する気がないのか、後ろに下がっていった。
これもまたカイトには理由がわからなかったが、有り難いことだった。
(これもまた『御方』とやらの指示なのでしょうか? 何にせよ、都合が良いですね! しかし……)
強敵に対し、後衛たる魔法使いの自分一人。カイトはこの状況が心細くて仕方なかった。
(ふふ、前衛のいない戦闘がここまで心許ないとは……)
思わず苦笑してしまう。
(ほら、後衛がピンチですよ。何をやってるんですか、ベック。一体いつまで寝てるんですか? 全くあなたという人は。いつもいつも寝起きが悪いんですから。はあ、しょうがないですね。今、起こしに行ってあげますよ!)
杖を高々と掲げ、力強く、最後の戦いを開始した。
「<アイスランス>!!」
眩い光を放ちながら、三本の氷の槍がゴブリンジェネラルに殺到していった――――――。
「ちくしょう、ちくしょう……!」
後悔の念が口から零れ落ちるのを止められないギルは、ダンジョンの出口に向かって疾駆していた。その瞳を赤く、潤んでいたが、走る程度なら問題ない。帰り道には罠も無く、モンスターだっていないのだ。日々冒険者として鍛え上げた肉体を持つギルならば、その程度で動きに支障をきたすことはない。
それなのにギルが<ハイド>や<気配察知>を使っているのは、ゴブリンジェネラルを警戒しているからだ。肌身に感じ取ったあの強さを持つゴブリンジェネラルならば、何をしてくるかわからない怖さがあった。保険の意味合いでの目的が主だったが、恐怖心からくる使用も否定はできなかった。
ギルの脳裏にゴブリンジェネラルが浮かぶと同時に、カイトやベックの顔が浮かんでくる。二人を思い出す度に心臓が掻きむしられたように苦しくなった。
「どこで間違えたんだ……! どこで!!」
いくら自問自答しようとも答えは出なかった。
自分を責め続けながらも斥候としての健脚を活かし、出口まであと少しのところまで来た。それに気付いたギルは最後まで油断することがないよう、より一層スピードを上げてダンジョンからの脱出を目指した。
あと少し。もう少し。ギルは息を切らしながら全力で駆け抜けた。そして、出口はすぐそこだという場面で、ギルは派手に転倒した。切迫した頭では何が起こったのかよくわからなかったギルだったが、遅れて下半身から強烈な痛みが走ってきた。反射的にそちらに目をやると、そこには無数に突き立つ刺々しい赤い結晶が、ギルの脚に食い込むように刺さっていた。
「痛ってぇ……っ! 何だこりゃ……敵か!?」
痛む脚を無理やりに引っ張り、ショートソードを抜いて周囲を警戒する。片手で回復ポーションを飲みながら気配察知に集中するも、何も感じられない。
(と、なると、罠か? 確かに罠に対しては警戒が薄かったが……。だが、来る時は無かった。帰りだけ発動する特殊な罠? そんなの聞いたことねえが)
腑に落ちないまま立ち上がろうとしたギルに、突如として声が掛けられた。
「キッシッシ! 派手に転んでどうしたよ? 涙で前が見えねぇってか?」
「!?」
ギルは声が聞こえた方向に対して素早く後ずさると身構えた。
(どこから現れた!? 気配察知に反応は無かったぞ!?)
現れた者が何者であろうと、それが生き物である以上は気配察知が反応を示すはずだった。ギルは自分の斥候としての能力には自信がある。パーティーでの自分の役割は斥候にあると明確に決めて、戦闘能力と引き換えに磨いてきたのだ。身を隠すモンスターの類は確かに存在するが、ギルが発見できなかったことは今まで一度もなかった。
ギルは相手を見定める。そこに立っていたのは見たことのないゴブリンだった。通常の個体とは違い、下半身が発達していて鎌のような物を手に持っているのが特徴的なそのゴブリンは、楽しげな表情で歩きながらギルに話しかける。
「そんな急がないでもっとゆっくりしていけよ。折角ダンジョンに来たんだからよ」
「……
「キッシッシ! そう怖い顔すんなよ。ゴブリンさ。少し言葉が話せるだけの、ただのゴブリンだよ」
「チッ!」
ギルは隠すことなく舌打ちする。喋るゴブリンが普通のゴブリンでないことぐらいは考えなくてもわかることだ。このゴブリンからは、どこかギルをからかい、馬鹿にしているような印象を受ける。善い性格はしていないのだろう。
ギルは早々に会話を止めると、腰に忍ばせていた黒い筒状のアイテムを取り出すと、それを地面に叩きつけた。アイテムが割れると猛烈な勢いで白い煙が立ち上っていく。暢気に「おー」と言いながら煙が拡がっていくのを見ているゴブリンに投げナイフを投擲すると、ギルは身を翻し逃走した。
(喋る、見たこともねえ、気配察知で捉えられねえ、未知のゴブリン。確実に俺より格上だ。相手にしてられるか!)
相対した感じではそこまで強い気はしなかったが、そもそも気配察知に反応しない相手だ。気配をコントロールできる奴に、経験からくる直感はあてにならない。自分を弱く見せてギルに戦闘させようとしたのだろうが、ギルの目的はダンジョンから出ることだ。無理に戦う必要はない。すぐそこにある出口目指して、一心に駆けるギルの耳に、その声は嫌に響いた。
「<血針晶>」
「ぐあああああああああッ!?」
ギルの全身から血飛沫が上がり、痛みのあまり倒れ込む。
(な、何をされた……?)
スキルらしきものは聞こえた。つまり、攻撃されたのだろう。ギルは目の前にある自分の腕を見ると、そこにはまた鋭い赤い結晶が突き立っていた。
(クソ、痛てえな……。こりゃ顔も含めて全身に刺さってんな。妙なスキル使いやがって。いや、待て……顔、だと?)
おかしい。ギルは率直にそう思った。自分はゴブリンに背を向けて逃げていたのだ。ならば攻撃を受けるにしても背中になるはず。
スキルの効果が切れたのか、赤い結晶が融けるように無くなっていくと、ギルは身体を引きずるように立ち上がった。回復ポーションはもう、無い。
ギルの後ろからゴブリンが投げナイフを宙に放り投げ、遊びながらゆっくり歩いてくる。
「キッシッシ! いきなり逃げるとはつれねえじゃねーか。もっと遊んでけよ、人間」
「な、何をした……」
「キッシッシ! 言うと思ってんのか? まあ俺は優しいから教えてやるけどな。スキル<血針晶>。俺と、同族の血に限り、限定的に操作し武器にするスキルさ。制約だらけのスキルだが、役に立つ時はなかなか効果を発揮する。今みてえにな」
愉快気な顔をしながらゴブリンを続ける。
「ホブゴブリンと楽しく遊んだお前の身体には、アイツの返り血がたっぷり付いただろう? それを利用したってわけだ。ま、一回スキルに使った血は無くなっちまうんだけどな。ほれ、お前も身体も綺麗になっただろ? ああ、今度は自分の血で汚れてわかんねえか!! キッシッシッシ!」
何がそんなに面白いのか、可笑しそうに笑い続けるゴブリン。
人の命を弄び楽しむ悪意の塊。その姿は正しく『モンスター』だった。
「ポーションはもう使い切ったのか? おぉ痛そうだ、可哀想に。キッシッシ! で、どうする? また逃げてみるか? 出口はすぐそこだぞお」
ゴブリンのわかりやすい挑発に、ギルは構えを取った。
「どうせ逃げられねえんだろうが……ッ」
「お、やるのか? いやあ立派だねぇ。きっとお前の勇姿に、『あの二人』も喜んでるだろうよ!」
その言葉に、ついにギルはキレた。顔を憤怒に染めてゴブリンに突っ込む。しかし……。
「<血針晶>」
三度そのスキルが唱えられると、ギルの太ももから大き目の結晶が生えた。ギルは立っていられず膝から崩れ落ちる。
「キッシッシッシ!! 残念、まだ残ってんだよ。ホブゴブリンのやつ、めちゃくちゃ気合入ってたからなあ。まあそれはアイツだけじゃねえけど。今の御方はマジでヤベーからな。お前らも、こんな時期じゃなけりゃ生きて帰れたかもしれないのに。運が悪かったな」
「……お、んかた?」
「そうさ。俺らの至高の主人。世界の全てを統べる絶対者だ。と、いけね。あんまり甚振らずにヤれとの仰せだったな。この辺にしとくか。どうやら血ぃ流し過ぎて、意識もはっきりしてねえようだし」
御方の至上命令は最優先だし、反応の無い奴を甚振ってもつまらない。ゴブリンストーカーは手早く片付けることにした。
「まあ、中々楽しませてもらったぜ。あばよ、人間」
手に持った鎌をくるくるさせるのを止めると、既に動けないギルの首目掛けて一薙ぎした。
物言わぬ亡骸に背を向け、ゴブリンストーカーは今回の防衛戦を締め括る。
「精々良質なダンジョンエネルギーになって御方を喜ばせろ。お前ら人間にできることは、それだけだ」
気障ったらしくそう言い残すと、ゴブリンストーカーは颯爽と第二階層へと戻って行った――。
その後、第二階層に着いた途端、ダンジョンワームに余計な情報を喋り過ぎだとフルボッコにされた挙句、アテンが戻ってきたら報告すると告げられ、顔を真っ青にすることになるとは、この時のゴブリンストーカーには知る由も無かったのだった。
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