第4話 悪評
セラの朝は早い。
まだ夜も明けきらぬ内にベッドから這い出ると、
自分が寝ていたベッドを綺麗に整頓し化粧台の前で身なりを整えるのだが、彼女の髪は細く柔らかい為寝ぐせの手入れには人一倍時間が掛かった。
主人が、そして自分もお気に入りのメイド服に着替え、隣でまだ寝息を立てているであろうカリナを起こさないよう部屋から出ると、薄暗い不気味な廊下をすり足で進み階段を下りて一階へと向かう。
重たい玄関の扉を開け爽やかな朝の空気を堪能し、ポストから新聞を取り出す。扉を閉めた際に少し大きな音がしてしまい逃げるように炊事場へと駆け込むセラ。持って来た新聞をいつも主人が座る席の前に置くと、彼女は朝食の準備を始めた。
今日のメニューは昨晩のスープを暖め直したものとスライスされたパン、そして目玉焼きと自家製サラダである。
それと、ナナの為に大量のステーキも作らなければならない。
鼻歌を囀りながら朝の準備をしている内に、炊事場にも柔らかな陽の光が差し込み彼女を照らす。
最初は火を起こすのも一苦労だったが直ぐにジルが簡易的に火を起こせる魔具を調達した為、従者の調理に対する負担はかなり軽減されていた。
「ん~……。セラさん……おはようございまふ……」
暖め直したスープを味見していると、炊事場の入り口で寝間着姿のカリナが重そうな瞼を小さな手で擦りながら顔を覗かせた。起きたままここに直行したのだろうか、はだけた寝間着からは胸元が露になり髪も元気に跳ね、尻尾も床に落ちている。
「カリナちゃん、おはようございます。あらあら、髪の毛が凄い事になってますよ?」
「ん~……」
セラは料理の手を止めカリナの頭を優しく撫でる。カリナは気持ちよさそうに目を細めながら喉を鳴らした。
「もうすぐ朝ごはんができますから、お着換えしてジル様を起こしに行ってあげてください」
「ふぁい……」
そっと肩を押すとトコトコと自室へ向け歩き出すカリナ。夜遅くまでナナと遊んだりしているせいか最近の彼女はお寝坊さんである。
少しした後、どこからともなく聞こえる主人の悲鳴にセラは微笑みを浮かべると、料理をテーブルへと並べ始めるのであった。
―――
「ジル様、おはようございます」
「おはよ~。……最近、起こしたいのか永眠させたいのか分からない起こし方されてるんだけど……」
不精が滲み出た頭を掻きながらぼやくジル。白地に緑のハート模様といった可愛らしい寝間着姿の主人に今日もときめきながらセラはカリナと協力して朝食をテーブルに運ぶ。
「ナナの目覚ましは強力なのです」
『がうっ!』
誇らしげに胸を張るナナ。従者もとい従ドラゴンの分際で支度を手伝わないどころか、既に席に着き目の前に置かれた山盛りステーキに涎を垂らしている。
目覚まし当番はセラとカリナなのだが、起こしに行ってはいつも起きようとしない主人に痺れを切らしたのか最近ではナナがジルを叩き起こしている。ジルが起きないと朝ごはんにありつけない為ナナも容赦が無いのだが、それが全体重を乗せてのジャンピングプレスだったり顔面への踏み付け攻撃であったりと中々に殺意が込められていた。
因みに、ナナの現在の体重は百キロを優に超えている。
「程度があるだろ!俺はこんな可愛げのないドラゴンの足じゃなくてカリナちゃんに耳元で優しく囁かれながら起きたいの!」
「でもジル様、それでいつも起きてくれない……」
「こ、これからはちゃんと起きるからさぁ……」
良い意味で身分の上下を感じさせない朝の穏やかな時間を過ごした後、時折顔を出しては構って欲しそうにしてくるジルの相手をしながら従者達は屋敷の掃除に精を出す。
季節は夏本番。今までは屋敷の窓を全開にし汗だくになりながら掃除をしていたのだが、セラがそれなりに魔法の感を取り戻したお陰で屋敷内は非常に快適な温度に保たれている。
掃除が終わると、後は何か用が無い限りは自由時間である。
セラがカリナに魔法の使い方やお菓子の作り方を教えてもらったり、庭で水遊びをしたり昼寝したりと優雅な生活を送っていた。セラが誘拐されたあの事件の後も、彼らの平和で穏やかな日々が変わることは無かった。
が、しかしそれは飽くまでも屋敷の中の話である。あの戦いの影響は多かれ少なかれ発生しており、しかもそれはどちらかと言うと悪い方に働いていた。
レムメルの街に出ればそれは分かりやすく表れる。
「やぁ、今日も暑いな」
「あぁ、アンタらかい。またえらい持って来たね」
レムメルの街にある屋台が並ぶ大通りの隅。家屋で影になった場所でポツリと店を構える鼻の高い老婆の下に、黒い鎧を着た男と黄金の長髪を靡かせた白いワンピース姿のエルフが顔を見せた。ジルは背負っていた大袋を店の前に降ろし、店の主人であるミーナの様子を窺う。
「元気そうだな」
「おかげさんでね。セラちゃんも、元気しとるのかい?」
軒下から顔を出し、ジルの一歩後ろに立つセラを窺う。笑顔で頷く彼女にミーナも皺だらけの顔を綻ばせた。
今日はセラが作った野菜と薬を店に届けに来た二人であったが、店の様子を目の当たりにしたセラは眉を顰める。
「やっぱり売れてないみたいですね……」
狭い店のカウンターには、二日前に届けた野菜や薬が所狭しと並べられていた。ミーナ曰く客足が途絶えたのは帝国がジルの事を悪く書いた新聞を発行したのが原因だろうとの事。あの虚構塗れの新聞のせいでジルの、そしてジルの傍に居る者の評判が悪くなり結果的に人が寄り付かなくなったようだ。
無論、新聞の内容を信じていない者も多数存在する。しかしあの騒動のせいでレッドデビルと関わると帝国から目を付けられるのではないか、何か面倒事に巻き込まれるのではないかという疑心が伝染してしまっており、結果的に人々はまた彼を畏怖し遠ざけるようになっていた。
「せっかく、少しこの町に馴染めてきたと思ってたんですけどね……」
「なぁに、またこれから少しずつ馴染んで行けばいいさね。アンタらは何一つ間違った事はしてないんだから。まぁ、それにしたってあの新聞の内容は流石に否定しといた方が良い気もするけどねぇ」
肩で笑いながら茶を啜るミーナ。彼女もまた帝国に不信感を抱く人間の一人であった。
「否定したところで帝国の声が大き過ぎてな。そもそもたった一面からの情報だけで俺を判断するような奴は俺からもお断りだね。一生何かに騙されながら生きて行けば良いのさ。みんなに好かれようなんて思ってはいない」
「……」
言っている事は尤もだが、薄っすらと負け惜しみのようにも聞こえるミーナであった。
「それにしたって、嫌われ過ぎだと思うけどねぇ。少し慈善活動でもしてみたらどうだい?ゴミ拾いとか」
「ゴミの駆除なら喜んでやるぞ」
「アンタが言うと冗談に聞こえないから困るねぇ……」
乾いた笑い声が静かな店に響く。と、その時不意にジルを呼ぶ声が。
「あなた、レッドデビルさんでしょ?」
振り返れば、そこにはゆったりとしたエプロンドレスを着た小太りの中年女性が神妙な面持ちで立っていた。女性は周囲をしきりに警戒しながら山盛りのパンが入った手提げ籠をジルに差し出す。
「こんなものぐらいしか渡せないけど、受け取っておくれ」
突然の事に固まるジルに対し籠を押し付けながら女性は小声で告げる。
「帝国相手によくやってくれたね。胸がスカッとしたよ。これはそのお礼だよ、大したもんじゃないけどね」
威圧的な黒い鎧に怯えているのか少し声は震えていたが、しかしその笑みに偽りは無かった。
「え?いや、しかし……」
「受け取っときなさい。その人の為にもね」
ミーナの進言にジルは従う。受け取ったパンは焼きたてなのか、まだ仄かに温かかった。
「……ありがとう。大事に食べるよ」
「そうしとくれ。……帝国が変な噂を流してるようだけど、負けずに頑張りなさいね。応援してるよ」
女性はジルとセラに目配せし力強く頷くと小走りでその場を離れて行った。彼女の姿はあっという間に人の波に呑まれ消える。
「あの人は?」
セラの問いにミーナは声を重くして答えた。
「この近くでパン屋を開いてる人さ。元々は夫婦で営んでいたんだが、レギンドの大戦で主人を失ってね」
「そうだったんですね……」
同じく戦争で大切な仲間を失ったセラとしては他人事のように思えなかった。
「やっぱり分かってる人は分かってるんだね、アンタの事」
「……みたいだな」
失礼ながら毒見の意味合いも兼ねて鎧を着たままパンを齧る。もっちりとした歯ごたえに続いて暖かな甘みが鼻を撫でた。
帝国とのひと悶着のせいで彼の評判が更に悪くなってしまったのは残念ながら事実である。しかしそれと同時に、この一件の真実を知った上で帝国に牙を向いた彼を賛美し尊敬する者も現れ始めていた。誰もが帝国を恐れ、その支配に窮していた中でのあの事件は抑圧された人々の心を少なからず救っていたのだ。
「それでも、多くの人に誤解され恐れられているのは事実だ。このままだと折角作った野菜や薬が売れなくなってしまう。何とかして信頼を得ていかないとな」
「ですね!きっといつか、他の人にも分かってもらえますよ!」
主人の前向きな発言にセラも追随し、商品を並べるのを手伝い始める。
不条理な仕打ちで更に肩身が狭くなった彼等ではあるがしかしその眼前にあるのは決して絶望などではなく希望に満ちた明るい未来であり、そしてミーナもそれを信じて疑わない。
この先まだまだ苦労が絶えないだろうが、それでもこの二人なら乗り越えて行ける。そんな形容し難い力強さをこの二人の主従から感じ取っていた。
「取り敢えずその鎧を脱げば少なくとも見た目で判断されることは無いと思うんだがねぇ……」
「それは……。その……ねぇ?」
「ん?何だい?はっきり言いなよ情けないね」
「いや……。顔を見られるのは、ちょっと、恥ずかしくて……」
「……なんだいそりゃ。アンタさては人見知りなのかい?そんなナリで?」
「う、うるさいな。いいだろ別に……ほっといてくれ」
「大丈夫ですよジル様!この姿で、このレッドデビルの象徴であるこの鎧姿で受け入れられてこそだと思いますよ!」
「そう!それ!俺もそれが言いたかったんだよ!」
「……」
セラの助け舟に躊躇なく飛び込むジル。
二人のやり取りにミーナは呆れ顔で茶を啜るが、しかしその空間はとても平和的で和やかであった。
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