第二部三章『迷宮の火花』3-1


 翌日の研究室。


「……」

「…………」

「……………………」


 普段はそれなりに賑やかなこの場所も、まるでお通夜の様な耳の痛い静寂が続いていた。

 まあ、実際に死体があるから葬式っぽい雰囲気は無くも無いのだが。


 しかし、何よりの原因は音黒せんせーだ。

 何があったのかは知らないけど、滅茶苦茶に不機嫌さを露わにしている。ちなみに数日前の時とは桁違いだ。スカウターを通さずとも分かる不機嫌力五三万。


 もちろん、加子と白華も我関せずといった感じでスマホに視線を移していた。


 触らぬ神に祟りなし、怒れるマッドサイエンティストは放置しておけ、という古来よりの金言通り、俺もホントは研究室に来る気など無かったのだが、音黒せんせーから直接の招集命令が下れば顔を出さないわけにもいかない。

 とにかく、今は静かに嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。


【いつまで、こうしている気よ。一発ギャグかましてやりなさい!】


 この空気で笑わせられるやつが居たら芸人として大成功できるだろうな。そして、それは間違いなく俺じゃない。


 現在、音黒せんせーは手術台のようなテーブルで例のゾンビを弄っている様子だった。相変わらず顔には白い布が被せられている。

 おそらく身体のメンテナンスか。何かしらの不具合が無いか、俺と加子かこも定期的なチェックを受けているのだが、たぶんそれだろうな。


「っと、こんなもんか……」


 そして、ちょうどその作業が終わってしまったらしい。

 ここから俺たちに厄災が振りまかれると思うと憂鬱極まりないぜ。


「おい、駄犬」


 俺だぜ。話しかけられちゃったぜ。ちょー困るぜ。


「な、何ですか……?」


 恐る恐る返事を返す俺ぜ。


「お前、確かダッチワイフが欲しいって言ってたよな。二億で売ってやる。買え」

「ええッ!?」


 言ってないって! 絶対に言ってない!

 俺にそんな記憶ねぇよ! 急に何言い出すんだ、この人! しかも二億って、押し売りが酷ぇな!?


「ほ、ホントなんですか一斗くん!? か、考え直してくださいよ! 私が居るんですから、そんなの不要じゃないですか!」

「一斗! 私のルックスとバストで不満なら、この世に一斗好みの女の子はたぶん存在しないよ!? 目を覚まして!」

「お前ら、揃って真に受けてんじゃねぇーよ!?」


 つーか、何か余計なこと口走ってねぇか? 引き留め方がおかしい気がするんだが。

 まあ、触れにくいことなので、一旦スルーさせてもらうけど。

 それはそれとして。俺はいったい何を押し売りさせられているのだろうか。


「そもそも何すか。その二億円のダッチワイフって……」

「そこの魂抜けたゾンビのことだ。あと二億ドルな」


 ドルだったかぁ。基準がグローバル。危うく騙されるところだった。

 いやいや、そうでもなくて。


「そのゾンビって『迷宮』に依頼されて作ってたやつですよね。なら、『迷宮』に売ればいいじゃないですか」

「ちっ。買取を拒否されたんだよ。自分から依頼しておいてな」


 あー……、それで不機嫌だったのか。なるほどな。

 まあでも、俺が押し売りされる謂れは一切ないけどな!


「で、突き返された原因は何だったんですか?」

「魂が抜けてたから、だそうだ。完全に蘇生することは不可能だと、事前に話していたんだが、解釈に食い違いがあったらしい」


 ほう。そういうことか。

 向こうからしたら、不完全なゾンビでも魂がある前提で、音黒せんせーからしたら魂の有無は関係なく不完全な蘇生という解釈だったのだろう。たぶんだけど。

 ん、待てよ。それって……


【あれ、もしかして……、私の肉体が手に入るってことじゃない!?】


 俺と同じ考えに至ったのか、美恋が強く反応を示した。

 肉体の無い魂と、魂の無い肉体があるなら、お互いを補完し合って解決だろ。

 もしかして一件落着か?


「あの……、そのゾンビって美恋の肉体になり得るってことですよね?」

「ま、そうだな。今なら二億円に値引きしてやってもいいぞ」

「結局、金は取るのか…… んな大金、持ってるわけ無いですって」

「今は持ってなくても、駄犬ならデスゲームで十分稼げるだろうが」

「まあ、そうかもしれませんけど……」


 こっちは一億ですらかなり苦労してんのに、さらに追加で二億なんて無理ゲーだろ。

 まあ、時間を掛ければ可能かもしれないけど…… ゾンビは過労死しないから最強の社畜適正があるのだ。クソ嬉しくねぇな。


【あんたに身体を穢される前に、私が買い取るわよ。いいから、そのゾンビとやら私に見せなさいよね】


 へいへい。

 つか、買い取るって気軽に言ってるけど、この人はマジで金取るからな。研究資金の為なら躊躇はしないし、しかも二億円だぞ?


【……なんでかしらね。それくらいなら払えると思ってしまったわ】


 お前、どんだけ金持ちなんだよ。二億だぞ、二億。ペリカじゃなくて円だ。

 その記憶、マジで確かなんだろうな……?


【分からないけど、何故か払える気がしたのよね……】


 まあいいか。とりあえず、例のゾンビとご対面としよう。

 もしかしたら、全世界を魅了する今世紀一絶世のブスで、美恋の気が変わる可能性だってあるしな。


【表現が酷いわね…… このクズ、死ねばいいのに】


 はいゾンビジョーク頂きました。っと、そんなことより……


「音黒せんせー。いちおう、そのゾンビ見せてもらえますか?」

「あ、私も見たいです! 同じゾンビとして興味があります」

「私はゾンビじゃなくて人間だけど、ちょっと興味あるかも。いちおう見とこうかな」


 と、加子と白華はっかも同調して例のゾンビに興味を示す。

 音黒せんせーはやれやれといった様子で、手術台の前に立った。


「つっても、前例から分かる通り、見てくれは殆ど人間だけどな。だから、そんなに面白いもんじゃねぇぞ」


 なんて言いながら、音黒せんせーは手術台に横たわる患者衣を纏ったゾンビを一瞥し、顔に被せられた布を取り払う。


【え……】


 ほう。

 短めの黒髪に、左サイドだけ垂れ下がった編み込み。全体的にスレンダーで細身の身体。

 穏やかに瞳を閉じた顔は、美人系とも可愛い系とも取れるバランスの良い整った形相をしていた。


 まあ、分かりやすく端的に言うと……、めっちゃ美少女だった。

 しかし、少女と言っても、印象が幼く感じるというだけで、実際は年上っぽくも見える。


「か、可愛いです! まつ毛とか長ーい! ふへへー」

「うわ、ホント凄い可愛いじゃん! びっくりなんだけど」


 などと感心したように似たような感想を漏らす二人。

 まあ、確かにこれは文句なしの美少女だな。


「ねえねえ、一斗くん、やっぱり買いましょうよ! 私、お触りしたいです!」

「ったく、お前はいつも通りの反応だな…… 割り勘だからな」

「はいっ! やったー!」

「え、ホントに買う気なの……!? 二人とも正気になって!?」


 やれやれ、音黒せんせーも人が悪いぜ。先にこの容姿を見せてくれれば良かったものを。

 とりあえず、加子と割り勘するなら、一人一億で済むな。まあ、デスゲーム分割払いで何とかなるだろ。


【――――えええええええええええええええええええええええええええぇッ!!!!】

「うおっ!?」


 ど、どうしたんだ美恋みれん……?

 悪いけど、もうこれソールドアウトだから。売り切れヒップホップだから。ヤェア!


「一斗? 急に驚いて、どうかしたの?」

「いや、美恋が突然騒ぎ出すもんだから驚いてな」


 で、どうしたんだよ急に。


【これ! 私のよ!】


 いや違うけど? 俺と加子が買うから。


【こ! れ! 生きてた時の! 私の身体なのよ!】


 は……?

 はぁあああッ!?


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