第6話 追剥ドラゴン
ナナソ草の採取が終わり、崖から降りようとしていたジルが視界の端に捉えたもの。それは、四つ足で崖に張り付き眼下のセラとカリナへ殺意を向けるドラゴンの姿であった。
「ッ!」
跳躍の体勢に入ったベムドラゴンよりも先に地上へと跳ぶ。それに気付いたベムドラゴンも跳ぶが、僅かにジルの方が速かった。
セラとカリナの前に着地するとすぐに反転し、襲い来るベムドラゴンを両手で受け止める。数百キロあるドラゴンの衝撃を受け、尚も掴み合った巨大な手に圧されるジル。足元の地面はめくれ上がり、ドラゴンの荒く温い吐息が背後の従者にまで届いた。
「ぬぐぐぐ……」
突然の襲来に魂が抜けたように呆然とするセラとカリナであったが、ジルの苦悶の声で我に返った。しかし、意識を取り戻したところで待っているのは動揺と恐怖であり、何とか動こうとするもドラゴンの真っ赤な眼光と野太い咆哮の前に二人は腰が抜け、余計に動けなくなってしまっていた。
「……ええい!仕方ない!」
圧し潰される前にベムドラゴンの腹を蹴り飛ばすも、ドラゴンは一瞬呻くだけでジルの手を離そうとしない。ベムドラゴンの柔らかい腹は打撃に対し非常に強く、ジルの蹴りも耐え抜いて見せた。
両者ともに組み合い拮抗しているように見えるがしかし、ドラゴンにはまだ武器があった。
巨大な口を目一杯開くとナイフのような歯が陽の光を受け輝く。そしてそのままジルの顔を頭から噛み付いた。
「ひっ……!」
今まさに目の前で主が捕食されようとしている光景に、従者二人の顔から血の気が引いた。しかし、ドラゴンは幾度も角度を変え、前歯で、奥歯でジルの頭部を噛み砕こうとするのだが鎧には傷一つ入らない。
そうこうしている内に拘束の弱まった手を振り払うとジルは拳をドラゴンの喉に叩き込んだ。回転の加わった硬質な拳は喉を圧し潰し呼吸を塞ぐ。
『ッオォ……』
温い唾液を撒き散らし首を振るドラゴン。その隙に二人の従者を両腕に抱きかかえ、森の中へと突っ込んだ。木と木の間を縫うように潜り抜け、しばらく走ったところでジルは二人を降ろし背後へ警戒を飛ばす。
追ってくる気配が無いのを確認すると地面に座り込む二人へと顔を向け、頭や肩に付いた木の葉を優しく払う。
「ごめんごめん、ちょっと荒っぽかったかな?怪我は無い?取り敢えずここなら安全だよ。あの巨体だとここまでは追ってこれないだろうからね」
「……い、今のは……。さっきの、ですか……?」
鳴る歯の隙間から声を絞り出すカリナ。その問いにジルは首肯する。
「そうだよ。アレがベムドラゴン。それも、怒ってる時のね」
「ど、どうして……」
そう問うセラは肩を抱き、何とか震えを抑えようとしていた。彼女はベムドラゴンに睨まれた瞬間、産まれて初めて感じる被捕食者としての恐怖を植え付けられていた。そんなセラの乱れた髪をジルは手櫛で優しくとぎながら茶目っ気を滲ませた声で答える。
「もしかして二人があまりにも可愛かったから誘拐しようとしたのかもね!ホラ、昔からよくある話じゃん、お姫様を攫って行くドラゴンのはな……し……」
あまり空気が良くならなかったのでジルはわざとらしく咳払いをすると、今度は真面目に答えた。
「正確な事は分からない。俺達はベムドラゴンを怒らせるようなことは何一つとしてしていないからね……。ただ、少し気になることはあった。あのドラゴン、身体が傷だらけなんだよ。自然的な怪我とかじゃなくて、明らかに鋭利な刃物で刺したり斬られたりしてるような……。もしかしたら過去に人間に襲われた経験があるのかもしれない。それで縄張りに入った俺達を警戒して襲ってきたのかも」
「だとしたら、もうあそこへは近付かない方がよろしいのでしょうね……」
「そうだね。欲しいものは手に入れたしこれ以上長居は無用かな。ベムドラゴンの件は帰って報告するとして……」
と、ここでジルがとあることに気付く。
「あれ?荷物は?」
「あ……。す、すいません。さっきの所に置いてきちゃいました……」
「あ、あらぁ……。まぁ、仕方ないよね、突然だったから」
涙ぐむカリナの頭を優しく撫でる。
「しょうがない、ちょっと回収してくるよ。今回のクエストは帝国からの依頼だからね。達成出来なかったら『猫の手』が罰を受けてしまう」
「わ、分かりました……。では、私はここでカリナちゃんを護ってますね……」
「ん?……あ、そうか……」
ここでジルは気付いた。彼が単独行動を取ってしまった場合、セラとカリナの二人きりになってしまう事に。魔獣が生息する森の中に短刀しか持たない女性二人を放置しておくのは魔獣に餌をやるようなものである。
これにはジルも悩んだ。二人をクエストに連れてくる事の弊害がここに来て顕れてしまった。
ジルは逡巡の末、カリナとセラを連れて先程の崖下まで戻り荷物を回収することにした。まだ一緒に行動した方が二人を護ることが出来るということを考慮しての結論であり、彼女らもこれに同意した。
ジルは背中に二人を隠し、物音を最小限に抑えつつ崖下へと戻る。しかし、森を抜けた三人の目に飛び込んできたのは、先程の傷だらけのベムドラゴンがナナソ草の入った袋とジルが持っていた荷物全てを爪に引っ掛け飛んで行ってしまうというショッキングな光景であった。
「え、ええええええ!?」
慌ててジルが飛び出すも時既に遅し。荷物は巣穴へと持ち去られてしまった。後から飛び出してきたセラも目を丸くし、揺れるドラゴンの尾を見詰める。
「お、追剥にあっちまった……」
「ど、どうするんですか!?また採取するんです!?」
「いや……。ナナソ草はさっき採取した分で殆どなんだ。あとはもう大して残ってない……」
「じゃ、じゃあ、どうすれば……」
ジルは諦念の籠った溜息を大きく漏らすと、呟いた。
「取り戻しに行くしかないね。巣穴に……」
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