第25話 旧友の訪問

 終演後、楽屋に駆けつけた僕は奏佑そうすけと固い抱擁ほうようを交わした。奏佑は僕に熱烈なキスをする。そのまま奏佑は僕をソファーの上に押し倒した。


「お盛んだなぁ。もう、新しい彼氏ができたのか」


と、いきなり声をかけられ、僕らは慌てて離れた。すると、楽屋に一人の僕らと同年代くらいの少年が立っていた。


げん!」


と奏佑が叫んだ。


「よ、元気だったか?」


 その弦哉という少年が奏佑に片手を上げて挨拶する。弦哉……。そういえばどこかで聞いたことがあるような……。そうだ。あのコンクールで奏佑に次いで二位に入ったやつだ。


「おう、元気元気。弦哉もあの後変わりないか?」


「ああ、こっちはこっちで頑張ってるよ。もう、奏佑にはこれ以上負けられないしな」


 二人は笑い合った。


「奏佑、いつの間に新しく彼氏なんか作っていたんだ?」


 弦哉がそう尋ねた。


「コンクールの本選の朝。こいつに付き合おうって言われてやっと次の恋愛に進む決心がついたんだ」


「本選の朝? 随分余裕じゃねぇか。お前、もしや予選の時は余裕綽々しゃくしゃくで勝てるからって手を抜いただろ」


「まさか。俺はいつでもしんに音楽に向き合ってるつもりだぜ」


 奏佑はそう言うと、僕の方に向き直った。


「こいつは国本くにもと弦哉だ。俺の前の高校の同級生。でも、小学校の時からずっとコンクールで一緒だったやつだ。だから、付き合いは結構長いんだ」


「ああ。でも、本格的に仲良くなったのは中三も終わりになってからだよな。それまでは、他を寄せ付けないオーラ放ちまくって、いつも一匹狼だったもんな」


「あはは、それはもう黒歴史だよ。あまり言ってくれるなって。弦哉にも俺のかわいこちゃん紹介しておかないとな。霧島律きりしまりつ。俺の今の高校の同級生だ。こっちの地区大会で知り合って、たまたま同じクラスにいたやつなんだ。どうだ? 可愛いだろ?」


「いや、俺はゲイじゃないから、男のこと可愛いって言われてもわかんねぇよ」


「あはは、それもそうだな」


 僕は軽く弦哉に会釈した。


「それより、皆、お前のこと出待ちしてるぜ。一回出て行ってサインでもしてやれよ」


「ええ? 面倒くさいなぁ」


「そう言うなって。ピアニストなんてファンあってのものだろ。ちゃんとファンのこと大切にしとけ」


「へいへい、わかりましたよっと。じゃあ、律、ちょっとここで待ってて。ちょっくらサイン書いたら戻って来るからさ」


 そう言うと、奏佑は終演後の奏佑を待ちかまえているファンたちに対応するために楽屋を出て行った。


 楽屋には僕と弦哉の二人が残された。初対面の二人が取り残された楽屋には微妙な空気が漂う。僕も弦哉も何かを話す訳でもなく、僕らの間には沈黙が続いた。気まずい。気まずすぎる。


「あの、国本さんは、今日はわざわざ東京から?」


 沈黙に耐えられなくなった僕は、自分から弦哉にそう話を振った。


「ああ、そうだよ。奏佑の初めてのリサイタルだろ? 俺も聴きたかったからな」


「……そうなんですか」


 だが、そこから会話が続かない。奏佑、早く帰って来て! だが、しばらくすると、おもむろに弦哉は僕に問いかけた。


「お前、ピアノやってるんだよな。えっと、霧島律だっけ?」


「あ、はい。僕、霧島律です。ピアノ、やってますけど……」


「だったらお前にもわかると思うけど、クラシック音楽のプロの世界でやってくことの大変さってあるじゃん?」


「ええ、それはまぁ……」


「奏佑は、その大変さを昔は誰よりもよくわかっていたよ。東京に移り住んでまで、音大の教授についてピアノ勉強してさ。あいつはずっと本気でピアノに向き合って来た。あいつの実力は昔から抜きん出ていたんだ。他の誰もあいつの出るコンクールでは勝てねぇ。ピアノに賭けるあいつの想い、半端なものじゃなかった」


 そんなに小さなころから無双状態だったんだ。もしこっちに住んでいたら、コンクールでも本当に手ごわい相手になっていたんだろうな。


「ところでお前、花崎はなさきひびってやつ、知ってるよな?」


「はい。奏佑の元彼だった人ですよね? 事故死した天才ピアニストで」


「そこまで知っているなら話が早いや。中三の時にその花崎響輝と付き合い始めたあいつは、急に人となりが変わってしまったんだ。それまでピアノが全てだった奏佑は恋に落ちた。そして、ピアノ以外のことにも興味をもつようになった。その途端、あいつは調子を落としたんだ。中三の全国大会で本選に出ながらも一位になれなかった。あいつが負ける所を見たことなんて、それが初めてだった」


 なんと、去年の全国大会のファイナリストというのは、それでも不本意な出来での結果だったというのか。どこまで凄いんだ、あいつは。僕は弦哉の話に感心する一方だった。でも、響輝と出会って調子を落としたって何があったんだろう。


「俺たち、音楽でプロを目指そうと思うやつらは、少なくとも何かを犠牲にして音楽をやって来たはずだ。俺もいろんなものを棄てて来た。友達と遊ぶ時間も、修学旅行だって大切なコンクールのために行けなかった。でも、それでもピアノをやりたいから、ピアノのことだけ考えてずっと生きて来た。それは奏佑も同じだった。だけど、花崎のせいであいつはそういうピアノに賭ける気持ちを棄ててしまった。そのせいで全国での優勝を逃し、花崎が勝手に死んだせいで、俺らの学校まで辞めた。これって、あいつのこれからのキャリアにとって危機的な事態だと思わないか?」


 僕は驚いて弦哉をポカンと見つめた。奏佑が危機的な状況に置かれている? 僕はそんなこと考えたことがなかったのだ。


「俺が今日ここに来た理由は、ただ奏佑のリサイタルを聴きに来ただけじゃない。奏佑を連れ戻しに来たんだ」


 その弦哉のセリフに僕はドキッとした。

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