再開は全裸と共に①

 一人で過ごすには無駄に広い部屋、無駄に高い天井、無駄に多い内装と家具。無駄は贅であると言わんばかりの部屋に置かれたこれまた無駄に巨大なベッドの上で、鼻の下まで薄い布に覆われながら窓から差し込む朝日を恨めしそうに瞼の裏から睨む。


 オズガルド第二帝国が誇るデアナイトの一人、ルル=トール。彼女の朝は決まって訓練所から聞こえる兵士達の声で目を覚ますところから始まる。


 差し込む陽射しの熱にいよいよ耐えかね枕から華奢な体躯を起こすと、円を描くように広がっていた白色の長髪が自ずと纏り彼女に密着する。布が擦れる音と共に彼女の一糸纏わぬ姿が露になった。


 ルルは瑞々しい柔肌を外気に晒したまま大きな欠伸を浮かべ、空色の瞳から溢れる涙を指で掬う。


 しばらくベッドの縁に腰を掛け焦点の定まらぬ目を浮かべていたが喉の渇きに気付き、枕元に置いてあった呼び鈴を遠くの扉に向け鳴らす。ルルがベルを置くよりも早く、若いメイドが水差しとグラスを盆に乗せ扉の外から現れた。


 ゆったりとした深い黒のエプロンドレスを着た黒髪おかっぱのメイドは、仕える主人に年相応の明るい表情で辞儀を向けると、ベッドの傍にあった小さなテーブルにグラスを置き、程良く冷えた水を注いだ。


「失礼します」


 水を飲み終えたルルに手際良く下着を着せるとそのままの流れで化粧台に誘導し、主人の飴細工のように滑らかで美しい髪を櫛でき始めた。


「髪の長さ、どう?」


 まだ重い瞼を必死に持ち上げ鏡越しに従者へ問う。侍女は今一度主人の髪を手櫛で優しく撫で、「以前と同じ程にはなりましたね」と答えた。


「相変わらず美しい髪でございますね。触っているだけで手に溶け込んでしまいそうです」


「そう……」


 ふんす。と、ルルは無表情ながらも満足げに鼻息を漏らした。


 その後、メイドに用意させた軍服に着替える。小さな身体の彼女の為に特注で作らせたものだがその厳かなデザインはやはり彼女には少し不釣り合いであった。着られている、という表現が的確である。城内ではその背伸びしたような着姿が可愛らしいと評判であるが彼女としては不本意な模様。


 彼女の軍服には燃え盛る太陽とそれを貫く剣が模された紋章が印されていた。これはオズガルド帝国の国旗にもなっている紋章で、一定の階級以上の者にのみ背負う事を許された強者と信頼の証である。


 威厳に満ちた象徴ではあるのだが彼女にかかればちょっと痛々しくも可愛らしいデザインへと早変わりなのだ。


 着替えを済ませたルルはメイドに部屋の掃除を任せると、朝食を摂るべく城内に四か所ある食堂の内の一つへと向かう。


 この城では身分の上下に関係無く食堂を利用することが許されており、極端な例で言えば一番下っ端の兵士が王であるヴァローダと相席する事すら認められていた。


「あら、ルルちゃんおはよう。いつもので良いかい?」


「うん」


 フランクな態度の中年女性は巨大な盆に山盛りの朝食を載せ、近くに居た他の職員と二人がかりでカウンターに運ぶ。ルルはそれを魔法で浮かばせると、城の中庭が見える窓際の席まで運び食べ始めた。


 席に座ったルルの顔が隠れるほど山盛りのサラダとパン、肉に果実に卵料理。彼女の食事は兎に角多かった。無表情でどんどん料理を吸い込んでいく姿に周囲の兵士はいつも呆気にとられる。あの小さな身体のどこに入るのか不思議でならなかった。


「おっ、ルルちゃんじゃん。相変わらず食べるね~」


 半分ほど平らげた辺りで声を掛けられ見上げると、そこには周りの屈強な兵士より顔一つ分背の高い女性が爽やかな笑みを浮かべていた。


 毛先の跳ねた纏まりの無いレンガ色の長髪からは奔放な雰囲気が窺える。目は猫のように鋭く大きい。健康的な小麦色の肌と胸以外に余分な脂肪の無い練り上げられた身体を見せつけるその女性は、露出の多いインナー姿でルルの朝食を物欲しげに眺めている。


 彼女の名はイリナ=テオドラ。彼女もルルと同じデアナイトである。


「そんなに食べてっと、太るぞ~?」


「余計なお世話」


 イリナの仄かに割れた腹筋から漂う暑苦しさに、ルルは堪らず視線を逸らしながら脂身を口に押し込んだ。


「イリナさん、俺達も腹減りましたよ。速く朝飯にしましょう」


「ん、そーだな!」


 彼女と朝の修練を共にしていた下位の兵士が委縮する様子も無くイリナを急かす。


「あ、そうだ。ルルちゃん、これから暇ある?良かったら手合わせしない?割とガチめなやつ」


 イリナの提案に周囲がどよめく。周りの人間が一斉に聞き耳を立てているのに勘付いたルルは、彼女の提案に対し髪を左右に靡かせた。


「今日は予定がある」


「あら?そうなの?今日は休暇だって聞いてたけど」


「急な仕事。隣国への視察。……というか、人が休暇の時に手合わせ誘わないで」


 じとり。と半目で睨まれイリナはそそくさとその場を立ち去った。


 食事を終えたルルは部屋で軽い体操をし腹を落ち着かせると、小銭の入った小さな袋を軍服のポケットに押し込み部屋を出る。


 彼女が与えられた本日の仕事。名目上は視察という事になっているが、その視察の目的地は彼女の管轄外。いや、それどころか特別な事情でもない限りわざわざデアナイトが視察に出向く事など有り得ない。つまり、仕事というのは表向きであって真の目的は別にあった。


「おや、ルル。今から出発かい?」


 城門の前で花壇に水やりをしていた男が親し気に声を掛けてきた。若干白みを帯びた黄金色の長髪を紐で束ね柄杓を手に持つその男は庭師でも奴隷でもなくこの第二帝国の王、ヴァローダであった。彼はルルの姿を見た途端、困ったような笑みを浮かべる。


「『デート』に軍服かい?」


「いけませんか?」


「いけません。お~い。誰……」


 呼ぼうとしたメイドは既に彼の斜め後ろに立っていた。ルルの侍女より少し年上で黒縁の眼鏡を掛けている。彼女はこの城のメイド長であり、誰よりも優秀で仕事が早い。クラシックタイプのメイド服に身を包んだメイド長は眼鏡の下の細い目をきらりと光らせ、告げる。


「御着替えですね?」


「うん。頼むよ」


 ルルはメイド長に連行され、手早く着替えさせられた。メイド長の目つきと自分の身体を触る手の動きが若干欲に塗れていた気がしたがルルは何とか乗り切った。


「うん、似合う似合う」


 清楚な雰囲気が漂う紺色のワンピース姿で現れたルルにヴァローダは称賛の言葉を贈った。腰には薔薇色の細いリボンが巻かれており、腰の上程の高さの裾には乳白色の可愛らしいフリルが。若干開いた背中からは彼女の色白な柔肌が露になっていた。


「……少し、動きにくいです」


「戦いに行くわけではないのだからそれで良い。楽しんできなさい」


 そう仰る王の横ではメイド長が鼻血を流しながら真顔で力強く親指を立てている。釈然としないルルであったが王の命令は絶対であった。


 年相応に着飾ったルルの姿に目を丸くする門番へ外出届を出すと、城下町へと続く架け橋の途中で彼女の身体が羽毛のように柔らかく浮き上がる。


 障害物の無い程度の高さまで浮き上がると身体を前傾させ、そのまま鳥よりも速く飛んで行ってしまった。


 飛び始めてしばらく。とある山の麓にある小さな町。その町の中心部に位置する広場にゆっくりと着地する。


 周りに居た者が、足を止め、作業の手を止め、突如として天から舞い降りてきた麗しい少女へ視線を送る。ルルは自分に向けられた好奇を意にも介さず風船のように浮きながら宿場町を漂った。


 道中、道行く人に尋ねながら何とか辿り着いた目的地。そこは決して豪勢とは言えないが、自然の香りが漂う小奇麗な良い雰囲気の小さな宿屋。ルルは入口の扉を小さな手で押し、中へ足を踏み、いや、浮き入れる。


 一階の酒場から漂う安酒の微かな残り香に眉を顰めながらカウンターへ。呼び鈴を鳴らして十数秒後、奥の部屋から足の裏の大きそうな音が聞こえてきた。現れたのは少しふくよかな初老の女性。どうやら宿屋は盛況らしい。


「あらいらっしゃい。お嬢ちゃん、どうしたの?」


 可愛らしい訪問者に頬が緩む女将。恐らくは実年齢よりかなり年下に見積もられているであろう事に微かな不快感を抱くも、自分が軍人であり、尚且つデアナイトであると気付かれていない点で言えば、無駄な騒ぎにならず助かったと言うべきであろう。


「ロバートという名の男に用がある」


 それまで子供をあやすような笑みを浮かべていた女将の表情が途端に曇った。女将は訝し気に目を細め、ルルの顔から爪先へ、そしてまた顔へと視線を移し、小さく何度も頷いた。


「あんた……、その歳で、苦労してるんだねぇ……。まぁ、このご時世じゃ仕方ないか……。その男なら、3階の左の突き当りの部屋だよ」


「……?」


 女将の顔には哀れみと同情の籠った優しい笑みが浮かんでいた。


 何はともあれ居場所を突き止めたルル。ふわりふわりと浮きながら目的の部屋の前に着くとノックも無しにドアノブに指を絡めた。


「きゃあっ!?」「うぉ!?」


 扉を開いた瞬間、部屋の中から聞こえてきた二つの声。


 そこには確かに、何時ぞや戦場で相対した男がベッドの上に居た。


 上半身裸で。


 そしてその隣にもう一人。同じく上半身裸の状態でロバートの腕に胸を押し付けている茶髪の若い女性が。お互いの下半身は薄いブランケットで隠されているが、ズボンとパンツは傍に脱ぎ捨てられていた。


「…………」


 思考が停止するルル。翠玉の瞳の輝きは濁り、小さな口はだらしなく半開き。指一本、毛の一本すら動かそうとしない突然の来訪者に、ベッドで寝ていたロバートが身体を起こし、尋ねる。


「ルル……、ちゃん……?」


 一瞬、ルルの身体がピクリと震えた。その様子を見ていた茶髪の女性は何かを悟ったような笑みを浮かべ、言う。


「ははぁん?ロバートさんったら、こういう趣味もあるのね?流石だわぁ。こんな可愛い子この辺じゃ見たこと無いけど、どこのお店の子?」


「え?あ、いや、ちがっ、この子はそうじゃなくて……」


 愉しそうに笑う娼婦に、狼狽えるロバート。


 この時、ルルの脳裏では先程の女将の言葉が甦っていた。


 そしてその言葉の意味を解した、解してしまった瞬間。ルルの心は氷のように凍てつき、しかし頬は仄かに染まる。


「…………死ね」


 娼婦と間違われた事に対する羞恥と憤怒が彼女に魔法の行使を促させた。部屋が、いや、建物全体が揺れ、大きな地鳴りと共に現れた一枚の巨大な白銀の盾。常人には余りに濃すぎる魔力を浴びせられ、茶髪の娼婦は悲鳴を上げる間も無く口から泡を吹き意識を失ってしまった。


「ま、待って!ルルちゃん、ここでそれはマズいって!」


 しかし、マズかったのはロバートの行動であった。彼女を止めるべく慌ててベッドから飛び出したまでは良かったが、悲しい事に、彼は下半身に何も装着していなかった。


 一糸纏わぬ純粋な姿。誤魔化しの一切無い正直な姿。全てを曝け出した無垢な姿。どう綺麗な言葉で着飾ろうが、結局はすっぽんぽんである。


 そして、不幸な事に、ルルは思い切り見てしまった。朝目覚めたばかりの男の真の姿を。


「…………!!!!!!!!」


「あ」


 次の瞬間、ロバートの身体は情けない悲鳴と共に窓の外へと叩き出されていた……。

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