第11話 白 青 黒
青年は目をつむったまま耳鳴りがおさまるのをまっていた。目の前が黒い霧のようなもので包まれ、今度は耳をつんざく雷音が鳴ったからだ。
左側に柔らかいものが当たっている感触から、徐々に感覚を取り戻していった。軽く残る耳鳴りを聞きながら目を開けた。同僚女性も、ISEの敷地も、何一つなかった。
目の前に広がっている光景は青い地平線と黒い空だった。
「なにもご心配になられることはございませんわ」
青年は耳鳴りのせいか遠くから話しかけられたように感じた。声の主は先ほどから体を押し当てている人形のものだった。
「ここはまだ星にひかれている場所。わたくしがお側にいる間は何もご心配になさらないで」
青年は抜け殻のようになっていた。理性が完全に停止してしまっていた。それゆえにあるがままを受け取った。地平線の青くぼんやりとしている光は宇宙へ黒のグラデーションをかけながら同化していた。目下には雲が地球をところどころ隠している。細い糸状の
耳鳴りが収まっても青年は壮大な光景にとらわれていた。
「これが地球ですわ。世の母であり、今でも美しく、生きていますの」
人形は青年に抱きつくようにしていた体勢から、からだだけを離した。青年の左手を握ったまま正面に立った。
愛情深い笑みを青年にむけた。青年は理性を取り戻し、そのことによって暴走した。
呼吸を保つために短く息を吸い、右手で口をふさぎとめた。落ちるとおもい両足をへその方に丸め、その動きに合わせて背中も丸めた。そうしている姿は母体に収まっている胎児のようにみえた。
青年は目の端に涙をためていた。それを認めた人形はゆっくりと青年に近づき優しく抱きしめた。
「心配はいりません。この場所はまだあなたを愛していますから」
大丈夫、大丈夫と言いながら青年の背中をさすった。人形の胸の中で冷静さを取り戻しつつあった。人形の自然を思わせるにおい。血は通っていないが確かに感じる体の温かさ。青年はゆっくり体を伸ばし、呼吸をはじめた。
人形は青年の様子を確かめるように胸の中をのぞいた。青年と目が合った。少女はまたも、我が子にむけるような笑顔を見せた。
背中に回した手を青年のからだに沿わせ、肩、ひじ、手へとつたって握った。両手をつなぎ合わせた状態で腕を伸ばし、二人はもう一度むき合った。
「あの、人形ちゃん。ここは?」
青年は人形の介抱を受けて話せるようになった。
「ここは地球よ。京都の上空ですの」
「京都の上空……どうやってここまで来たの?」
「星の力ですわ。この星にいる間はなんでもできますの。このまま京都に行くことも。美来様の元に戻ることも」
「なんでもっていうのは、こうして空に浮いてるのも、いつもと変わらず呼吸ができること以外にもできるの?」
「『なんでも』でございますわ。およそ人類がなさったことも、そうでないことも」
「……人形ちゃん、君は一体何者?何が目的なの?」
「わたくしは……世界遺産を見に行きたいの。人類の文化を。自然を」
人形はそういうと視線を落とし悲しそうな顔をした。すぐに笑ったが、青年はそれがなおさら悲しくみえた。
「ねぇ。あなた様。お尋ねしてもよろしいかしら?」
「はい」
青年はまっすぐに人形をみた。何を
「お名前を。うかがってもよろしいでしょうか」
「いま?!」
女性というのはよくわからない。内心そう思い、驚きもあったがどことなく笑えるタイミングだった。人形もほほ笑みながら雲から海へ、海から宇宙へつづく背景越しにみつめていた。
「僕の名前は宵越やまと《ヨゴシ・ヤマト》」
「やまとさま。すてきなお名前がよくお似合いで」
青年は素直に誉め言葉を受け取った。名前から人格を推量するタイプではないが、自分の名前は気に入っていた。見合う人間になれるようにと時々名前の由来をなぞることもあった。
「ありがとう、空で聞くなんて思わなかったよ」
「ふふ。わたくし。ロマンチックなのを好いておりますの」
「気が合うね。僕もだよ」
青年は思った。空は確かにロマンチックであるし、あまりに平凡すぎることも演出によってはロマンがあると。
「それではお見せしたい光景も。お話もできましたので。行きましょう。いざ!京都へ!!」
「あぁそうか、京都だったね、観光はおなかいっぱいだから向こうに着いたらまず休憩しようか」
「えぇ。やまとさまのおっしゃる通りに」
「まさかこんな景色が見られるとはね」
「ガイドをなさって下さるのでしょう?そちらのお礼ですの」
「ありがたいね。同等のお返しができるように頑張るよ」
「まぁ!気立てがよくていらっしゃる」
人形は漂いながら青年の左側についた。ここに来た時と同じように体をあてがった。青年は弾力のある感触に今更ドキリと胸が弾んだ。そしてこれから起こることを人形からの数少ない付き合いから予測した。
「待って人形ちゃん!!瞬間移動みたいなのびっくりするから準備させて」
超能力に関して疑問は残るが、両目がとらえた事実は疑っていなかった。人形はにっこり笑って大丈夫ですのよといった。
「やまとさま。お忘れですか?ここは京都の上空ですのよ」
「ん?そうだね、京都の上みたいだね」
「であれば。わざわざ
「ゑ?」
青年はふぬけた顔のまま足元が抜けて落ちていく体験をした。声にならない悲鳴は気圧が低い大空の力を借りて地球によくひびいた。
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