第五章 迷いを断ち切る二重奏
第24話 僕に捧げるリサイタル
コンクールを終え、正式に僕と付き合うことになった
一方、僕はまだ、自分の家族には奏佑との関係を言い出す勇気はなかった。ただでさえピアノを続けることに批判的な両親に、これ以上反対されるであろう奏佑との恋人関係を明かすことは出来なかった。もしこれを知られれば、僕はピアノも奏佑も失ってしまう。そうなれば、僕に残されるものは何もなくなってしまうのだ。
奏佑は僕の望んでいたようなデートを数々実現させてくれた。ウォーターズライダーで一緒に滑ってみたり、花火大会も一緒に浴衣を着て見に行った。奏佑に誘われて
二学期が始まると、学校に通うのが一段と楽しくなった。同じクラスの隣の席に恋人が座っているのだ。男女のカップルだって、こんなことは滅多にないだろう。
奏佑は音楽雑誌で全国一位に輝いた高校生として紹介された。地方紙にも高校生日本一に輝いた県内の男子高校生として特集記事まで載った。顔写真も載ったそれらの記事により、にわかに奏佑の元に女性ファンからファンレターが届くようになった。学校でも、全国一位に輝いた生徒として表彰された奏佑の女子生徒からの人気はうなぎ登りだった。奏佑の元には何通ものラブレターが舞い込み、奏佑の受ける女子生徒からの告白が途切れない。
だが、奏佑が自分のものとなった今、僕はそんなものにいちいち気を取られることはない。
そんな奏佑に初のリサイタルを開く話が舞い込んだ。小さなホールでの小規模なリサイタルだが、ピアニスト津々見奏佑としてのデビューステージだ。このときの奏佑は意気込みが違った。
「コンクールよりもっと自由に演奏出来るからね。好きに俺の世界を表現できる」
と奏佑は僕に語った。元々、他人と競い、勝つことをあまり好きではない奏佑にとっては、個人リサイタルの方がずっとそんな彼の個性に合ったステージであることは確かだった。
「このリサイタルは律に
そんなことを言われると、僕もワクワクが止まらない。
奏佑は僕への特等席として、最前列のピアノの目の前の席を特別に確保してくれた。僕はすっかり有頂天になって、奏佑のリサイタルのために
僕は指定された客席の最前列、ピアノの真ん前に座り、プログラムを見た。何と、そのプログラムはオール・リスト・プログラムになっていた。前半は
客層を見ると、やはり奏佑のルックスゆえか、若い女性が多い。こんな若い客の多いクラシックコンサートなんて見たこともなかった。まるで、男性アイドルのコンサートのような雰囲気だ。
客席の照明が落とされ、奏佑がにこやかな表情でステージに現れる。客席にいた女子高校生くらいの若い客の数人からそれだけで歓声が上がった。おいおい。ここはアイドルのライブ会場じゃないんだぞ。僕は半分呆れつつ、奏佑を拍手で迎えた。奏佑はピアノの前で一礼すると、目の前の僕にそっとウインクすると、ピアノの前に座った。僕はそれだけでとろけてしまいそうになった。
だが、そんなロマンチックな気持ちは、奏佑の演奏が始まると吹き飛んでしまった。超絶技巧練習曲第一曲『前奏曲』から奏佑の演奏はアクセル全開だ。これほどまでに完璧なヴィルトゥオーゾの高校生は今まで見たことがない。小さなホール全体が揺れ出すのではないかという程の力強さ。ピアニストでさえ演奏するのに苦労するこの難曲を物凄い早さで駆け抜ける。プレスト(非常に早く)という指示はあるものの、ここまで早く演奏した人を僕は知らない。一切乱れることのない難パッセージの数々をいとも簡単に料理していく様子は
続く『愛の死』。この曲を奏佑の演奏で聴くのは実はこの時が初めてだ。僕が奏佑への恋心を自覚することになったオペラ『トリスタンとイゾルデ』。トリスタンへの愛が高まり、その愛の中に死んでいくイゾルデの情景がまるで目の前にあるように思い浮かぶ。トリスタンとイゾルデの愛の物語が、奏佑のピアノの音によって
前半だけで、僕の心はいっぱいいっぱいだったが、ここからが奏佑の
一瞬の静寂。誰もが彼の演奏に聴き入り、拍手をすることさえ忘れていた。まばらに聴衆の一部から拍手の音が鳴り出すと、皆、思い出したかのように拍手を始める。ここから会場は興奮の渦に包まれた。何度も何度も続くカーテンコール。奏佑はファンとして集まった女性客から花束を抱えきれないほどもらい、顔も隠れるほどだ。だが、僕は最早放心状態で、ただただ夢見心地のまま座っていた。何度目のカーテンコールだろう。奏佑はもう一度ピアノの前に座った。
彼がアンコール弾き始めた曲。それは、あの『愛の夢』だった。彼が僕のためにと捧げたリサイタルの最後の曲。この会場に集まった聴衆の中でたった一人、僕のためだけに、僕への愛を皆の前で示すために、この曲が演奏されたのだった。僕は涙が止まらなかった。そんな泣き出した僕を見て、奏佑はニヤリと笑みを浮かべた。ちくしょう。憎い演出をしてくれるよ。
*リストの超絶技巧練習曲『前奏曲』はこちらで紹介しています。
https://kakuyomu.jp/users/hirotakesan/news/16816700427715541954
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