再開は全裸と共に➁
「もうお嫁に行けない……」
「それは、私の台詞」
白塗りの小さなテーブルに肘を突き、両手で顔を覆いながら悲壮に満ちた声を漏らすロバートの正面で、ルルはほんのりと語彙を強める。
最悪な再開を果たした二人は紆余曲折の後にロバートのオススメする喫茶店へと来ていた。
喫茶店、と言っても店内で食べるスペースは殆ど無い小さな店で、客は芝生生い茂る庭に並べられたパラソル付きのテーブル席で食事や談笑を楽しんでいた。昼間になると混雑して中々座れないのだが、まだ早朝の為二人で座れる席を確保できた。
人形のように可愛らしいルルと(見た目は)完璧と言っても差し支えない色男のロバート。道行く者は彼らにお似合いのカップルと断じる視線を送っていたが、誰もこの二人が殺し合いをした仲だとは思うまい。
「大勢にあられもない姿を見られてしまった。僕はどんな顔をしてこれからこの町で生きて行けば良いんだ」
「死ねば?」
「グッドアイデアだね。全て解決だ」
ヤケクソ気味に笑いながらロバートは手元の水を喉に流し込んだ。
「それにしても、まさか本当に約束を守ってくれるとは思ってもみなかったよ」
「……命令だから来ただけ。これっきり」
目の前の男と視線を交差させまいと努めるルル。冷たく突き放すような物言いだったが、しかし目の前の男は嬉しそうな笑みをこれでもかと向けてくる。
「いやぁ、それでも嬉しいよ。本当にありがとう。てっきり忘れられてるものとばかり思ってたからさ」
「忙しかったから」
とは言うが、実際には以前ロバートに切られた髪が伸びるのを待っていただけである。短いままで会うのはどこか敗北感を感じて嫌だったのだとか。
そんな事は露知らず、目の前の阿呆は流石はデアナイトだと勝手に納得していた。
「食べたらすぐ帰る」
「うんうん、分かってる分かってる。今日は俺が奢るからたくさん食べていってね」
どれだけ突き放そうとしても追い縋ってくる。怒りを見せず、寧ろ距離を詰めようとしてくる。ルルはこの男が苦手であった。
ウェイトレスが現れ、お盆に乗せた一枚のアップルパイを八等分にし、その内の一つをルルの、もう一つをロバートの前に置かれた皿に乗せる。
突如として襲う仄かな温もりに混じった甘く芳ばしい香りに、鉄球でもぶら下げているかのようなルルの重い瞼が微かに開いた。
宝石のようなリンゴの照り。丁寧に焼かれた皮の艶。幾重にも重なった生地の隙間から手招く甘美な香り。
気付いた時にはフォークをパイに突き刺し、小さな口を目一杯広げ迎え入れていた。
「…………!」
口の中に広がる暴力的な甘味。ひと噛みする度にパイ生地の幸せな音が脳に響き、溢れるリンゴの甘酸っぱさが頬の奥を痺れさせた。それまで氷のように無表情だった彼女の頬が微かに緩み、瞳は無邪気な輝きを帯び始める。
絶品この上無し。それがルルの下した判定であった。これまでにアップルパイを含め様々なスイーツを食べてきたがここまで彼女の心を捕えたものは過去に無かった。
少しずつ大事に味わって食べたかったが気付けば全て腹の中。名残惜しそうに皿を眺め、そして願いという名の命令を視線に籠め目の前の男に送る。
「おねえさ~ん。アップルパイのおかわりお願いします。一枚丸ごとで」
少女の瞳に歓喜が満ちる。
ルルはその後アップルパイを何枚もおかわりし、店側も面白がってフル稼働でパイを焼き彼女の前に運んだ。自分が奢ると軽い気持ちで格好つけたロバートの表情が少しづつ青ざめて行くが、しかし彼女が美味しそうに食べる姿はとても可愛らしく、それが見られただけでも満足であった。
「お客様申し訳ありません。これ以上は他のお客様に出すものが無くなりますので……」
三十枚目を食べ終えたところで店側が音を上げた。ルルは満足そうに小さく頷き、ロバートは胸を撫で下ろす。
「気に入ってもらえたようで何よりだよ。食後の紅茶なんてどうかな?」
「よく分からないから勝手に選んで」
「りょ~かい。おねぇさん。これとこれをお願い。あ、こっちはジャム抜きで……」
その後、二人は紅茶を飲みながら他愛の無い会話に花を咲かせた。実際はロバートが一方的に世間話をつらつらと語りそれをルルが興味無さそうに聞いていただけなのだが。
「それじゃあ」
カップも空になり、微かに残った茶葉の揺れが収まったタイミングでルルは別れを切り出そうとする。しかしロバートはそれを掻き消すように勢い良く立ち上がると、「腹ごなしに散歩しない?」と誘う。
断ろうとしたがお腹のアップルパイの重みが彼女の口を閉ざした。決して安くは無い額の支払いを見ていただけに、彼女の良心が少し癇癪を起したらしい。
了承を口にすることも無ければ首を縦に振ることも無かったが、ルルは少し高めの椅子から飛び降りると彼の一歩後ろへ張り付いた。
「それじゃあ、行こうか」
歩幅を足の短いルルに合わせ、人とぶつからないように誘導しながら相変わらず一方的な会話をしながら歩くロバート。
彼が向かった先はその町で一番大きな広場。多くの店や屋台が並ぶその広場には服屋や雑貨店もあり、ロバートはそういったルルでも楽しめそうな店を回った。
悪い噂の多い男である。そして、かつて命を奪おうとした男である。
故に彼女は警戒心を強めていたのだが、この男は極めてラフな格好で武器は何も所持しておらず、そして拍子抜けするほど「いやらしい」言動は何一つ見られなかった為、今はただ面倒だという思いしか無かった。
「これなんか良いんじゃない?」「帽子とか被ったりしないの?」「このネックレス絶対似合うと思うんだよね!」
店に入る度にルルに似合いそうなものをチョイスしては彼女に薦め、買い与えようとした。ルルは面倒くさそうに全て断ったが、しかしロバートは常に笑顔で彼女に接した。
それは買い物後に立ち寄った別の喫茶店でイチゴのケーキを食べている時も同じで、常に無表情で淡白な反応しかしない自分と居て何がそんなに楽しいのだろうか、そんな疑問を抱いていた。
そしてその疑問は気付けば言葉となり口から出ていた。
「何がそんなに楽しいの?」
「あれ?もしかして、不満だった?ごめんね、連れまわしちゃって」
もしこの男にウサギのような耳が着いていたら間違いなく垂れ下がっていただろう。そんな露骨にがっかりした様子のロバートを前に自分の言い方が悪かった事に気付くルル。
「……私みたいな面白くない人間と一緒に居て、何がそんなに楽しいの?」
何故そんな質問が出てくるのか理解出来ない。そう言いたげに目を丸くしながらロバートは答える。
「そりゃ一目惚れした女の子とデートできてるんだから楽しいに決まってるじゃない。今日は付き合ってくれてありがとう。最高に嬉しい一日だったよ」
屈託の無い笑顔でそう言われたのが何故か少し悔しくて、食べかけのイチゴをフォークの先端で弄りながらルルはつい意地悪で不必要な質問を投げかけてしまう。
「私は帝国の人間。元々アナタの敵だった側の人間。私が憎くないの?」
「別に俺とキミとが戦争してたわけじゃないでしょ。何時だって戦争は上の人間が始めるだけで、俺らは違う立場でそれに巻き込まれただけさ。帝国は嫌いだけど、帝国に所属している人間が嫌いってわけじゃないよ」
「私は何人も殺してる。罪の無い命も奪い去った」
「俺だって殺してるさ。五十人ぐらいから数えるのは止めたよ」
「アナタを殺そうとした」
「立場上そうするしかなかったんだから仕方ないさ。それに俺もキミの綺麗な髪を切ってしまった。そっちの方が重大だ。本当に申し訳無いと思っている」
この通り、とテーブルに手を着き頭を下げるロバート。自分の命よりも、自分を殺そうとした人間の髪の方が彼の秤の中では重いらしい。
「……アップルパイだって、たくさん奢らせた」
急に話が可愛くなり、つい口元が緩むロバート。
「さっきからどうしたの?まるで俺に嫌われたがってるみたいだけど」
「そうじゃない。ただ、貴方が理解出来なかっただけ」
「理解しようとしてくれてるのかい?嬉しいなぁ」
ルルの目つきに不快感が滲む。しかしその殺意丸出しの視線にすら悦びを感じている目の前の男には、最早何を言っても無駄なのだと悟った。
「……今日、わざわざ私がこんなところまで貴方に会いに来たのは、こうやってくだらない時間を過ごす為だけじゃない。ある事を伝えに来た」
「ある事?」
その時、彼女の瞳には冷たい光が宿っていた。それはかつてロバートが見た、戦場での彼女の表情と全く同じだった。
「あの時、あの戦いの決着に、私は納得していない。いずれまた、納得できるかたちで決着をつけたい。今日はそれを伝えに来た」
「という事は、またルルちゃんに会えるわけだね!嬉しいよ!」
「…………」
ルルは目の前ではしゃぐ男を半目で睨む。最早敵意も殺意もそこには無く、ただただ疲労が増すばかり。
「そういうわけだから。また孰(いず)れ」
「そうだね!今日はありがとう!帰り道気を付けてね?」
「……」
逃げるように席を立つ自分に向けられた暖かい気遣い。
彼女は返事をすること無く、背を向けた男がもう何も言ってきそうにない事を察すると黙って空高く跳び上がっていった。
「…………ふぅ」
周囲の人間が驚き空を見上げる最中、男は一人、椅子の背もたれに体重を預ける。その途端、額と背中から汗が吹き出し四肢に誰かが抱き着いているかのような凄まじい疲労感が襲った。
デアナイトである彼女の殺気に晒され続けたロバートの精神は疲弊し切っていた。
(……次にデートする時は、もっとリラックスしてもらうようにしないとなぁ……。でないと、こっちがもたない)
困ったように眉を垂らしながらもしかし緩む口元。
すっかり冷めた紅茶を啜りながら楽しかった一日を振り返る反面、明日からこの町をどんな顔して歩けばいいのだろうかと切実な悩みに頭を抱えるロバートなのであった。
―――――
「どうだった?楽しかったかい?」
夕暮れ時。空を漂う鳥の影に混じって城の広場に降り立ったルルにヴァローダが声を掛けた。
ルルは忌々し気に腰のリボンを解きながら、「分かりません」と答え、近くに居たメイドに連れられ更衣室へと姿を消した。
要領を得ない彼女の答えであったがしかしヴァローダは細い目を見開き顎に手を当てる。
(分からない、か……。ロバート君、上手くやってくれたようだね)
何時も否定的で何事にも興味が無さそうな彼女から出た疑問の言葉。
「何か良い事でもありましたか?」
「ん?あぁ……。予想以上の収穫だったかもね」
呼んでもいないのに突如として現れた侍女は主人の回答に首を傾げる。
ヴァローダは少し軽くなった足取りで城内の散歩を続けた。
その日の晩、ルルは食堂にてヴァローダから今日の出来事を執拗に問われる事になるのだが、それはまた別のお話……。
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