第一章 再会と秘密と
再会と秘密と (1)
ダリルとアシュレイが出会い、別れてから十年後のこと。
兄オスカーと同じ寄宿学校に進学し、卒業したダリルは、成人年齢の十八歳を超え、早速第二王子としての執務に追われていた。魔物を惹きつけるという特異体質ゆえに、彼の執務は国の魔物関係が中心だった。
国中からはるばるやってきた国民たちとの謁見や、書類とのにらめっこ。執務には苦手意識を持っていたけれども、早く終わらせなければと、ダリルは意気込んでいた。
今日は十年前に交わした約束が果たされる日。晴れてアシュレイがダリルの専属護衛となる日だったからだ。
「やっと終わったよ!」
最後の書類に目を通し、サインをしたダリルは、ついと立ち上がり、伸びをする。
「お疲れ」
その様子を、ダリルと同い年の専属騎士パトリック、もといパットは見守っていた。栗色の短髪の、あどけなさを残す青年だ。彼は見習い騎士として宮殿に入ったのち、ソルシア国王ギャレットから抜擢され、ダリルのお付きとして寄宿学校へと向かった。学生生活を共に過ごしたなかで、パットは宮殿の王族たちに槍術や弓術の才を認められたため、学校を卒業した後も、話相手を兼ねてダリルの側に仕えていた。ダリルもまた、この気兼ねなく接する友人従者をいたく気に入っていた。
「パット、どこか変な所はない?」
「大丈夫だと思う」
ダリルは鏡の前へと向かい、一本に編んで纏めた髪は緩んでいないか、クラヴァットが曲がっていないか、正装に埃がかぶっていないか、パットとともに確かめた。
一通り確認を終えて、ダリルが懐中時計を見ると、約束の時間の十分前を指していた。
「ダリル、時間だぞ」
傍で控えていたパットは、ダリルに声をかける。
「わかった。行こう、パット」
ダリルはパットを連れて、緊張感を胸に、執務室を後にした。
アシュレイの叙任式が行われる応接室へと向かう間、ダリルは彼女がどうしているか、考えずにはいられなかった。規則正しく刻む、心臓の鼓動がはっきりと感じられた。
幼少期に友として遊んで以来、彼女と関わる機会は滅多になかった。たまに宮殿に戻った時にすれ違い、軽く言葉を交わす程度だった。
ダリルが宮殿の外に出て学校に行くようになってから、パットをはじめとした友人たちはできたけれども、はじめての友人である彼女との思い出は鮮明に胸に焼き付いていた。
『いつか王国魔法士となり、あなたにお仕えいたします』
別れるとき、そう彼女は言ってくれた。その約束を十年もの間守り続けたのか、あるいは思う所があったのか、彼女は王国魔法士として鍛錬を積み重ねてきたようだった。
王国魔法士の中でも王族の護衛に関われる人材はほんの一握りであり、かつ成人した王族の場合は本人の推薦と国王の承認が必要だ。ダリルは成人してすぐに、専属魔法士として彼女を推薦したものの、承認を得るまでの過程で過去の一件―ダリルの宮殿脱走も明るみにされたため、兄や一部の貴族には難色を示された。けれども、この十年の間にアシュレイは魔法や体術の技能を着々と向上させて数々の魔物退治をこなし、国民を守り続けていた。その魔法士としての実績と、彼女の実直な人物像を顧みて、最終的には承認された。
その時の喜びを、ダリルは忘れられない。けれども、これは始まりに過ぎないとも感じていた。王国魔法士として成長した彼女に、どんな話をすればいいだろう。悩めば悩むほど、どつぼにはまる気がした。
「緊張するよ」
「珍しいな」
だから、ダリルはそんな気持ちをパットに打ち明けたものの、パットは意外そうな顔をした。
「俺の時と同じだと思えばいいんだよ」
パットはダリルに向けて耳打ちをする。
「そうだね。ありがとう、パット」
まだ緊張は残っているが、これから会う彼女のためにも、ここで踏みとどまるわけにもいかない。一度深呼吸したのち、ダリルは応接室の扉を開けた。
「ダリル様。お久しぶりですね」
先に応接室に到着し、椅子に腰かけていたアシュレイは立ち上がり、ダリルへと一礼したのち微笑んだ。
アメジストのような紫の瞳は、十年前と同じ輝きだ。ダリルが子供の頃に惹かれた、波打った長い黒髪は、耳の上あたりで一つにまとめていた。灰を基調とした魔法士の制服に派手さはないが、彼女にはよく似合っていた。
「よろしく頼むよ、アシュレイ」
ダリルは恐る恐る、アシュレイに向けて、まっすぐ右手を伸ばす。
「はい。またこれから、よろしくお願いしますね」
十年越しに、二人は握手をした。アシュレイの穏やかな表情と声色、ひんやりした手は変わらぬものだった。けれども、彼女の手の小ささを、ダリルは感じていた。かすかな震えが伝わってないといいと願いながら。
そして、時計が三時を示した頃、アシュレイの叙任式が執り行われた。
彼女の叙任式は、パットが専属騎士として叙任された時と同様、見習い騎士や魔法士の叙任式に比べれば、随分と規模が小さく、簡素なものだった。
ダリルは、従者から金の短剣を受け取る。鞘には、細かな装飾が施されていた。この短剣は、王族の専属魔法士であると示すものだ。
「アシュレイ・アークライト。あなたを、私の専属魔法士として認めます」
ダリルは、目の前にやってきたアシュレイと向き合うと、この短剣を彼女に差し出した。
アシュレイは短剣を、両手で大事そうに受け取る。
「この短剣に誓って、あなたをお守りいたします」
アシュレイの表情は、真剣そのものだった。彼女が、何を思っているかは定かではない。だが、彼女の紫のまなざしは、この短剣を託すにふさわしいものであると、ダリルは直感していた。
***
式典ののち、関係者を招いた食事会が催され、残るは眠るのみとなった。けれども、アシュレイは、母ローザンの客室の扉を叩いていた。就寝の前に一度顔を見せろと、達しがあったためだ。こうして母が宿泊する寝室へと向かったはいいものの、どうにも心が重
かった。
「お母様」
「いるわ」
返事を聞いてからややあって、アシュレイは扉を開く。
目の前で待ち構えていた、まっすぐな黒髪に紅の瞳の、年齢不詳の女性。彼女こそが、アシュレイの義母ローザンだった。アシュレイは幼いころ彼女に拾われたため、血のつながりはないが、姉妹であると言っても納得できるほど、ローザンは若々しい容貌をしていた。だが一方で、どこか退廃的な雰囲気も纏っていた。
「アシュレイ、ダリル様の専属魔法士への就任、本当におめでとう。よくやったわね」
ローザンは、アシュレイの姿を見るなり、がばりと抱きしめた。
「はい。ここまで昇進でき、本当によかったです」
豊満な胸にぎゅうぎゅうの圧を感じながらも、アシュレイは笑顔を努める。
「けれど、私と交わした約束を忘れてないわよね?」
「決して恋をしない、ですよね」
「ええ。ダリル様は見目麗しいことだし、同僚にも素敵な殿方がいらっしゃることだと思うわ」
ローザンはアシュレイへの抱擁を解くと、少し離れて、楽しそうに語りかける。
「けれど、決して羽目を外してはならないよ。その時は、分かっているわね?」
ローザンは笑顔のまま、アシュレイに向けて問いかけた。
「承知しています」
アシュレイは、義母の目を見て、はっきりと言う。
「ならよろしい」
「では、おやすみなさい。お母様」
笑みを崩さないローザンに一礼すると、アシュレイはすり抜けるように、自身の居室へと向かった。ダリルに何かあった時に対応するため、彼の部屋の向かいの小さな個室をあてられていた。
アシュレイは自室に入り、備え付けの椅子に座り、一息つく。
齢二十四になって、魔法士として独立していても、育ての母は何かと干渉したがっていると、彼女は感じていた。
魔法を学び、魔物に対抗する術を得て人々を守れるようになったこと、最も守りたい人物――ダリルの専属魔法士になれたことは彼女のお陰でもあるものの。第二王子に仕えるだけの力と地位を得ても、どこか母の言いなりになっているのではないか、という疑念が彼女の中にあった。
頭一つ以上小さな少年だったダリルはこの十年の間で背も髪も伸びて、立派に成長したというのに、私は変われていないのか。アシュレイは、自問自答した。
「それでも、あの方にお仕えすると決めたのは、私なのだから」
小さな意地をつぶやくと、彼女は浅い眠りについた。
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