幕間『デスゲーム前のゾンビな日常』4-1
――デスゲームの始まりだ。
そうは言われたものの、何事にも準備というものが必要になる。それがデスゲームともなれば、それは入念な準備が必要なのだ。
ということなので、実際に『迷宮』へ出向くのは数日後になることだろう。
なので、それまでは普段と同じ、何の変哲もないゾンビの日常を過ごすことになる。
この日の朝。
「ん、んー」
ゾンビの朝は早い。俺は眠い目を擦って、上半身をゆっくり布団から起こす。
まるで起動直後のロボットのような動きの鈍さだった。起床戦士オレダムである。ちょっと意味が分からないが、寝起きゾンビの思考なんてそんなもんだ。
「ふわぁ……」
一度欠伸をして、肺にじめっとした酸素を取り入れ、げほげほと軽く咽る。オンボロ格安アパートで独り暮らしをするゾンビにはよく見られる光景だ。
俺は低血圧な身体に鞭打って、ゆっくりと身体を立ち上がらせる。
ゾンビと言えども、朝のフレッシュな日差しを浴びることが健康の秘訣だ。その証拠に、俺はゾンビになってから風邪を引いていない。そもそもゾンビが風邪を引くのか定かではないのだが。
そんな無駄な思考を余所に、俺は部屋のカーテンを開け放った。すると、腐り溶けそうなくらいに肌を刺す夏の日差しが……、あんまり入ってこないな。朝方なら、この部屋の日当たりは最高潮なはずなのだが。
俺は改めて目覚まし時計に視線を向けた。
そして、現実から目を背けるようにしながら、同時に時計からも視線を逸らす。
……もう一〇時か。
【もう一二時よ! 二時間サバ読んだところで評価なんて変わらないから!】
と、脳内で俺にツッコミを入れる悪霊の声がした。
当然、こいつと俺は同じ日常生活を送っている。
文字通りのソウルメイトである未練とは、ひとつ屋根の下、ドキドキの男女同棲生活を送っているはずなのだが、恋に発展する気配は微塵も感じられない。まあ、ひとつ屋根の下というか、ひとつ身体の中なのだが……
おかしいな。加子が俺の中に居た時は、もうちょっとラブコメの波動を感じたのに。
【はぁ。バカなこと考えてないで、さっさと出かける準備しなさいよね。今日は買い物の予定なんだから】
っと、そうだったな。
でもその前に、とりあえず着替えて朝食の準備しねぇと。
【もう時間的には昼食でしょうが……! というか、そもそもゾンビなんだから、食べなくても平気でしょ?】
まあな。俺は食べなくても普通に生活は出来る。でも、人間だった頃の生活を忘れない為にも、食事という行為はたぶん大切なんだよ。
【よく言うわ。昨日は一食も摂っていなかったくせに】
え、そうだっけか? まあ、昨日の俺と今日の俺は違うからな。男子三日会わざれば刮目して見よとか言うし。
【あんたのそれは都合よく解釈してるだけでしょーが。いいから、さっさと準備しなさいよね】
へいへい。
悪霊に説教された俺は黙って着替えを始めることに。
食事は要らないとして、その他諸々の朝のルーティンをこなしながら俺は出かける準備をした。
洗面所で寝癖を直し、歯を磨かず、顔を洗って鏡に映った水も滴るナイスガイを一瞥しつつ、ファブリーズを全身に浴びる。しゅっしゅっしゅっと。
そして、冷房の電源を切ってから、スマホ、家の鍵、デスゲームで荒稼ぎした分厚い財布をポケットに仕舞い込む。
よし、これで準備万端だな。
ボロアパートの軋む玄関の床を踏みしめ、俺は外界に大きな一歩を踏み出す。夏の暑さが放つ殺気を全身で感じ取り、部屋から出たことへの後悔の念に駆られながら戸締りをしてアパートに背を向ける。
……っし、行ってきます!
【一斗。あんた、表現がいちいち大袈裟なのよね……】
それも仕方のないことだ。夏アニメと同様に、夏のゾンビは腐りやすい。こんなクソ暑い中で、好き好んで出かけるやつの気が知れねぇよ。
【どうせ、あんたのことだからオールシーズン似たようなこと言ってるんでしょうけどね】
ほう、よく分かったな。
冬は寒くて出かけたくないし、春と秋は花粉症だから出かけたくない。
だが、ゾンビになってから花粉症が治ってしまったので、他の言い訳を考える必要性が出てきてしまったのは、ここだけの話だ。
【よ、良かったわね……】
ああ、そうだな。怪我の功名(?)だ。まさかゾンビになって花粉症が治るとは……
実際、俺がゾンビになっての恩恵は少なくないんだよな。
大金を手に入れたのも、女の子にモテるようになったのも、怪我や病気とは無縁な生活になったのも、すべてゾンビになったお陰である。まるで胡散臭い宗教の売り文句のようだが、まるっとすべてが事実のことだった。
逆にデメリットといえば、内蔵が腐っていることと体臭が気になることくらいだ。
ありがとう、ファブリーズ。
【女の子とっては、致命的なデメリットね、それ…… 今からゾンビの生活が思いやられるわ……】
はぁー……、っと、美恋は不快そうに深い溜息を吐いたのだった。
今日の買い物リストに、ファブリーズと香水が追加されたのは言うまでもない。
そんなこんなで、俺たちはショッピングモールへと向かった。
◇
複合商業施設。そうつまり、ショッピングモール。
そこはゾンビが溢れた世界で真っ先に逃げ込むべき避難場所としてあまりにも有名なスポットである。ゾンビ映画的に。
ここにバリケードを作ってゾンビから身を隠して立て籠もり、時には安いお色気シーンで愛を語り、日々減っていく食料物資を巡って人間同士の醜い争いが勃発する。
ここは、そんな場所。
そこにゾンビである俺が日常品を求め買いに行くという行為が、場違いというか皮肉というか何というか。
そんな居た堪れなさを感じながらも、俺は目的のアパレルショップへと足を運んだ。
しかし、俺が場違い感や居た堪れなさや居心地の悪さを感じているのには、他にも理由があった。
ここがレディースの売り場だからだ。もちろん暴走族の意味ではない。
【堂々としていなさいよね、まったく……】
ここで堂々と出来るような人間、もといゾンビであれば俺の生活は今とは違ったものになっていただろうなぁ。
女性ものの服が並ぶ中に、男のゾンビが居るという光景は、周囲の一般客の目からしたらさぞ異常に映っていることだろう。とても居た堪れない。
【性別に関係なく、ゾンビの存在が異常でしょうが……!】
なるほど、言われてみればそうだな。つまり、俺は既に詰んでいたのだ。
齢一九にして人生詰んでいる俺に怖いものなど無いか……
しゃーない。あんまり深く考えずに、さっさと用事を済ませてしまおう。
【ま、そうしなさい。それでも周囲が気になるなら、彼女にプレゼントする服を買いに来た雰囲気でも醸し出せばいいのよ】
そんな器用に雰囲気を醸し出せるわけねぇだろ。バトルものの強キャラじゃあるまいし。
ゾンビが醸し出せるものなんて、悲しいことにせいぜい腐乱臭くらいである。
【はいはい。バカなこと考えてないで、さっさとしてよね】
と、呆れるような口調で美恋が言った。
まあいい。どうせここまで来たんだし、早いところ美恋の服を調達してしまおう。
さて、改めてとなるが状況を説明すると、俺たちがここに来た理由は美恋の着る服を買う為だった。
いずれ美恋の魂は自分の身体に戻るわけだが、その際に着る服が無くて困っていたのだった。地下研究室には患者服しかないしな。
以前、突発的に自身の身体に戻った際は、身長の近い加子の服を借りたのだが、やはり違和感があることは否めなかった。特に胸部が。
【う、うっさいわね! そこはいいでしょ!】
まあ、とにかく、そういうわけなので、美恋の希望によりショッピングモールで買い物をすることになったのだった。
どうせ試着も出来ないんだし、ネット通販でも良かっただろうに。
【他にも急ぎで必要なものがあるのよ。あと、研究室に不足している日用品も揃えたかったしね。ついでよ、ついで】
なあ、今更だけど美恋の済んでいた家まで取りに戻るのじゃダメだったのか?
【それはダメね。私は『迷宮』の寮に住んでいたから、そこでまた命を狙われる危険があるわ。それに、死者が蘇ったと事情を知らない同僚が知れば、大騒ぎにもなるでしょ?】
なるほどな。そうなると、俺の身体を使って、ものを新しく買い直した方が合理的か。
【そういうこと。本当なら、じっくりショッピングを楽しみたいところだけれど、一斗の為にフィーリングで買う服を決めることにするわ】
そうしてくれ。ここは息が詰まって死にそうだ。もう死んでるけど。
ということで、店内をぐるっと一回りする俺。
その途中で見つけた、良さげな服を次々と手に取るように美恋は指示を出してくる。
数を撃って当てる作戦か。まあ、時間が掛かるよりはいい。
その分、お金も掛かるが、デスゲームで荒稼ぎしたマネーがあるので問題はない。
金で解決できることは、極力金で解決すべし。その方が楽だし経済も回せるし、何かと都合も良かろう。ゾンビになって、様々な価値観が変わったものだな。
とまあ、そこまでは順調だった。
何せ、美恋の指示に従って、服を手に取ってサイズと造形を見るだけだったのだから。
しかし、最後の最後で美恋の悪戯が発動しやがった。
【どうせだから、一斗にも選んでほしいな】
と、美恋が甘えたような声音で言ってきた瞬間に気づくべきだった。俺は「おう」と適当な返事をするのではなく、断固拒否の姿勢を作るべきだったのだ。
なぜなら今、俺の目の前には淡い色の無数のランジェリーがふわふわひらひらしていたからだ。
い、居づれぇ。なんで俺が女性の下着を選ばないといけねぇんだ。周りの視線が気になり過ぎるだろうが……
【ふふ、一斗の性癖で私の下着を選んであげるわ。どれがいい?】
こいつめ。純情ゾンビハートを揶揄いやがって。
とりあえず清楚な白はあんまり美恋のイメージじゃないな。やはり黒か。ここは大人っぽく、且つ小悪魔的なデザインが良かろう。どうせだから布面積は極小で透け感のあるエロティックな感じがいいか。だが、それで黒となるとあざと過ぎる印象が否めないな。うーむ、難しい問題だ。他にも機能性まで考慮するとなると、この判断は考え直して――
【さすがに、そこまで本気で選ばれると普通に引くわね……】
よし、絆創膏にしよう!
間違いない。それが最強の下着だ!
【それ下着じゃないし!? どういう思考回路で絆創膏を選んだのよ!? 当たり前だけど絶対に着ないから!】
まあ、着るというか貼るんですけどね。
あーあー。もし商業作品だったなら、この妄想が神(絵師)の力で確実に挿絵になるんだけどな。残念だ。……俺のささやかな願いは、もう一人の主人公くんに託すとしよう。
【『ラビリンス』サイドの主人公もいい迷惑だと思うでしょうね……って、そうじゃなかったわ。メタ発言は置いておくとして、もう下着は自分で選ぶわよ。その辺のやつ、片っ端から買っていくわ】
と言って、美恋は次々と下着をチョイスしていくのだった。
やっぱり性格と同じで黒が多いんだな。あと、度量と同じで胸のサイズも小さ――
【ふふ、呪い殺されたいようね!】
……ゾンビが謎の変死を遂げていたら、きっと犯人は慎ましやかな胸をした悪霊である。
見つけても決して近づかず、近くのエクソシストとかにお祓いを依頼してほしい所存。
そんなやり取りの末、アパレルショップでの買い物が終了した。
が、女性ものの服を大量購入する男のゾンビは、レジの店員からそれはもう訝しげな視線で見られるのだった。
とりあえず、「ラッピングお願いします」と店員の無駄な手間を増やすことで、これが彼女へのプレゼントである雰囲気を醸し出すことにした。
しかし、彼女に自分好みの下着までプレゼントする変態彼氏だと思われてしまうことまでは回避不可能だった模様。誠に遺憾である。ちっ。
【あとは、雑貨屋で一通り揃うわね。買うものは、消臭剤と香水とカラコン……それと日用品くらいかしら】
カラコンなんて要らねぇだろ。コスプレイヤーじゃあるまいし。
【あら、カラコンは黒目を大きく見せるお洒落アイテムよ? きっと役に立つわ!】
さいですか……
まあいいや。どうせ同じ場所に売ってるなら、ついでに買ってしまおう。
場所はドンキでいいのか?
【構わないわ。結構な荷物になるから、頑張ってね】
ええー…… 既に俺の両手には大きな紙袋があるんですけど……?
【ゾンビの男の子なんだから、これくらい余裕でしょ? どうせ疲れないんだし】
ったく。ゾンビ遣いの荒い悪霊だな。
たとえ疲れなくても労働力にはなってるんだから、時給くらい発生してもおかしくないところだ。ボランティアで手伝ってやっている俺の身にもなれ。
そんな風に文句を言いつつ、俺はショッピングモール内にある雑貨屋で美恋の買い物に付き合わされるのだった。
あまりの荷物量に、店員さんに心配もされたのだが、「ゾンビなんで大丈夫です」と答えて逃げるようにレジを後にした。
明らかに普通の人間が持ち運べる物量じゃなかったしなぁ…… もはや大道芸人の域である。変な勘ぐりをされる前に、そそくさと撤退するのが良かろう。
そうして、俺はショッピングモールを後にしたのだが、道中でポケットのスマホが振動して通知を知らせてきた。荷物を置いて、画面を確認する。
【お呼び出しみたいね】
ああ、そうだな。ボロアパートに帰る前に、大学の地下研究室に寄るとしよう。
手に持ったスマホを再びポケットに仕舞い込む。
そして、一時的に地面に預けた荷物を一瞥してげんなりする俺。……これ、持って歩くのか。さすがに面倒だな。素直にタクシーでも使うか。
現代っ子ゾンビの俺はスマホだけでなくタクシーまで使えてしまうのである。そんなわけで俺は我が大学へと向かうのだった。
◇
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